オレノペット




杉崎 さんの身体をなるべく動かさないように気を付けながら何とか下から抜け出して、毛布を取ってきて掛けた。


どうしよう…おうちに帰ってきちんとベッドで寝かせてあげたい。


けれど、タクシーを呼んだとしても、私一人じゃ運べない…かも。


時刻はもう10時近い。


シリシさん…結構お酒を飲んでいたしな。


不意に反対の203の方を見た。


…厚かましいかもしれないけれど。

そして、出て来てくれないかもしれないけれど。


意を決して、立ち上がり部屋を出た。


203の部屋の前に立って一度大きく深呼吸。
その後、戸をそっと叩く。


「す、すみません…。隣の川上ですが…」


遠慮がちに言葉をかけると、ドアの向こう側で確かに少し動く音がした。

けれど出ては来ない。


やっぱり…無理かな。


山田 さんはパン屋さんで朝が早いし。この時間はもう……


ドンドン!

「おーい!パン屋!出てこい!沙奈にフラれるよ!」


えっ?!シリシさん?!


「い、いつの間に…」

「ああ、あたしはこの時間位からが活動時間だからね。酔い冷ますのにシャワー浴びようと思って出て来た」

「そ、そうだったんですか…」

「何?夜這い?」

「…違います。」

「だろうね。沙奈がされるならわかるけど。」

「…俺はそんな卑怯な手は使わねーもん。」


戸がギイッと開いて、口を尖らせた山田さんが不服そうに顔を出した。


「おっ!出て来た、パン屋」

「おめーはうるせえ。眠気と葛藤しながらようやく起きたんだよ。」

「す、すみません…」

「沙奈ちゃんだから起きたの。礼には及ばねえ。」

「格好いいようで、恩着せがましい。」


ああ言えばこう言うシリシさんを口を尖らせたまま一瞥すると、「どした?」と私に視線を戻した。


「じ、実は…その…知り合いが今家に来てまして…熱が酷くて倒れてしまって。」

「沙奈、それ、もしかして、優男の“杉崎 さん”?」


シリシさんが、私を覗き込む様に聞いたら、山田 さんが「えっ?」っと少し驚く。


「杉崎 …?って遥か?
口が悪ぃのに可愛えー顔してて、何かとちょっかいかけてくるくせに、乗っかるとあしらう、そんな感じのやつか?」

「…パン屋、随分掌で転がされてるな。」

「えーんだよ!遥は。俺のパン美味いって食ってくれんだから!そりゃ毎回クリームパンオマケするだろ!」


…ものすごい転がされてる。


「数ヶ月前から定期的にカレーパンとクリームパン買いに来るんだよな、あいつ。
沙奈ちゃんと遥って…そか、会社が同じだなそーいや。んで?今沙奈ちゃんちにいんのか。」

「は、はい…それで…
熱が高いみたいなので、おうちに送って行きたいんですけど、眠ってしまって私一人では家まで送っていってあげられそうになくて…タクシーを呼びますので、部屋まで付き添って頂けないでしょうか…」

「…んー。しょーがねーな…」


面倒くさいよね、こんなこと…


と、思ってたら山田 さんがいきなりスマホでどこかに連絡を取りだした。


「あ、駈?沙奈ちゃんちに高熱の男がいんから、送ってく。車出してー。あと、知り合いの…なんつったっけ、あの毒舌の医者。呼んでくんねーかな。」


あっけに取られてる私の頭を山田 さんのスラッとした掌が撫でた。


「…心配すんな。ちゃんと無事に家まで送り届けてやっからさ。」

「おっ!パン屋、いつになくいい男じゃん。」


シリシさんに言われて、少しだけ口を尖らせる山田 さん。


「そりゃ、常連客のピンチだぞ。助けて当たり前だろ。それに…沙奈ちゃん、この前と比べものにならねーほど、えー顔してんもん。助けてやらにゃ。」


山田 さん…


「あ、ありがとう…ございます。」

「その代わり元気になったらパン買いに来いって遥 に言っといて?」


もう一度私の頭を撫でた手が、凄く、凄く…優しく感じた。






.






「…過労だねこれ。寝不足だったんじゃない?熱は高めだけど、軽い風邪だから。」


程なくして、久我さんが何事かと現れ、お医者さんを呼んでくれた。


「一応薬出しとく。後は『目当ての女』が手取り足取り看病すりゃ治る。」


どことなく口が悪いけれど名医らしいその人は意味ありげにニヤリと笑い私を見る。
それに促されるように久我さんと山田 さんも私を見た。


……や、見られても。
『目当ての女』が私かどうかは…。


お医者さんが帰っていった後、久我さんが「ねえ」と私に向き直った。


「彼…」

「遥 !」


山田さんが隣から横やりを入れると、久我さんが少し眉を下げる。


「…“遥”はさ、沙奈ちゃんに用事があって来たんじゃないの?それとも会いに来ただけ?」

「それは…」

「これはあくまでも提案なんだけど。
外は雨で寒いし、今、結構よく眠ってるみたいだから…無理矢理送ってくよりも、今日はここに居た方が遥はいいんじゃねーかなってね。」

「でも、ここだと暖が思う様に取れないから…」

「駈んちのフカフカな布団借りたらえーよ!」

「…ちょっと待った。尚太君、何でうちの来客用の布団がフカフカだって知ってんの?」

「えー?」


久我さんはへらっと笑う山田さんに苦笑いしてから、また私に視線を移した。


「俺達としても彼を車で彼宅まで運ぶより屋敷からここまで車で布団を運ぶ方がラクだし。明日もし遥が動ける様なら、時間が合えば俺、送ってくよ?」


「どの布団貸せるかちょっと聞いてみる」とお手伝いさんらしき人に電話をし始めた久我さん。

それを見て「よかったな、沙奈ちゃん」と山田さんが微笑んだ。


「すみません…巻き込んでしまって」

「えーよ。沙奈ちゃんだもん。全然嫌じゃねえよ。」


「遥 だしね」と言いながら、杉崎 さんが寝ている横に腰を下ろし、それを見る山田 さん。


「そう言うもんだろ。
相手が好きなら、いっくらでも無理も出来るし、そいつの為に頑張れる。」

「…尚太君はそれが特に顕著だよね。」


電話を終えた久我さんが「丁度クリーニングから帰って来たやつ一式貸せるみたい」と隣にやってきた。


「駈の為なら例え火の中、水の中…」

「や、あなた俺をそんな扱いしたことないでしょ。」

「えー?」


二人の仲良さげな会話を微笑ましく見守りつつ、心の中で感謝した。


……ここに引っ越せて良かった。
紹介してくれた皆山さんにも感謝だな…。