私たちは恋がしたい

〇図書室(夕)

2話の続き

伊桜「なにぼーっとしてんの」
軽いデコピンを食らって、両手で額を抑える菫。
菫「し、してません」
伊桜「ふーん。じゃあ明日もよろしく」
そう言ってひらひらと手を振って出ていく伊桜。
置いてけぼりの菫。

〇街中(朝)

翌朝、昨日の伊桜が忘れられずに、ぽけーとしている菫。
そこに、前の曲がり角から人が出てきて、思わずぶつかってしまう。
菫「わっ」
速水「大丈夫?」
心配してくれるのは同じクラスの速水怜(優等生タイプで、ワイシャツに紺のベストを着て、清潔感溢れる黒髪男子)が立っていた。
菫「ご、ごめ……い」
いつもなら相手の顔を見ることなく、逃げるようにその場から離れていたけれど。
菫(だめだ、朝凪くんに教えてもらったんだから)
菫(背筋と視線に気を付けて)
背筋をぴんと正して、それから頭を下げてから顔を上げる。
菫「ごめんなさい。あと、ありがとう」
しどろもどろにならず、はっきりとお礼を告げた菫に速水が「あれ」と気付く。
速水「なんだか、今日の水縹さん、変わったね」
菫「え、そ、そうかな?」
速水「うん、この前はプリントをもらいたくて声かけたけど」
速水「怖がらせちゃったのか逃げられちゃったから」
菫「そ、その節は本当に申し訳ございませんでした……」
深々と頭を下げる。それを見て、ふふ、と微笑む速水。
速水「ちゃんと話せてよかった」
速水「あ、転ぶから気を付けてね」
そう言って去って行くその姿は爽やか。
菫(まさしく少女漫画から出てきたヒーローみたい)
伊桜「ずいぶんと親し気そうだけど?」
菫「!」
気付けば背後に伊桜がむすっとした顔で立っていた。
菫「た、たまたま助けてもらって」
伊桜「(不服そうな)ほーん」

〇教室(朝)

数学教師「数学係、ノート回収して職員室まで持ってくるように」
風香「お、菫ドンマイ」
菫「あ、私か」
菫(もう一人のペア、風邪で休みなんだっけ)
菫「あ、あの」
がやがやと賑わう教室の中で、黒板の前に立つ菫。
菫「(小声)ノ、ノートはここに……」
しかし授業から解放され、聞く耳を持たない生徒たち。
菫(うわあ、集まる気がしない)
菫(ここは大きな声でちゃんと)
すると、隣にすっと立った男子生徒の制服が見える。
速水「おーい、ノート集めるから持ってきて」
まるで鶴の一声かのように、続々とノートが集まる。
菫「速水くん、ありがとう」
速水「これぐらいなんてことないよ」
速水「ついでに職員室まで運ぶの手伝おうか」
菫「わ、悪いよ」
速水「平気」
にこっと微笑まれる。
菫(……ヒーローだ)
それを黙って見ている伊桜。

〇教室(昼)
風香「さすがにさっきのは落ちたんじゃない?」
向かい合うようにして座って弁当を食べている菫と風香。
菫「落ちた?」
風香「速水くん。あんなの、少女漫画の鉄板ネタでしょ」
菫「あ……確かにヒーローだとは思った」
風香「ほらあ。現実でもドキドキしたでしょ」
菫「ドキドキ……?」
菫(は、しなかったような)
菫(どっちかっていうと、昨日、朝凪くんと一緒にいたときのほうが近いっていうか)
風香「あ、赤くなった」
菫「ななな、なってないよ!」
風香「ま、これでちょっと安心かな」
菫「安心って?」
風香「もしかして、朝凪ルートに入ったんじゃないかと思ってたから」
菫「なんで!?」
風香「いくら好みのタイプと真逆だとしても」
風香「あんな顔が近くにいたら嫌でも惚れるでしょ」
菫「惚れるかあ」
風香「それに、ちょっと変な噂も出てるみたいだし」
菫「噂?」
風香「なんか、校舎でやってるらしいよ」
菫「やってる?」
風香「だから(性的な意味合いであることをゴニョニョと濁す)」
菫「はっ!?」
風香「声聞いた人とかいるらしいよ?」
風香「しかも女の声とか毎回違うらしいし」
菫「どこで聞いてんだろ……」
風香「さあ? 噂だからね」
風香「ただ、朝凪くんなんじゃないかって名前は挙がってる」
風香「ほら、彼女とかいっぱいいるでしょ」
菫「うーん」
菫(彼女はいっぱいいるけど……)
昨日、伊桜が見せた寂しそうな横顔を思い出して、胸がぎゅっとなる菫。
風香「どうせ好きになるなら、今まで通りのタイプがいいと思うわ」
菫「……かもね」(上辺笑いをしながらも、その噂は本当に伊桜なのかと疑ってる様子)

〇図書室(夕)

伊桜「おーい」
菫「!」
伊桜「どした」
菫「あ……ううん」
菫(やばい、風香の噂が頭から離れない)
伊桜「んで、今日は何をレクチャーしてくれんの」
菫「あー……何をか」
菫「それじゃあ」
菫「女の子を絞るってどうかな?」
伊桜「絞る? 雑巾みたいに?」
ぎゅっと自分が絞られる想像をして「違う違う!」と手で振り払う。
菫「そうじゃなくて、不特定多数の人と付き合うよりも」
菫「少しでも好きかもって感じる人とだけ付き合ってみるとか」
ずきんと、なぜか心が痛む。
菫(あれ……なんで?)
伊桜「好きかも……むず」
眉間に皺を寄せる伊桜。
菫「い、いきなりじゃなくても、こうちょっと環境を見つめ直すっていうか」
菫「告白されてもこっちが好きじゃなかったら付き合わないとか」
菫(それに、風香が言ってた噂のこともあるし)
多くの人との関わりはやめたほうがいいと助言する菫。
伊桜「でも、付き合ってから好きになる可能性もあるだろ」
菫「あるかもしれないけど……」
菫「その可能性に賭けている間に、好きな人ができたらどうするの?」
伊桜「付き合ってないのに恋に落ちるもん?」
菫「そもそも、恋に落ちてないのに付き合うのが別世界というか」
伊桜「おけ」
菫(あっさりと……伝わってるのかな)
菫(でも、それで朝凪くんが好きな人が見つかればいいし)
菫(見つかれば……)
伊桜「で、そっちは漫画から現実に恋できそうなわけ?」
菫「へ?」
伊桜「速水といい感じだったじゃん」
菫「いい感じって……そういうわけではないよ」
菫(善意で優しくしてくれてたんだろうし)
伊桜「(ちょっと何か考えた様子で)やっぱり、ああいうのがタイプ?」
菫「うーん、たしかに少女漫画でときめく男の人は速水くんみたいな感じが多いかな」
菫(だけど、実際とは違うのかな?)
伊桜「好きって感覚はどんなん?」
菫(難しい質問きた……!)
菫「私もわかるわけじゃないけど……」
菫「その人のことを考えてたり、自然と見たり」
菫「そういうのが増えてたら、好きなんじゃないかな」
伊桜「それも少女漫画に載ってた?(好意的にちょっとからかうようなニュアンスで)」
菫「これは私が思うことなので……(恥ずかしくなりながら)」
伊桜「そ」

〇昇降口(夕)

菫(で、女の子に呼び出されて帰るってどういうこと?)
さっさと図書室を出て行ってしまった背中を思い出しては「まあいいんだけど」と笑う菫。
速水「水縹さん」
菫「あ、速水くん。まだ残ってたんだね」
速水「うん、ちょっと先生に頼まれてたことがあって」
菫(すごいなあ。そんなことがあっても穏やかに笑っていらっしゃる)
速水「水縹さんも同じ感じ?」
菫「うー……ん、そんな感じ」
菫(さすがに、朝凪くんと一緒でしたとは言えない)
速水「(くすっと笑う)……あのさ」
菫「うん?」
速水「俺と付き合ってくれないかな?」