「沙奈…ちゃん?」
名前を呼ばれて、ハッとした。
そうだ…皆山さん…
振り向いたそこには皆山さんが立っていて、目を見開いている。
は、恥ずかしい所を見られてしまった…
「あ、あの…ですね…」
何て言い訳をしようか考える私の少し前に、杉崎さんが進み出た。
「皆山さん、お久しぶり。ここ通ってんだって?」
「う、うん…」
皆山さん、凄く戸惑ってる…
そりゃそうだよね、一人で待っているはずの私が、知り合いの杉崎さんに抱きついてるんだもん。
「えっと…沙奈ちゃんと遥はその…」
「ああ、この人、今一緒に暮らしてんの。」
ポンッと頭の上に杉崎さんの掌が乗る。
それを見て、皆山さんが真顔のまま少しだけ首を傾げた。
「…沙奈ちゃん、居候してるつったよね、この前。一緒に暮らしてるのは彼氏じゃないって…」
頭に乗っている、杉崎さんの指先が少しぴくりと動いた。
その後で私を一瞥して「ふうん…」と呟く。
「沙奈、そんな風に言ってんだ。」
「えっと……」
「へー…ほー…なるほどねー…」
「あ、あの…」
な、何か…怒り出した?
仏のような笑みが怒りオーラに包まれてる気がする。
で、でも…私、嘘は言ってないよね?
“彼氏です!”なんて言ったらそれこそ、傲慢というか、図々しいと言うか…
「ふーん…そうなんだ。居候ねえ…」
「す、杉崎さん…あ、あの…」
「ねえ!」
怒りオーラ全開(ある意味啓汰と対峙した時よりも恐い)の杉崎さんと私のやり取りに皆山さんが割って入った。
「沙奈ちゃん、来週いつにする?プール!」
「え?えっと…」
「…皆山さんと日にち合わせて来てんの?」
「今週は違うけど、来週からはそうするつもり。沙奈ちゃん、俺に泳ぎ教わる事になったの。ね?」
「は、はい…」
皆山さんの黒目がちな目が穏やかに杉崎さんを捉えている。
「……『ダメ』とは言えないよね。彼氏じゃないんだし。」
杉崎さんが、それに少し眉を下げた。
「…皆山さん。」
「何?」
「頭のてっぺんのつむじらへんの髪が逆立ちして跳ねてる。」
「えっ?!マジで?!直して、遥!」
「はあ?自分で直せよ、その位さ…」
ブツブツ言いながらも、丁寧に髪を直してあげる杉崎さんに皆山さんの表情はだらしなくニコニコしている。
「ありがとう~!遥!」
「おわっ!くっつくな!暑苦しい!」
な、何だろう……急に仲良し。
皆山さんにぎゅうぎゅうされながら、私を見て杉崎さんが眉を下げた。
「…とりあえず、帰りません?ここに居座っててもしょうがないから。」
「うん!帰ろう!」
「あなたは一人で帰って下さい。」
「残念でしたー!沙奈ちゃんと一緒に帰る約束してるもん」
「…ほう。“一緒に帰る約束”を。」
再び、作り笑顔が目の前に現れる。
お、お怒り……
だって、帰る方向一緒だしいいかなって…でも、ダメだった…のかな。
「…じゃあ、丁度皆山さんも居る事だし、夕飯は皆山さんとこでお弁当買ってこっかな。」
…外食じゃなくなった。
ハンバーガーでもなくなった。
これは、『とっとと家に帰りたい』って現れなのでは。
「今日はね、本間が店やってんの、俺の代わりに!」
「誰なんだよ、本間」
「えー?本間だよ、本間。」
「はいはい、本間、ね。」
再び二人でじゃれ合いながら、歩き出す。
何だか学生時代からのお友達みたい。
その微笑ましい光景に気持ちも顔もユルユルさせながら、皆山さんのお弁当屋さんでお弁当を買って(本間さんという人にも挨拶して)着いた家路。
けれど、お弁当を食べる間もなく
「…先風呂。塩素、落とすよ。」
お風呂場に連れ込まれた。
シャワーをかけられ、湯気がお風呂場の中に充満する中
後ろから繋がり、いつもより乱暴に揺すられる身体。
「…“居候”さん?キモチイイ?」
耳たぶを甘噛みされて、そんな言葉を吐息と一緒に注がれる。
行為が始まってから、一度もくれないキスが欲しくて、「杉崎さん…」となけなしの声を振り絞る。
だけど、妖艶に笑う目の前の恋しい人は、「ダメ。」と受け付けてくれない。
「…“居候”なんでしょ?」
キスをくれないからなのか、杉崎さんに“居候”を連呼されるのが嫌なのかはわからないけれど、悲しくて、胸の奥がぎゅっと苦しくなる。
……どうして?
“居候”がそんなにいけなかったの?
だって…じゃあ、どう言えばいいの?
“私は杉崎さんのペットです”なんて他人に言えるわけない…。
悲しい気持ちのまま、けれど杉崎さんを求める身体は彼を受け入れる。
互いに果てた後、浴槽を支えに項垂れる私をそっと杉崎さんが包み込んだ。
「…もっかい浴びよっか、シャワー。」
穏やかな、いつもの杉崎さんの声。
それに安心を覚えたんだって思う。
涙がぽろぽろと流れ落ちてきた。
温かなお湯と杉崎さんの包み込んでくれる感触。
「……ごめん。最低だったね、俺。」
穏やかな言葉に懸命にただ首を振った。
…見えない、杉崎さんの気持ちが。
最初はそれを何とも思わなかったのに。
今はそれが苦しくて仕方がない。
いつも通り湯船の中で私を包み込んでくれる腕。
だけど、やっぱりどことなくそれが苦しく感じる。
肩に杉崎さんの顎が乗っかった。
「…沙奈。家、どう?見つかりそう?」
急にふられた話に、ドクンと鼓動が不安の音を立てた。
…初めて、杉崎さんの口から家探しの話が出た。
「ま、まだ…その…」
「や…うん。へーき。ゆっくり探して?」
夢から現実にいきなり引き戻された様な、足場を失い落ちていく様な…そんな感覚を覚えて、内から震えが起こる。
それが杉崎さんに伝わらない様に一生懸命お腹に力を込めた。
「す、すみません…」
ようやく絞り出した言葉を杉崎さんがどう受け止めたかはわからない。私を包む腕に力がこもりより引き寄せられて、頬同士が触れ合った。
「や、寧ろ、ごめんは俺でしょ。
沙奈、俺に結構な扱い受けてるもんね。」
「そ、そんなことありません!」
自分でも驚くほど反射的に声が出た。
勢いよく振り返ったらバシャっと水面も飛び跳ねる。
だって…私、杉崎さんに悪いと思って欲しくない。
ずっと、ずっと…その優しさに救われ、安心を貰ってきたんだから。
「私……本当に杉崎さんが居なかったら、今頃どうなっていたか。本当に感謝してるんです!」
また、涙が込み上げてポタンと水面に落ちていく。
「お願いです…絶対に“悪い”とか“ごめん”て…思わない…で…」
杉崎さんがそんな風に思う事が…私は一番悲しい。
少し目を見開いた杉崎さんの瞳が潤いを増した気がした。
薄めの唇が弱々しくも弧を描き、微笑を作り出す。
それからもう一度その腕で私の身体を引き寄せて抱きしめ直した。
「……ありがとう。」
「ありがとうは、私です。」
「いいんだよ。俺も”ありがとう”なの。」
ふわふわと立ち上る湯気に混ざる杉崎さんの優しい声。
後ろから抱きしめられているから表情は分からないけれど、何となく温かさの中で溶け合う感覚に心地良さを覚えて、しばらくそのまま目を閉じた。
「…そういや、皆山さんに泳ぎ教わるの、いつ頃まで続きそう?」
暫くして口を開いた皆山さんは、いつも通りの声色にもどってた。
「え、えっと…あ、でも…ダメならお断りを…」
「や、別に沙奈がやりたいなら良いんじゃない?
俺もさ…ちょっと暫く忙しいかもしんなくて。だから、水泳続けるなら、その日は皆山さんに送って来て貰えば安心だし。
まあ…無いとは思うけど、一応ね?あいつがまた接触してこないとも限らないし。」
「け、啓汰……」
「そ、啓汰くん。」
杉崎さんがうなじに、唇をチュッとつけた
「……話す話さないは沙奈の考えだから仕方ないけど。出来ればこの前遭遇した時点で教えて欲しかったかも。ああなっちゃう人は結構危険だよ?」
「す、すみません…」
「や、まあ…話にくい事ではあったと思うけどね。」
鼻をうなじにつけて、更に引き寄せられた。
「…沙奈に何かあったら大変でしょ?」
顔も、瞼の奥も…同時に熱くなる。
嬉しいのに、苦しくさせる、甘い言葉
「……溶ける」
呟いた私をフハッと杉崎さんが吹き出した。
「“のぼせる”じゃなくて?」
触れられる感触に更に顔が上気する。
「んじゃ…あがろっか。」
熱くなった耳たぶに杉崎さんの唇が微かに触れた。



