オレノペット








「(リリィ…ね。よろしくお願いします。ハルカです。)」


ハルカに出会ったのは、ハルカがNY社に本社から派遣されてきた時。


柔和で、的確、先見の目があって、与えられた仕事は確実にこなす。けれど、それをジョークにはしても自分のプライドにはしない彼は、NY社での注目株になった。


そんなハルカでも慣れない土地と習慣の中では多くの苦労を重ねていて、よく私を頼ってくれた。


お互い…『気が合う』ってやつだったんだと思う。


私はハルカの余計なところまで詮索しない気質に惹かれたし、ハルカもまた、付かず離れずな私の性格が話しやすかったんだろう。


いつしか、仕事上だけじゃなく、プライベートでも会う事が増えて。



けれど、お互い、その時点では恋人がいた。


いや…実際にはハルカには彼女がいて、私には、曖昧な人。


マイクは直属の上司だったし、私を利用して近づいているのか、それとも本気なのかは定かじゃ無くて。

何度も、何度も…他の女と親しげに歩いている所を見かけては、そのたびにハルカを呼び出して。泥酔。


あの日も、そんな感じだったと思う。


「(リリイ、へーき?)」

「(……ハルカこそ、私なんかの所に来て、彼女は平気なの?)」

「(今更でしょ。つか、彼女にあなたとの関係が『理解出来ない』つってフラれましたよ。俺は)」


伏せていた顔をあげたら、少し眉を下げて「(言ってなかった?)」と苦笑い。


…お互い情なのか、それとももっと純粋な気持ちがあったのか、分からないけれどただの『友達』『同僚』の域を越えるのに、そこから時間はかからなかった。

恋人…なのだろうか。はたから見ればそうなんだと思う。

信頼関係と苦楽を共にし互いの事を深く理解しているからこその関係。

恋愛感情なのかどうかもわからなかったし、それを考えることもあの頃の私にはなかった。

仕事上でも、ハルカとバディになることが増えて、トップの業績を毎年たたき出し、マイクにも「お前はいい女だな」と褒められ、良好な関係を保てる様になって。プライベートでも誘ってくれる事が増えていく。


その居心地の良さにすっかり浸りきった私は、曖昧をはっきりとさせる事は出来なかった。
それにより、ハルカが離れれば、この危うく曖昧なバランスは崩れると言うことをどこかでわかっていたのだと思う。


……けれど。


それが今から一年ほど前。

ヘルプで日本へ戻り、3ヶ月後に帰って来たハルカは、仕事ぶりは相変わらずだったけれど、そこからはなれると、ぼんやりすることが増えた。


私の誘いも、飲みやディナーには応えても、そこ止まり。そこから先の誘いに乗ることはまずなくて。

数ヶ月後、彼は日本への再転勤届けを出した。

そして、私や他者の説得にも応じる事のなかったハルカは、それが通ったと同時に、NY社を去った。


「(リリイ、ありがとう。元気でね)」


綺麗な笑顔を残して。


NY社であれだけ業績を上げていたのだから、本社に戻った所でそれはきっと変わらない。彼は。

けれど、私は違った。

業績はがた落ち。取引先とのトラブルが続く様になり、会社に沢山の迷惑をかけた。


ハルカに寄りかかり過ぎて居たんだと、失ってから気が付いた。いつの間にか、彼が精神的支柱になっていたんだと。


それでも、一人頑張ろうと瀬戸際で踏ん張る毎日。

それを崩したのが、マイクだった。


「(お前は、ハルカがいなきゃボロボロだな。使い物にならん。
ここに居ても迷惑だ。
丁度本社との合同プロジェクトを考えてるから、ハルカの所へ行って連れて帰って来い。)」


…氷柱の如く、言葉が突き刺さった。


見放された…。
私はもう、マイクの中で用済みなんだ。


正直、この時点で会社の事はどうでも良くなっていたと思う。


ただ、ハルカに会いたい。

何か日本に未練になることがあるなら、私が日本に留まったっていい。ただ、彼と一緒に居たい。


そんな覚悟で日本へ来たのに。


彼は、私と居てもずっと上の空で。

私が事情を説明して、一緒に居て欲しいと繰り返し話しても、彼は頑なに、「それは出来ない」と断り続ける。

そんないたちごっこを続けていて訪れたあの日。


仕事帰り、無理を行って食事に付き合って貰おうと出た繁華街。


そこで、ハルカの顔がこわばり、動きが止まった。


目線の先には長髪の男と見覚えのある女の子の顔。

二人は仲良さげに、手を繋ぎ談笑しながら歩いている様に見えた。



ハルカがそれに動揺しているのは確かで、それを露わにしている。


…こんなハルカ、見たことない。


あの子どこかで……

元々人の顔を覚えるのは得意だったから、すぐに思い出した。

経理の…子、だ。


焦燥感から、引き寄せてキスをしたけれど、結果はわかりきっていた。


「(リリイ、ごめん。今の俺がリリイに応えるのは無理。)」


ハルカは私を滞在中のマンスリーマンションまで送りすぐに去って行った。


“ハルカは、彼女に会うために日本へ戻った”


日本にヘルプで渡ったあの3ヶ月の間に彼女と何かあったのは明らかだった。


私にすら、固執しなかったハルカが、違う女性に固執し頑なに私を拒む。


そんな現実に絶望を感じた。


それでもどこかで仕方の無いことだと思おうと努力する。


けれど、そんな気持ちは、カナダの会社との再トラブルで簡単に打ちのめされた。



『(お前は本当に使えない)』


マイクの冷めた表情が脳裏を過ぎりいっぱいになる。


どうして…?
何で…私ばかりこんな事になるの?


そう思考が悲しく歪んだ瞬間、“冷静”は皆無になった。






「………。」


目の前で私のジャケットのボタンを、真剣に縫うサナ。


…肩を掴んで、勢い任せに捲し立てたのに。


ランチに付き合って、あっさり謝罪を受け入れ、こうしてなんの得にもならない事をしてる。


『(二度とこんな真似すんな)』


ハルカの辛辣に聞こえる言葉は、私が“冷静”さを取り戻すには充分で。


…そうね、ハルカ。
私には、彼女の様に人を思いやるという精神が欠けていた。

トラブルから逃げようとした私を責める事無くチームに戻してくれた、ユイト始め、メンバー。

そんな人の暖かさに、今更気付いた自分を恥じた。


…どうしてなんだろう。

ただ必死で仕事をして…自分の人生を懸命に歩んできたつもりだったのに。

いつから私はそんな自己中心的な人間になってしまったんだろう。


彼女に何の罪もない。ただ、ハルカに愛されただけ。
私のしたことは、自分が楽になる為に、人のプライベートを土足で荒そうとする卑劣な行為だ。

そんな私の前で、言葉の壁と気まずさを簡単に打ち破り、私の為にボタンを付けてくれている彼女。


見た目は気弱で平凡そうなのに、どこか凛とした所が垣間見える…。


ボタンを縫い付ける所作が、美しく見えた。


…ハルカが惹かれ、固執した唯一の人…か。



私も、やり直せるかな。
例えマイクやハルカに選ばれる事はなくても、もっとマシな人間に…なれるかな。


渡されたジャケットに袖を通して、綺麗に付けられたボタンを見た。


……明日からハルカとNYへ行く。


マイクはきっとハルカを直接説得出来る機会だと、そして…あわよくば、帰国させないと狙ってる。


だけど、そうはさせない。
ハルカには選ばれなかったけれど、私は“ハルカの幸せ”を願ってるから。


その幸せに、彼女が必要なら…。


英語で伝えてもきっと何も伝わらない。だから、ほとんど分からない日本語で、伝えた。


“チャントカエス”


必ず、彼を日本へ…あなたの元へ戻す、と。