鞄を持って立ち上がる瞬間、右手をギュッと握られた。
「遅れると唯斗がうるさいから、とっとと行くよ。」
扉付近に立ってた店員さんが「ありがとうございました」と笑顔で会釈する。
「あ、あの…お会計……」
「ああ、支払っといた。沙奈、小銭出すのにもたもたしそうだから。」
う…そ……
「は、払います…」
「あーほら、今財布出すと、ややこしくなるから。急ぐよつったでしょ?」
信号で立ち止まると、指を絡めて繋ぎ直される手。
そういえば、こうやって手を繋いで歩くって今まで無かったな。
そもそも、一緒にお出かけしたことないもんね…。
今日こうやって手を繋いでくれてるのは……ペットが迷子になるかもしれないから?
スマホで場所を確認しながら進む杉崎さんをチラリと横目で見たら、「ん?」と少し小首を傾げる。
「疲れた?もうちょいで着くけど。」
……カフェを出て5分でそれ聞くか。
やっぱり、甘やかし具合がレベルアップしてる気がする。
「あ、あの…杉崎さん…」
「何でしょ。」
「私、そんなに甘やかされると溶けちゃいます。」
杉崎さんがハハッて楽しそうに笑って繋いでいる指に少し力を入れた。
「まあ、いーじゃん。甘やかされるうちが花だよ?」
「だ、だけど……」
借金の肩代わりしてもらって居候もさせてもらってその上こんな甘やかされて……何だか、これでいいの?なんて思ってしまう。
葛藤でむうっと口を尖らせたら、杉崎さんが何か思いついた様に口角をキュッと上げる。
「じゃあさ」と突然繋いでいる手を引っ張って路地へと私を押し込んだ。
「俺も沙奈に甘えてから行こっかな。」
私を壁際に追い詰め顎をクイッと持ち上げる杉崎さん。顔を傾け寄せると一瞬フワリとキスをする。
「…一緒に唯斗に怒られてよ?沙奈が誘惑したんだから。」
首筋に触れた唇が、首元、鎖骨…と段々下へ下がって行く。
「……っ」
肩に手をかけられてスルリとオフショルダーブラウスの袖を少しずらされ、出て来た胸の谷間にまたキスが落ちてきた。
……人気の無い路地に入っているとは言え、ここは外。
だけど、瞼を閉じた先で感じる、これまで幾度となく味わった杉崎さんの柔らかい唇に夢中で、どうだってよくなってくる…。
「…このまま帰る?」
離れた唇が少しばかり銀の糸で繋がる。
杉崎さんの親指が私の下唇をそっと辿る事でその形跡を消した。
「まあ…“人付き合いも大事”か。」
杉崎さんが私のブラウスを整えてくれて、「行くよ」と再び手を引く…けど。
…どうしよう。ものすごーく家に帰りたい。
触れ合う杉崎さんの素肌の感触とかそれに抱き包まれた気持ちよさとか…
『沙奈』と耳元で囁かれる掠れ声まで思い出してしまって、思わず繋いでいる手に力が入り引っ張ってしまった。
それに振り返った杉崎さんがクッと含み笑いして、耳に顔を寄せる。
「…安心しな。帰ったら嫌って程抱いてやるよ。」
ば、バレてた…私の考えてる事。
羞恥心なのか、言葉から漏れ出る杉崎さんの色気なのか、一気に顔が上気する。
「す、杉崎さん…ずるい!」
返す言葉がみつからなくて、手を固く握ったまま少し乱暴に振り下ろしたら、ハハッと今度は声を出して笑われた。
「嘘はついてないよ?思ってる事を正直に言ったまでです。」
「ほら、行くよ?」と再び手を引かれ、気持ちがまた嬉しさと苦しさを併せ持つ。
杉崎さんと居る空間はどんどん居心地良くなって、でも、やっぱりどこかそこにハマりきらなくなっている。
…ハマりきらない理由は自覚してるけれど。
“ペットさん”
杉崎さんは、私が杉崎さんを好きだって言ったらどう思うんだろう…。
.
田辺さんの予約してくれたお店に着いたのはそこから10分後位。
どうやら田辺さんも遅れていたらしい。スマホに『少し遅れるから先に飲んでて』とメッセージが入ってた。
茶系のイメージの店内は、カントリーを思わせる作りで、丸太を横に切った様なカウンター席を通り過ぎた所にある丸いテーブルに『reserve』と書かれたブルーの札が立っていた。
座り心地の良さそうなソファの様な椅子がその周りに三つ。
席について程なく、田辺さんが到着した。
「悪ぃ、遅れて。カナダの取引先が、ちょっとトラブったみたいでさ…」
「マジで?あ~…あそこ、よくうちを頼ってくるもんね。」
「だよな。」と杉崎さんに相槌を打ち、背負っていたリュックを下ろしながら私を見た田辺さんが苦笑い。
「……遅れてごめんて思ったけど、要らない謝罪だった?」
何だろう…
首を傾げながら杉崎さんを見たら飄々とした表情で、同じ様に首を傾げて見せるだけ。
「あ~…ストールとか持ってんなら首に巻けば?」
もしかして、田辺さん、私が肩を出しているのが気になるのかな。
ストールを取り出して羽織ると案の定納得したのか「じゃあ、まあ…乾杯する?」とビールグラスを持ち上げた。
「…で?いつからなの?」
乾杯の後、ピスタチオをパクリと口に入れる田辺さんは手慣れていて何だかスタイリッシュ。
イケメンは何でも様になるな…
「俺が最初に三人で飲みに行こうって言った時はもうそういうことになってたわけ?」
でも、田辺さんの質問の意図が見えそうで見えない。
再び首を傾げたら、横からヌッと杉崎さんの少し丸みのある掌が伸びてきて頭にポンと乗っかった。
「あー…ごめん、唯斗。俺も中々、言うタイミングが無くてさ。この人もあんまり自らそういうの話さない人だから。ぼーっとしてるっつーか、疎いっつーか…ね?」
ね?と言われても…なんの話だろう。
同意も出来ず、瞬きして見せたら、今度は杉崎さんが眉を下げた。
「ほら、疎い。」
そんな私達を見て、杉崎さんは楽しそうに目を細めて笑う。
「まあ、"良かった''じゃん。」
"良かった"……?
「あの…「沙奈、何食う?ポテト好きだっけ?」
杉崎さんが言葉をかぶせると、田辺さんは更に楽しそうに笑い、そんな田辺さんを杉崎さんが一瞥してメニューに目を戻す。
…二人の中で何か通じ合ったのかな、今の会話で。
だったら、まあ…いっか。
社内でも噂になるほど、仲良しな同期の二人。
実際に親しげに話している所を見るのは今日が初めてだけど…
互いに楽しそうに色々な話題で言葉をやり取りしていて、美味しそうにビールを飲みながら沢山笑う杉崎さんに、ああ、田辺さんの事を本当に好きなんだな…って私も嬉しかったし楽しかった。
「…でさ、営業部長の高橋さんはさ…やり手なのにいつもヘラヘラしてんだよね。全然そう見えない。」
「“能ある鷹は爪を隠す”ってやつですね…」
「そういや遥は、新人の時も上司で、なんだかんだ仲良いよな。やっぱ、あんな感じで『能ある鷹』なところ変わらないわけ?昔から。」
「いや、唯斗…あれが、鷹に見える?垂れ目なのを良いことに、それを武器として前面に出してるじゃん。
まあ…すぐ交渉まとめちゃうのは確かだけど。で、時間余ると、『よし!杉崎君、飯だ!』っつって、またニコニコ…。
まあ、いっつも奢って貰ってたし、飯食ってる時一切仕事の話しないから、一緒に居てストレスはないよね。俺にとっちゃ運の良い話。」
杉崎さんの意外な交友関係が明らかになった頃、テーブルの上に置いてあった田辺さんのスマホが少し震えた。
それを手に取った田辺さんは苦笑い。
「あー噂をすれば、だよ、遥。」
「…うん。そうだね…」と同じくスマホを見た杉崎さんも、眉を下げる。
「…ごめん、沙奈。どうやら俺と唯斗、社に戻んないとダメかも。」
最初に言ってたトラブルの話かな…。
「約束で飲みに行くからつったんだけどな…担当、大木と前島だからって油断して結構飲んじまった。前島の書類、結構完璧だったけどな…。」
「交渉得意な大木と書類作成がピカイチな前島…あの二人でダメって事は、高橋課長まで行かないとダメって事だもんね。
って事は通訳と詰めの書類作成する人が居ないと。そういや、通訳出来るみっきーは出張だっけ。」
「ああ…だからか。
それで遥と俺ってワケね。まあ…さっきも先方から『スギザキは居ないのか』って言われてたけど。」
「マジで?あ~…先方の担当者の人、苦手なんだよなー俺。ヤだな~…」
ウンザリ苦笑いしつつも、目がキリリと輝き、引き締まり、どこか楽しげな二人。
仕事の出来る人ってやっぱり格好いいな…。
「あ、あの…私は大丈夫ですので、二人で戻ってください…」
「あーうん。戻るんだけどさ…ちょっと先に、NY社に連絡入れたいかも。唯斗、NYの担当者は誰?」
「あ~………っと……“リリイ”」
…気のせいかな。
一瞬、田辺さんが私を見て言うのを躊躇った気がした。
けれど言われた杉崎さんはふうんと特にリアクションも無くスマホを耳に当てて店を出て行く。
じゃあ…やっぱり気のせいなのかも。



