オレノペット





やっぱり活動時間帯が違うからだよね…きっと。


私が夜寝る支度をしている頃201では時々ごそごそと音がする。

山田 さんに至っては…本当に居るのかわからない。その位静か。


一度だけ、夜中に目を覚ました時に203の扉が開く音がしたかも。

だけどその程度だもんね…


経理のカウンターに座り、いつも通りパソコンの数字の入力作業をしていたら、目の前に人影が出来た。


「書類、お願い。」


顔を上げる瞬間に、目で確認するよりも先に鼓動がドキンと跳ね上がる。


一週間ぶりだ……杉崎 さん。


「あ…は、い…」


震える手で、それを受け取り、書類に目を落とした。


「…ど?引っ越し先。」


杉崎 さんがカウンターに寄りかかりながら、私の耳元に顔を寄せる。


それだけで、顔が熱を持ち、身体に緊張が走った。


「と、特に問題は…な、いです…」

「…そっか。良かったね。」


番号札を渡しから受け取ると、少しだけ周囲を確認してから、ポンと私の頭に手を乗せた。


「まあ、頑張って?」


前ほど快活ではないけれど、相変わらず優しく柔らかい笑み。

温かさすら伝わる掌の重み。

それに反応して勝手に涙が込み上げる。

「じゃあね」と経理部を出て行った杉崎 さんを、反射的に追いかけた。


「あ、あの!」


廊下に出た所で声をかけたら、少し驚いた様子で振り返る杉崎 さん。


「い、以前…引っ越しが済んだ後で、お話をする時間を頂きたいと話しましたが…。ち、近々、お時間を頂けないでしょうか…」


「お願いします」と頭を下げた私に、「ああ…うん。」と返事をして、完全に向き直った。


「じゃあさ…今日の昼休みに…「ハルカ!」


顔を上げた瞬間、見知らぬ人が視界の中に現れた。


黒髪に、そばかす。スラッとしていて、可愛らしい感じもする。鼻筋の通った美人。

そして…瞳が蒼い。

それがその人に抱いた印象。


「はっ?!リリイ?!」


不意に昔見た、スマホの画面を思い出した。



“着信 Lily”



「(会いたかったわ!ハルカ!)」


私が目の前に居るのが見えていないのか、それとも見えていてもお構いなしなのかはわからないけれど、臆する事もなく、杉崎 さんにギュウッと抱きつくその人。


「ちょ、ちょっと…(止めてよ)」

「(あら、何よ。日本だから?)」

「(や、普通にNYでもダメ。)」

「(どうして~?今は違うとは言え、私、あなたの“ステディ”でしょ?)」


全ての英語を聞き取れた訳じゃ無い。


けれど…


「す、“ステディ”……」


ハッと二人でこちらを見た。


「あのさ…「こんにちは!ワタシ、NYシャのリリイです」


杉崎 さんの話を遮って、リリイさんが私の前に進み出て、手を取り握手。


「ハルカのステディでもアリマス」

「リリイ…」


杉崎 さんが、そんなリリイさんの肩を押さえて少し私から引き離す。


「(ハルカ!今日のランチはどうする?私、和食が食べたい!)」

「あー…」


何か言われて私の方を見た杉崎さんが、溜息を少し吐き出した。


「…沙奈ごめん。また連絡する。」


リリイさんが杉崎 さんの腕に嬉しそうに絡み付いて、そのまま二人で去って行く。


その後来た杉崎 さんからのメッセージ


“何とか時間取るから。ちょっと待ってて”



『じゃあ、今日の昼休みにさ…』


約束、しかけてたのに、ダメになったな…



『沙奈のが大事』


……以前、杉崎 さんはリリイさんから何度も着信があった時、そう言って出なかった。


『ステディデス!』

否定……しなかった、杉崎 さん。


気持ちの中に暗雲がもくもくと立ちこめる。



休み時間、在庫整理室に一人足を踏み入れた。
相変わらず人気の無いそこは、空調が利いているとはいえどことなく寒くて。壁にもたれてそのままズルズルと座り込み、膝を抱えた。


…そりゃそうだよね。杉崎 さんだよ?

恋人がいないわけないじゃない。


ただ…日本に居なかったから、寂しさを埋めるために私を“飼った”。

路頭に迷い行き倒れそうになっていた私を……拾い、助けた。

それだけ。


“懐きなよ、ペットさん”


私は……ただのペット。


視界が滲み、顔を膝小僧に付けた。


”杉崎 さんはそんな人じゃない”


自分に生まれた考えを一方で否定する自分も居て。

けれど、それを『都合の良い考えだ』と更に否定する自分が居る。


堂々巡りの中、ただ、ただ、悲しく、寂しくなって、涙が溢れた。


唇の端から涙が口に入り込む。


「しょっぱ………」


『沙奈、泣き止んでよ。キスがしょっぱい』


優しかった彼の柔らかい笑い声も唇も撫でてくれる掌も全部、こんなに鮮明に思い出す。


恋人が近くに来た今
もう……杉崎 さんは、私の事を思い出す時間なんてなくなるのかな。





拭いても拭いても出てくる涙を何とか止めて、一度濡れたタオルで冷やしてから、愛用のホットアイマスクをして、ブルーライトメガネもしっかりかけて臨んだ午後の仕事。


お遣いを頼まれて出たついでに、何となく山田 さんのパン屋へ寄ってみたくなった。


ビルの間を抜けて、大通りを曲がった先。

カフェや雑貨屋さんとの並びにこぢんまりとした白い塗り壁のお店があって、立て札に小さく“Bekkarai Yamada”と手書きで書かれていた。



木枠のドアをそっと開けて中に入る。


「いらっしゃいま…おっ!沙奈ちゃん!」


山田 さんが、にっこり笑って、カウンターから「いらっさい」って顔を出した。


「凄く良い匂いですね…」

「だいぶ売れちまって残り少ねーけどね。」


パンが並ぶお店の表側に出て来てくれた山田 さんは、真っ白なにコックさんが被るような帽子。そして、白いエプロンという出で立ち。


「パン屋さんの格好をじっくり見たの初めてです…格好いいですね!」

「そか?粉まみれだぞ?
沙奈ちゃんは、可愛えーな。会社員の格好。」

「そ、それこそ、ただの事務服です…」

「まあ、お互い見慣れないから良く見えんだよね、きっと。
あ、沙奈ちゃん、洋酒とかドライフルーツ、ナッツ類入ってるパンとか食べられる?」

「はい。」

「んじゃあ…」


側にあった袋に入った粉砂糖のかかった少し大きめのパンをトレーに乗っける。


これ…結構重たいけど…


「これ、シュトーレンっつードイツのクリスマス用のお菓子。クリスマスを待つ間、少しずつ食べんだ。」

「少しずつ…ですか?」

「そ。毎日数枚スライスして食べんの。一ヶ月以上日持ちすんだけどさ。
洋酒とドライフルーツが入ってんから、どんどん味が変化すんの。」

「面白そう…」

「じゃあ、それは俺からクリスマスプレゼントで、あげる。」

「え…あ、いや、お支払いします。」

「んにゃ、えーよ。」


ニッコリ笑うと、店の奥へ消えていき、オーブンを確認してまたカウンターからひょっこり顔を出した。


「沙奈ちゃん、顔が泣いてるぞ?」

「え…?」

「この前、俺が焼いたピザと安生ちゃんの唐揚げ食ってた沙奈ちゃんは、すっげーいい顔してたから。今日は凹んでるってすぐわかった。」


オーブンが後ろでピーっと音を立てた。



石窯のオーブンをそっと開けて、オールのような大きな板で、焼けたパンを取り出すと、トレーに並べて、カウンターに置く。


あ…焼きカレーパン…


瞬間的に、杉崎さんの丸っこい指と、柔らかい笑顔が蘇る。


「12月はクリスマス。楽しまにゃ、損だぞ。」


「食う?」と、焼きたてのそれをトレーごと持ち上げて差し出す。


「ちゃんと美味いと思うもん食って笑ってりゃ、大抵のことは乗り切れる。」


山田 さん……。


……そうだよ。
めそめそしていたって現実が変わるわけじゃない。


「…食べます。」

「おっ!いくつ?」

「全部お買い上げで!」

「ちょーっと待った!それ、さっき『焼いてやっから、自分で味を覚えて帰れ』って山田 さん言ってましたよね?!」


横から、小柄の女性が現れた。

若そうだけど、成人はしている気がする。

パン生地みたいに白い肌で目が細めの二重で、瞳の煌めきが目立つ感じの整った顔。


「ちょっと倉庫に行ってる隙に…」

「うるへーな… かりん。気が変わったんだよ…」

「じゃあ、私をここで雇ってください!」

「やだ。クリスマスだけならいいけど。」

「それ…超不純ですよね、私が機械なしでもメレンゲ立てられるから、クリスマスシーズンは重宝するってだけで。」

「う、う、うるへー!俺は苦手なんだよ、メレンゲ!」


や、山田 さん…すごいムキになってる…

いや、でも、手動でメレンゲ作れるかりんさんは凄いけど。


「山田 さんのパンが好きなんです!いや寧ろ、山田 さんに惚れたんです!タダ働きでいいですから置いて下さい!」

「やだ。」

山田 さん…顔がデレデレしてる…


「かりん。おめーのカレーパンは、また明日焼いてあげるってば。その代わり、手伝えよ。」

「え?!」

「雇うとは言ってねーよ?」

「はい!分かってます!」


ガッツポーズの かりんと呼ばれたその人。


「毎日通い詰めて告白しまくってた甲斐がありました!」と言いながら厨房の方へ去って行った。


毎日通って告白…


はねのけられた時には、多少なりともきっと傷つくわけで。

そこに再び向かうエネルギーが凄い。


山田 さんのパン…そして山田 さんを慕う想いがすごく強いんだろうな。


山田 さんのお店を出た後、見上げた空は、いつになく夕焼けが、流れゆく雲を赤く染めていた。


私は…どうだろうか


砕け散っても尚、杉崎さんに想いをぶつける程の覚悟と熱意が…あるんだろうか。