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“今日は杉崎さんのおうちに行ける”
ゲンキンな話なんだけど、そう思うだけでいつもよりも頑張れる。
「今日は元気がいいわね~」
「途中で電池切れにならないでよ?」
なんて、経理課の人達に笑われるほど、てきぱきと仕事をこなしていたらしい。
長いようであっという間に退勤の時間になった。
年末調整関係の書類も昼休み返上でやったから、これで上がれるな…。
席を「お疲れ様」と立って行く他の人達に習って、私もPCを落とした。
「チョットスミマセン」
同じタイミングでカウンター向こうに現れた人。
あ…リリイ…さん。
ドキンと大きく鼓動が跳ねた。
「アナタ、シゴトオワッタ?」
その顔に笑顔は…無い。
小首を傾げた先で、ブラウンの髪が肩先をかすめた。
退勤の時間に合わせて尋ねて来る…。仕事の話ではないよ、ね。
唇を一度、キュッと結び「はい」と返事をする。
「…キテ」
言葉少なに踵を返すリリイさんに連れられて、廊下を出て行った先の給湯室。
小さな狭い部屋の中にL字型のキッチンを有すそこは、昼間ならば、秘書課の方を始め、各部署の方の出入りがそこそこある所だけど、この時間は丁度退社時間だからか、閑散としていた。
「……Do you love Haruka?(あなた、ハルカが好きなの?)」
やっぱり…杉崎さんの話だった…。
でも…どこで知ったのかな?私と杉崎さんがつながっているのを。
リリイさんが来てからほとんど杉崎さんと接触することもなかったのに。
そして、社内では、ヒミツにしている訳じゃ無いけれど、ほとんど私と杉崎さんの関係は知られていない。
となると…杉崎さんが話した…?
「Do you remember? I said he is my steady.(言ったわよね?彼は私の恋人なの)」
とてもゆっくりとそしてシンプルな英語で話すリリイさん。
けれど、その目は真剣で、“親切でゆっくり”とは訳が違う。
”どうしても通じる必要があるから、ゆっくり”
完全なる…敵意。
ギュッと、また口を真一文字にしたら
『沙奈と出会ってからは何も無い』
杉崎さんの言葉が頭を過ぎった。
…決めたんだもん。杉崎さんを信じるって。
「I don't want to answer it(答えたくない)」
「…オシエテ。」
低い声色に、気圧されながらも目をそらさずに首を横に振る。
「…嫌です。私の気持ちを知って良いのは杉崎さん本人だけだから。」
きっと、言葉の意味は通じないけれど、私が頑なに言わないという事は伝わったんだと思う。リリイさんの眉間の皺がより濃くなった。
「(あなた。ハルカがどの位ニューヨークに来て必死で仕事をしていたか知ってるの?それを全て投げて日本に戻るなんて…)」
さっきとはうって変わって、 今度は早口の英語で捲し立てる様に凄みをきかせて迫り来る。
その勢いにたじろいだら、壁にトン…と背中がついた。
「(あなたなんて、ハルカの事をよく知りもしないくせに…。あなたの何がそんなに良いのよ!教えてよ!)」
意味が分からないまま、掴まれ迫られて瞬間的に感じた恐さ。
両肩を掴まれて
「や……やめて…」
反射的に少しリリイさんを両手で押し返してしまった。
不意の事で、あまり手加減が出来なかったんだと思う。
押されたリリイさんは、そのまま一歩後ろによろけ、ピンヒールに足を取られて転ぶ。
しまった…。
「ご、ごめんなさい…。」
手を差し伸べたら、それを払いのけられる。
そこで、カチャリと給湯室のドアが開いた。
「…みっけ。ったく。どこ行ったかと思ったら…(ダメじゃん、リリィ。急に居なくなったら。皆探してるよ?)」
杉崎…さん…。
私達の所まで歩いて来ると、リリイさんに手を差し出して「(大丈夫?)」と声をかけて、立たせてあげる。
「(ハルカ…。酷いわ、彼女。私の事押したのよ?)」
杉崎さんが、一度私に目を向ける。それから、リリイさんにまた視線を戻した。
「(私はただ彼女のあなたに対する気持ちを知りたくて聞いただけなのに…)」
「(ああ…そうなんだ。で?教えてくれたの?)」
「(いいえ…頑なに…)」
「(そりゃ良かったです。)」
「(何言ってるの?彼女言わなかったのよ?良かったって…)」
「(や、だって。俺だって知るのに相当苦労したんだよ?
そんな簡単に俺以外のヤツにほいほい言われてたまるかっつーの。)」
リリイさんの目が大きく見開いた。
「(…この人の“気持ち”は、俺にとっちゃそれだけの価値があるんだよ。二度とこんな真似すんな。)」
……英語でしかも、二人とも早口だから私には会話の内容が全く分からない。
けれど、リリイさんはその目が戸惑い潤ったのは確かで。
杉崎さんの手を勢いよく振り払った。
「(……。)」
リリイさんの視線が私に移る。睨み付ける様に私を見つめるその雰囲気に気圧されたら、杉崎さんの背中で視界が遮られた。
「(…何で?そんなにその子が大事なの?)」
「(うん。すんごい大事。リリイが結局の所、マイクを大事にすんのと同じ。)」
「(だ、大事…じゃ、ないわよ。)」
「(じゃあ、なんでわざわざ日本に来たんだよ)」
「(だ、だからそれはハルカを連れ戻したくて…)」
「(マイクの為に?)」
「(ち、違うわよ!)」
背中の向こうで聞こえてくる会話。どんなことを話しているかは相変わらず全くわからない。
…けれど。
「(とにかく、俺は沙奈をほったらかしにして他の事に構う程の余裕はない)」
「(ハ、ハルカ…)」
背中に守られている気がして、そこに安堵を覚えた。
コンコン
不意にノック音がして遠慮がちにドアが開く。
「(あ!リリイ、居た!そんな恐い顔して…美人が台無しだよ?)」
髪の先がふわっと縦ウェーブになっている色白で目がぱっちり二重な女性がひょっこりと現れた。
「(もー!心配するじゃん!居なくなっちゃうと!)」
あれ…?あの人って…
『皆、杉崎と話すの楽しみにしてるよ!』
前に飲み会に誘っていた人…片瀬さん…だよね。この前は一つにゆるく結いていたけれど、下ろしていても雰囲気が柔らかくて可愛い感じ…。
その大きな目をにっこりさせながら、未だ怖い顔をしているリリイさんをもろともせず、リリイー!と言いながらぎゅうっとくっつく。
「(リリイは笑顔で居てくれないと。助っ人とはいえ、営業一課の大事な姫なんだから!)」
優しくけれど、明るい声色の片瀬さんに、リリイさんは口を尖らせたまま、けれど少しだけ冷静に戻った様子で、私をバツの悪そうに一瞥してから、瞼を伏せて深い溜息をひとつついた。
それから、杉崎さんの背中から顔を出している私をもう一度見た。
「…(ごめんなさい。取り乱したわ。)」
「あ~…リリイ、こんな所に居たの?ったく。(リリイが居てくれないと困るんだけど。部長が泣いてるよ?)」
今度は田辺さんがドアの向こうから現れた。「みっきー、ありがとうございます。」と笑顔を向け、片瀬さんがまたにっこりと笑ってそれに返す。
「遥も。ありがとうな。もう大丈夫だから。」
「あ~うん…唯斗、ごめん。ありがとね。」
「や?あくまでも『重要な案件』で出て来て貰っただけだし。」
「(ほら、リリイ)」とそっとエスコートして去って行く田辺さん。その後を片瀬さんが続く。
けれど、給湯室を出る間際、私の方へ振り返った。
「川上さん、私、営業一課の片瀬深雪です。」
「あ…経理の川上沙奈です…お顔は何度か…」
「わ!嬉しい!覚えていてくれたんですね!今度、飲みに誘ってもいい?!」
くったくない笑顔に瞬きをしたらまた、視界を杉崎さんの背中に遮られた。
「…みっきー。今日はみっきーが居ないと話が進まないって高橋課長が言ってましたよ。」
「あ〜はいはい、わかってるって!川上さん、今度また経理に書類を出しに行きますね?その時に連絡先交換しましょう!」
「え?は、はい…お待ちしてます…」
爽やかな笑顔の残像を残し、パタンと給湯室のドアが閉まった。
…何だか、懐っこくて可愛い人だな。
田辺さんと杉崎さんが敬語混じりと言うことは、先輩だろうけれど、名前はあだ名呼び…そう言うことを気にしない方なのかな。めちゃくちゃ綺麗だし、凄い素敵な方…
「おりゃ」
「ぎゃっ!」
ビシッとおでこに痛みが走った。
デ、デコピン…
「なーにが『お待ちしております』だよ。ったく…」
目を細めて、不服そうに私を見る杉崎さん。
お、怒ってる…
そりゃそうだよね…リリイさんの事押し倒したりして。杉崎さんが来て話をして収まったとはいえ、きっと呆れた…よね。
「…すみませんでした。」
「それは何に対するスミマセンなのよ」
「リリイさんを押し倒して…ご迷惑を…」
「おりゃ」
「ぎゃっ!」
ま、また…デコピン。
「あーあ…ちょっと赤くなった」と私の抑えた手を引きはがしてそこを見ている杉崎さん。
そのままフワリと唇同士を重ねる。
「…手当。」
「痛いのはおでこ…」
いや、実際には大して痛くはないけど。
「気のせいでしょ。」とつぶやきながらふぅとため息をついた杉崎さんが、ギュウッと私を抱き寄せた。
「…ごめん。本当に脇が甘いわ、俺。」
耳元にポツリと呟かれる言葉に、力が抜けて目頭が一気に熱くなった。
……杉崎さんがどこからどこまでを知っていて、どの位どう理解しているのかはわからない。
リリイさんと何を話したのかもわからない。
けれど。
私の味方になってくれたんだ、って事は……その言葉で伝わる。
そして…信じてくれたんだ。
私が、訳も無くリリイさんを押し倒したんじゃないって。
杉崎さんにしがみつく様に引き寄せて顔を埋めた。
「…どんと来い。」
「昨日から思ってたけど、若干おかしくない?言葉のチョイス」
クッと短く吹き出す声が耳元に聞こえて来て、嬉しい気持ちが更に大きくなる。
「…沙奈、帰ろっか。」
「はい…」
うん…。帰る。
杉崎さんのおうちに。
………あれ?
でもそういえば、杉崎さん、今日休みのはずじゃ…
「あの…どうしてここに?」
杉崎さんが「今更?!」と今度は大きく笑い、より固く私を抱きしめた。
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