痛い。
お腹が、ジンジンと熱を持ったように脈打っている。
ガタガタとした振動も、お腹の痛みを増幅させる。
だけどなんだろう、甘い香りと温かいぬくもり。
この香りは知ってる気がする……。
あぁ、そうだ。
15歳の誕生日に、お母さまが開いてくれたパーティー。
お父さまはカードとプレゼントを贈ってくれただけだけど、私が欲しかった本だったからすごく嬉しかった。
友達もたくさん呼ばれて、そしてユハスさまも来てくれた。
ユハスさまは私に、抱えきれないほどの花を贈ってくれて、ダンスのお相手をしてくれた。
私の腰を抱くあのたくましい腕、洗練されたステップとリード、優しい微笑み。
夢のような時間だった。
なぜいま、甘酸っぱく思い出すの?
あのダンスで、私はユハスさまの顔ばかり見てしまって、ぼうっとして足を何度も踏みつけてしまったのよね。
ユハスさまは笑って許してくれたけど、そのあとこのままではいけないとダンスの授業を増やしたっけ。
恋してたんだな、私。
将来有望な方との婚約話に浮かれてた、あの頃の少女だった自分。
ガタガタガタガタ、思い出に浸っていたいのに、身体に響く。
ガタガタガタガタ。
痛みを自覚しはじめたら、ぼんやりしていた思考もハッキリしてきた。
そうだ、私は暴漢に襲われて殺されるところで……。
となるとこのガタガタは、私は馬車でどこかに拉致されてるってこと?
手は? 足は? 縛られてるような感じはしないけど。
視界も塞がれてはいない。
目を開ければ、状況がわかるはず。
「え……?」
ゆっくり開いた眼に見えたのは、先ほどの黒づくめの暴漢じゃなく。
「ユ……ハス……さま?」
純白の制服は城仕えだけが許されたもの。
気を失う前に見たのは、やっぱりユハス様だったのね。
私の都合のいい幻だと思っていた。
「大丈夫ですか? リーディアさま」
私が目を覚ましたことに気づいたユハスさまが、話しかけてくる。
「あの……」
これはどういう状況なのでしょう。
私はユハスさまに抱きかかえられ、馬車に乗っている。
内装を確かめる。
この馬車はうちのものだわ。私が街はずれに待たせていたもの。
「ど、どうしてユハスさまが?」
声が上ずってしまった。
顔が近くて、緊張する。
それに膝の上に抱かれているなんて、ダンスの時よりも密着度が高い。
ユハスさまの体温が、布を通して伝わってくる。
「今夜は登城でしたので、街を抜けて行くところでした」
若いころから城に呼ばれていたユハスさま。
第二王子、ジュンリカさまの補佐官に就任するのはいまから2年後だったかしら。
確かに街を通り抜ければ、城には近い。
「悲鳴に駆け付けると誰かが襲われていて、それがあなただったので、焦りました」
ユハスさまの表情は、私を心から心配してくれているように見えた。
あの最期の時みたいな、冷たい瞳ではない。
「ユハスさまが駆けつけてくださったんですね」
「……なぜあそこにいたんですか? 私が通りかからなかったらどうなっていたか」
「あ!!」
理由を尋ねられて、大事なことを思い出した。
「あの、紙袋ありませんでしたか? 買い物帰りだったんです」
「紙袋ならそこに」
ちらっと、ユハスさまが私の後ろへと視線を飛ばした。
それを追いかけると、ちょうど私の背後の座席に紙袋は置かれていた。
破けてしまっているけど、中身までは踏みつぶされたりはしてないみたいだった。
よかった。私のご飯たち。
「届けものなら、私がいたします」
「え?」
ユハスさまがなにを?
そんな辛そうに眉を寄せて、私を見て。
「聞きました。公爵に離れに住まいを移せと言われていることを」
街の人が知っているんだから、ユハスさまが知っているのは当たり前か。
葬儀の時も、辛い時は頼ってくださいと言ってくれていたのよね。
でも、来てくれたのは一度だけだった。
私の環境を見て、お父さまに話をしてくれると、そう言っていたけれど。
屋敷であの親子に会い、気持ちが移ってしまったのだろう。
いまこんなに優しい目をしていても、きっとあの親子に会ったら変わってしまう。
これから来る未来に、胸が締め付けられる。
「あぁ、私の屋敷に呼べればいいのに…でもまだ婚姻前の学生と一緒に住むわけにはいかないね」
なぜ頬を少し染めてそんなことを言い出すのかしら。
この誘いは、前はなかった。
少しずつ変わり始めているから、記憶と違う事が出てくるのかしら。
ユハスさまの心移りも変えられるかもしれい?
淡い期待だと打ち消しても、この甘い瞳に高鳴る鼓動をがあった。
「とにかくあなたが心配なんだ。ひとりでいるときにまた襲われやしないか…私が離れで護衛につきたいぐらいです」
「いいです、いいです、そんな」
ユハスさまの申し出に、私は手を振って遠慮した。
だって、しばらくしたら大量のハスとミンキーがくるのよ。
それを捌くツテも探さないとだし、考えたいこと、やらなきゃいけないこと、クリアリにも聞きたいこともあるし忙しくなるの。
「私は大丈夫ですっ」
大丈夫と信じてもらうために、にっこりと笑顔を作った。
ユハスさまは、そんな私に力なく首を振った。
「強がらないでください。私はあなたの力になりたいのです」
いや別に強がっては……。
「本当に……。それに、お、下ろしてください。もう大丈夫です」
この近い距離に、優しいユハスさま。
気持ちが動いてしまう。
このあと冷たくなる人なのに、また傷つきたくないのに。
「この馬車は座席がかたいです。このままでいてください」
私の心を知らずに、まじめな顔でユハスさまは言う。
確かにいい馬車はお父さまたちが使っているから、いましかたなく乗っているのは廃車予定の古いものだけれど。
「それと、意識が戻ってからしようと思っていたのですが、いいですか?」
「え? なにをですか? ひゃ、ひゃぁっ!?」
なんの許可をとられたか、承諾する前にもう触れられた。
服の上からだけど、そっと。
「手当をします」
私が殴られたお腹。胸のすぐ下。
「痛みをとります」
ユハスさまが、集中するように瞳を閉じた。
「あつっ……」
ユハスさまが口の中でなにか唱えて、お腹が一瞬だけ熱くなった。
でもその熱さは一瞬だけで、すーっとジンジン脈打っていた痛みはひいてゆく。
ユハスさまの額には、汗がにじんでいた。
城の魔法師に癒しの手を学んでいると聞いたことがあったけど、これがそうなのかしら。
もう、ユハスさまの体温しか感じられない。
「どうでしょうか……」
「ユハスさま?」
私に問いかける声がかすれていた。
少し余裕がない感じ。
まさか……。
「私の痛みをご自身に移したのですか!?」
私の問いに、ユハスさまは苦笑い。
「まだ修行中の身で、この方法の方が早く痛みをとれるのです」
「でもそれじゃ……」
「いいのです。あなたがが苦しまれているほうが、私にはつらいのですから」
私を殺す人が、私の痛みを代わってくれる?
あの運命は変わりつつあって、ユハスさまは私と……。
甘い希望ばかりが浮かんでしまう。
「ありがとうございます。おかげでもう痛くないので、おろしていただけますか?」
甘い希望を、突き放すことで吹き払う。
それに、痛みを移したユハスさまの上にいつまでもいられない。
このユハスさまは、まだあの義妹クミンに会っていない。
だから、こんなに私に優しいんだ。
勘違いしたら、あとで傷つくのは自分。
鼓動よ、おさまって。
「ふぅ……」
私をおろして、ユハスさまは対面の席に移動する。
動くと痛むのか、辛そうだった。
「毎食は無理ですが、公爵にも掛け合って……」
「だめっ!!」
思わず叫んでいた。
お父さまに会うとき、絶対にあの親子もそばにいる。
そうしたら、そうしたら……。
希望を持つなと言い聞かせたのに、やっぱりユハスさまのこの優しい瞳をあの子にとられたくない。
でもどうしたらいいんだろう。
ユハスさまが頻繁に足を運んだら、いくら裏手にある離れだとはいえ、お父さまたちにバレてしまうだろう。
あの親子は私からユハスさまを簡単に取り上げた。
きっと今世も、出会ったらそう動くに決まってる。
「心配なんです、あなたが……心当たりはありますか? 誰に襲われたか」
「…………」
ありすぎて絞り切れない。
私は首を振った。
「犯人たちは?」
今度はユハスさまが首を振った。
「すみません、とり逃がしてしまいました。ふがいないです」
しゅんと目を伏せるので、慌ててそんなことはないと手を振った。
この頃のユハスさまは、まだまだ自分に自信がないのね。
第二王子の補佐を務めるころには、凛として堂々とした姿は女たちのあこがれの的だった。
「顔は見たので、犯人を捜してみせます」
「いいえ、危ないことはしないでください」
相手が誰かもわからないし、いまのユハスさまに怪我などしてほしくない。
「これは私の使命です。どうか、任せると言ってください」
「無理はなさらないでくざいね」
私の大好きだったユハスさま。どうか少しでも、そのままでいてください。
逃がした犯人は気になるけど、危ない目にも遭ってほしくない。
無言で見つめあっていると、馬車が停止した。
「あぁ、ついてしまいましたね」
残念に思ったのは私だけじゃないのかな。
ユハスさまも同じ気持ちだったら嬉しいな。
「ありがとうございました。お帰りはこの馬車をお使いください」
「……お心遣いありがとうございます。また近く、会いに来ます」
私は、複雑な思いでほほ笑みかえすしかできなかった。
「では」
立ちあがるときに手を差し伸べてくれたのでその手を取ると、ユハスさまは跪いて私の手の甲にキスをした。
挨拶だとしても、トクンと胸が弾んでしまう。
「ふぅ……」
馬車が見えなくなるまで見送って、私はやっと一息ついた。
暴漢からの鼓動の高鳴りの上下に、気持ちと身体が悲鳴を上げてるみたいだった。
お腹が、ジンジンと熱を持ったように脈打っている。
ガタガタとした振動も、お腹の痛みを増幅させる。
だけどなんだろう、甘い香りと温かいぬくもり。
この香りは知ってる気がする……。
あぁ、そうだ。
15歳の誕生日に、お母さまが開いてくれたパーティー。
お父さまはカードとプレゼントを贈ってくれただけだけど、私が欲しかった本だったからすごく嬉しかった。
友達もたくさん呼ばれて、そしてユハスさまも来てくれた。
ユハスさまは私に、抱えきれないほどの花を贈ってくれて、ダンスのお相手をしてくれた。
私の腰を抱くあのたくましい腕、洗練されたステップとリード、優しい微笑み。
夢のような時間だった。
なぜいま、甘酸っぱく思い出すの?
あのダンスで、私はユハスさまの顔ばかり見てしまって、ぼうっとして足を何度も踏みつけてしまったのよね。
ユハスさまは笑って許してくれたけど、そのあとこのままではいけないとダンスの授業を増やしたっけ。
恋してたんだな、私。
将来有望な方との婚約話に浮かれてた、あの頃の少女だった自分。
ガタガタガタガタ、思い出に浸っていたいのに、身体に響く。
ガタガタガタガタ。
痛みを自覚しはじめたら、ぼんやりしていた思考もハッキリしてきた。
そうだ、私は暴漢に襲われて殺されるところで……。
となるとこのガタガタは、私は馬車でどこかに拉致されてるってこと?
手は? 足は? 縛られてるような感じはしないけど。
視界も塞がれてはいない。
目を開ければ、状況がわかるはず。
「え……?」
ゆっくり開いた眼に見えたのは、先ほどの黒づくめの暴漢じゃなく。
「ユ……ハス……さま?」
純白の制服は城仕えだけが許されたもの。
気を失う前に見たのは、やっぱりユハス様だったのね。
私の都合のいい幻だと思っていた。
「大丈夫ですか? リーディアさま」
私が目を覚ましたことに気づいたユハスさまが、話しかけてくる。
「あの……」
これはどういう状況なのでしょう。
私はユハスさまに抱きかかえられ、馬車に乗っている。
内装を確かめる。
この馬車はうちのものだわ。私が街はずれに待たせていたもの。
「ど、どうしてユハスさまが?」
声が上ずってしまった。
顔が近くて、緊張する。
それに膝の上に抱かれているなんて、ダンスの時よりも密着度が高い。
ユハスさまの体温が、布を通して伝わってくる。
「今夜は登城でしたので、街を抜けて行くところでした」
若いころから城に呼ばれていたユハスさま。
第二王子、ジュンリカさまの補佐官に就任するのはいまから2年後だったかしら。
確かに街を通り抜ければ、城には近い。
「悲鳴に駆け付けると誰かが襲われていて、それがあなただったので、焦りました」
ユハスさまの表情は、私を心から心配してくれているように見えた。
あの最期の時みたいな、冷たい瞳ではない。
「ユハスさまが駆けつけてくださったんですね」
「……なぜあそこにいたんですか? 私が通りかからなかったらどうなっていたか」
「あ!!」
理由を尋ねられて、大事なことを思い出した。
「あの、紙袋ありませんでしたか? 買い物帰りだったんです」
「紙袋ならそこに」
ちらっと、ユハスさまが私の後ろへと視線を飛ばした。
それを追いかけると、ちょうど私の背後の座席に紙袋は置かれていた。
破けてしまっているけど、中身までは踏みつぶされたりはしてないみたいだった。
よかった。私のご飯たち。
「届けものなら、私がいたします」
「え?」
ユハスさまがなにを?
そんな辛そうに眉を寄せて、私を見て。
「聞きました。公爵に離れに住まいを移せと言われていることを」
街の人が知っているんだから、ユハスさまが知っているのは当たり前か。
葬儀の時も、辛い時は頼ってくださいと言ってくれていたのよね。
でも、来てくれたのは一度だけだった。
私の環境を見て、お父さまに話をしてくれると、そう言っていたけれど。
屋敷であの親子に会い、気持ちが移ってしまったのだろう。
いまこんなに優しい目をしていても、きっとあの親子に会ったら変わってしまう。
これから来る未来に、胸が締め付けられる。
「あぁ、私の屋敷に呼べればいいのに…でもまだ婚姻前の学生と一緒に住むわけにはいかないね」
なぜ頬を少し染めてそんなことを言い出すのかしら。
この誘いは、前はなかった。
少しずつ変わり始めているから、記憶と違う事が出てくるのかしら。
ユハスさまの心移りも変えられるかもしれい?
淡い期待だと打ち消しても、この甘い瞳に高鳴る鼓動をがあった。
「とにかくあなたが心配なんだ。ひとりでいるときにまた襲われやしないか…私が離れで護衛につきたいぐらいです」
「いいです、いいです、そんな」
ユハスさまの申し出に、私は手を振って遠慮した。
だって、しばらくしたら大量のハスとミンキーがくるのよ。
それを捌くツテも探さないとだし、考えたいこと、やらなきゃいけないこと、クリアリにも聞きたいこともあるし忙しくなるの。
「私は大丈夫ですっ」
大丈夫と信じてもらうために、にっこりと笑顔を作った。
ユハスさまは、そんな私に力なく首を振った。
「強がらないでください。私はあなたの力になりたいのです」
いや別に強がっては……。
「本当に……。それに、お、下ろしてください。もう大丈夫です」
この近い距離に、優しいユハスさま。
気持ちが動いてしまう。
このあと冷たくなる人なのに、また傷つきたくないのに。
「この馬車は座席がかたいです。このままでいてください」
私の心を知らずに、まじめな顔でユハスさまは言う。
確かにいい馬車はお父さまたちが使っているから、いましかたなく乗っているのは廃車予定の古いものだけれど。
「それと、意識が戻ってからしようと思っていたのですが、いいですか?」
「え? なにをですか? ひゃ、ひゃぁっ!?」
なんの許可をとられたか、承諾する前にもう触れられた。
服の上からだけど、そっと。
「手当をします」
私が殴られたお腹。胸のすぐ下。
「痛みをとります」
ユハスさまが、集中するように瞳を閉じた。
「あつっ……」
ユハスさまが口の中でなにか唱えて、お腹が一瞬だけ熱くなった。
でもその熱さは一瞬だけで、すーっとジンジン脈打っていた痛みはひいてゆく。
ユハスさまの額には、汗がにじんでいた。
城の魔法師に癒しの手を学んでいると聞いたことがあったけど、これがそうなのかしら。
もう、ユハスさまの体温しか感じられない。
「どうでしょうか……」
「ユハスさま?」
私に問いかける声がかすれていた。
少し余裕がない感じ。
まさか……。
「私の痛みをご自身に移したのですか!?」
私の問いに、ユハスさまは苦笑い。
「まだ修行中の身で、この方法の方が早く痛みをとれるのです」
「でもそれじゃ……」
「いいのです。あなたがが苦しまれているほうが、私にはつらいのですから」
私を殺す人が、私の痛みを代わってくれる?
あの運命は変わりつつあって、ユハスさまは私と……。
甘い希望ばかりが浮かんでしまう。
「ありがとうございます。おかげでもう痛くないので、おろしていただけますか?」
甘い希望を、突き放すことで吹き払う。
それに、痛みを移したユハスさまの上にいつまでもいられない。
このユハスさまは、まだあの義妹クミンに会っていない。
だから、こんなに私に優しいんだ。
勘違いしたら、あとで傷つくのは自分。
鼓動よ、おさまって。
「ふぅ……」
私をおろして、ユハスさまは対面の席に移動する。
動くと痛むのか、辛そうだった。
「毎食は無理ですが、公爵にも掛け合って……」
「だめっ!!」
思わず叫んでいた。
お父さまに会うとき、絶対にあの親子もそばにいる。
そうしたら、そうしたら……。
希望を持つなと言い聞かせたのに、やっぱりユハスさまのこの優しい瞳をあの子にとられたくない。
でもどうしたらいいんだろう。
ユハスさまが頻繁に足を運んだら、いくら裏手にある離れだとはいえ、お父さまたちにバレてしまうだろう。
あの親子は私からユハスさまを簡単に取り上げた。
きっと今世も、出会ったらそう動くに決まってる。
「心配なんです、あなたが……心当たりはありますか? 誰に襲われたか」
「…………」
ありすぎて絞り切れない。
私は首を振った。
「犯人たちは?」
今度はユハスさまが首を振った。
「すみません、とり逃がしてしまいました。ふがいないです」
しゅんと目を伏せるので、慌ててそんなことはないと手を振った。
この頃のユハスさまは、まだまだ自分に自信がないのね。
第二王子の補佐を務めるころには、凛として堂々とした姿は女たちのあこがれの的だった。
「顔は見たので、犯人を捜してみせます」
「いいえ、危ないことはしないでください」
相手が誰かもわからないし、いまのユハスさまに怪我などしてほしくない。
「これは私の使命です。どうか、任せると言ってください」
「無理はなさらないでくざいね」
私の大好きだったユハスさま。どうか少しでも、そのままでいてください。
逃がした犯人は気になるけど、危ない目にも遭ってほしくない。
無言で見つめあっていると、馬車が停止した。
「あぁ、ついてしまいましたね」
残念に思ったのは私だけじゃないのかな。
ユハスさまも同じ気持ちだったら嬉しいな。
「ありがとうございました。お帰りはこの馬車をお使いください」
「……お心遣いありがとうございます。また近く、会いに来ます」
私は、複雑な思いでほほ笑みかえすしかできなかった。
「では」
立ちあがるときに手を差し伸べてくれたのでその手を取ると、ユハスさまは跪いて私の手の甲にキスをした。
挨拶だとしても、トクンと胸が弾んでしまう。
「ふぅ……」
馬車が見えなくなるまで見送って、私はやっと一息ついた。
暴漢からの鼓動の高鳴りの上下に、気持ちと身体が悲鳴を上げてるみたいだった。
