真新しい高校の制服に袖を通してみると、佐々木(ささき)史(し)帆(ほ)は急に大人になったような気がした。
(――彼氏。彼氏っ。彼氏! 彼氏が欲しいなぁ……! 高校生になったんだもん)
〈高校生〉――小学生の頃から憧れていた響きだった。
だって、高校生といえば、大人だ。
高校に入った瞬間から、史帆は〈彼氏が欲しい〉と強く願っていた。
中学の頃、史帆は一人だけ彼氏ができたことがあった。
あれは一学年下で、同じバドミントン部に入っていた男の子だった。
史帆から誘ってたまに一緒に帰ったりして、バレンタインに勇気を出して告白して、付き合うことになったのだった。
……けど、三か月も持たずに、あっという間に終わってしまった。
お互い付き合うのは初めてだったし、何をしていいのかよくわからないうちに、『やっぱり友達に戻ろう』と、史帆から言ったのだ。
史帆から告白して、史帆から振ったんだから……、彼はわけがわからなかったと思う。
付き合う前、だんだん距離が近づいている時は、少女漫画のヒロインに自分がなったみたいでドキドキした。
けれど、いざ実際付き合ってみてから落ち着いてよく見ると、彼はあんまり格好良くなかったし、話しやすいけれど、代わりに一緒にいてもちっともドキドキしないことに気がついたからだ。
〈恋に恋していただけ〉――というやつだったんだろう。
そう気づいても、後悔先に立たず。遅かった。
付き合い始めてからは、それはもう本当に時間が経つのが長く感じた。
まだ三日、まだ一週間、まだ一か月、って。
付き合ったばかりで振るのは悪い気がして、せめて何か月かは付き合ってから振ろうと考えていたのだけれど、史帆が素っ気なくなるほどに、彼は焦って、気持ちが重くなるみたいだった。
……それも面倒でうんざりした。
別れを告げた時に、彼は泣いてしまって……。
悪いと思うと同時に、彼がうじうじしているように感じてしまって、さらに幻滅した。
それは、拍子抜けするほど呆気なく終わってしまった、史帆の初恋――めいた何かだった。
♢ 〇 ♢
(――次は、絶対絶対格好いい人。一緒にいてドキドキする男の子がいいな)
鏡を覗き込んでみて、前髪を直して、薄く施したメイクを綺麗に整える。
うん。自分でも、自分は結構可愛いと思う。
ボブカットの髪はもう少し伸ばす予定だけれど艶があるし、笑うとえくぼができるところも自分では気に入っている。
自分は私服のセンスも悪くないし、初彼のあの男の子とは、どう考えてもやっぱりちょっと釣り合っていなかった。
男の子と初めて付き合って、自分から振って――女としての自分に、ちょっと自信がついたみたいだった。
(勝ち側、的な?)
そんな調子に乗って浮かれた気分で高校に入って同じクラスになった男子をざっと見渡してみて、〈桐生(きりゅう)翔(しょう)真(ま)〉という男の子が一番好みだな――と、史帆は思った。
ちょっと背は低いけれど、前髪の向こうに隠れた顔立ちは整っていて、なかなか素敵だ。
性格もチャラそうじゃなくて、優しそうだった。……いや、綺麗な二重の垂れ目やいつも弧を描いている唇のせいで、優しげに見えるのかもしれなかったけれど。
クラスで目立つタイプではないが、いつも男友達に囲まれて微笑んでいて、そういう時はアイドルみたいに見えることもある。
だけど、この――〈男友達に囲まれている〉というのが、曲者(くせもの)なのだ。
桐生が一人でいることなんてあまりないから、話しかけようにもクラスの目を引いてしまう。
……なかなか、最初の一歩を踏み出す勇気が出ない。
上手くいったらいいけれど、振られたら、その事実をクラスの皆に知られてしまう。
そんなのあまりに恥ずかしくて格好悪いし、〈振られた子〉、〈モテない子〉として同情されたり馬鹿にされるのも嫌だ。
そういうリスクを負うには――まだ高校に入学したばかりでは早すぎると思った。
失敗ルートに入ってしまった場合、速やかにクラス替えになっていただかないと、困る。
桐生は大人しい男子で、ちょっと押しに弱そうな感じもするから、頑張ってみたい気もするんだけれど……。
史帆達一年A組は仕切るタイプの生徒がそんなにいなくて、親睦会的なことも、春先の体育祭後に打ち上げを一度やったきり誰も企画しなかった。
その一度だけの打ち上げで、史帆はたまたま桐生と隣り合って座るタイミングがあって、その辺りに座っているメンバーで、これまでの恋話を打ち明け合う流れになった。
「じゃあ――、桐生は? 今付き合ってる人とかいるの?」
気になっている桐生に、高一のクラスでの自己紹介の延長みたいな感じで皆に訊いている質問が投げかけられて、史帆はどきりとした。
カラオケのパーティールームの人数ぎりぎりまで入っていたから、席はぎゅう詰めで、桐生と史帆はぴったり身体がくっついている。
桐生の体温がやけに温かく感じられて、胸の高揚が止まらない。
皆が桐生を見ているから、史帆も堂々と彼の横顔を見つめた。……鼻筋が通って、横顔も格好いい。
自分を注視しているクラスメイト達に苦笑して、桐生が答えた。
「今はいないよ。別れたばっかりなんだ」
「へえ。その元カノって、同じ中学の人?」
「そう」
口ごもっている桐生に、これまで話した皆もぶっちゃけたんだから、と、まわりから何となく圧がかかる。
クラスメイトの女子が深掘りした。
「それ、どっちから告白したの?」
「向こうから。……だけど、途中で上手くいかなくなっちゃってさ。何か、だんだん乗りが合わなくなってった感じで……」
桐生が言うので、思わず史帆は隣で頷いた。
「あ、その感じ、わかる。めっちゃわかる」
自分の初恋と見事にリンクした気がして嬉しくて、史帆は何度もそう言った。
ついつい身を乗り出した史帆に、桐生も隣からこちらを見返してくれた。
「佐々木もそういうこと、あったの?」
「うん。ウチも、中学の時に付き合ってた元彼と、そんな感じだったんだ。えっと、向こうは好きでいてくれたみたいなんだけど……」
そのまま流れで史帆の恋話のターンになったから、ほんの少しだけ盛って、自分がモテる女の子なんだ、っていう感じを醸しながら史帆は語った。
それなのに、桐生に、
「へえ。モテるんだね」
なんて言われると、慌てて史帆はぶんぶん首を振った。
「いやいや、モテないよー。たまたま、その男の子とそういう感じになっただけで……」
急に赤くなって謙遜する史帆の話を、桐生も頷きながら聞いてくれた。
二人の過去がシンクロした気がして、史帆は胸がきゅんとときめくのを感じた。
♢ 〇 ♢
(……あの時は、結構盛り上がったと思ったんだけどなぁ)
打ち上げ終わりに皆で連絡先を交換したけれど、……桐生から個人ルームにメッセージが来ることは一度もなかった。
それでも、一学期が終わって二学期もなかばも過ぎた頃には、クラスでは結構話す仲になっていたし、史帆がクラスで一番気の合う女友達のイノちゃんが桐生と仲がいい須藤(すどう)慎(しん)太(た)という男子とよく喋ることもあって、史帆と桐生は仲がいい括(くく)りに入るとは思う……のだが、それだけだった。
桐生は昔からとあるスポーツに打ち込んでいるらしくて、校内にある部活には入らず、地元のユースチームに所属してプレイしているらしい。
……とすると、忙しくて彼女なんか作る暇がないのかもしれない。
そう思うと、ますますグイグイいくのに気が引ける。
そうこうするうちに冬休みに入って、史帆は駅前のファーストフードでアルバイトを始めた。
そこでしばらくバイトを続けていると、他校に通う一学上の男の子と仲良くなった。
彼はバイト先では先輩で、仕事も手際がよくて評判だったし、新入りの史帆に仕事を丁寧に教えてくれた。
ちょっと物言いがキツくて態度が大きい感じはあったけど、バイト先でテキパキ動いて仕事振りに信頼もある彼が、史帆には頼りがいがあるように見えた。
だから、史帆からもそれなりに話しかけてみていると、向こうも史帆をいいと思ってくれていたようで、彼から告白されて、クリスマスデートの誘いがあって――待ち合わせ場所に行ってみると、彼の私服のダサさに潮が引くような心地(ここち)がした。
(げ……。マジ? ダサすぎ……)
彼はいかにも〈お母さんに量販店で買ってきてもらいました!〉みたいな冴えないチェックのシャツに小汚いダメージジーンズを合わせていて、がっかりしてしまった。
(バイト先にはいつも制服で着てたし、この壊滅的なセンスには気づかんかったわ……)
おいおい。
よく見ると、鼻毛まで出てるじゃねーか。
史帆はお洒落にもメイクにも気を遣っているから、彼の手の抜き方が余計に目について腹が立った。
少しはそっちも頑張りなよ、って。
史帆は、自分の見る目のなさと引きの悪さにがっかりした。
(……もしかして、ウチ、また中学の時と同じ失敗した?)
嫌な予感に史帆が額に手を当てたくなっているのも気づかずに、彼は十五分も遅刻しておいて、謝るでもなく歩み寄ってきた。
「よっ、史帆。お待たせぇ」
呼び捨てにしていいとか、言いましたっけ?
そう訊きたいのを我慢して、史帆は彼と一緒に公開したばかりの映画を観た。
会話が弾まなくても間が持つから――なんて選んだデートコースだったはずなのに、彼は映画館が暗くなると同時に手を繋いできた。またも、勝手に。
(うわっ、キモッ! 何こいつ……)
ぎょっとして、……気がつくと鳥肌が立っていた。
史帆が引いているのを照れて恥ずかしがっていると思ったのか、彼はデート中はずっと威張っているみたいな話し方をして何度も勝手に過剰なボディタッチをしてきて――それでもう、我慢の限界だった。
一度きりのデートを終えた後はひたすら距離を置いてあちらに空気を読んでいただいて、終了した。
史帆はバイト先では彼と一番仲がよかったから居づらくなって、冬休みの終わりと同時に辞めてしまった。
二人で撮った写真をスマホから削除しようと思って眺めてみると、史帆はさらにがっかりしてため息を吐いた。
恋している……ような気でいた時は、顔ももっと格好いい気がしていたけれど、冷静になってよく見ると、全然格好良くなかった。
いやそれどころか、ただのブスだった。
……やっぱり、〈すぐに離脱できる場所〉という保険をかけた恋を探そう、というのは、安直だったかもしれない。
それとも、心のどこかで同じクラスだから気まずいと思って引いてしまっている桐生のことが、ずっと引っかかっているから駄目なのかもしれない。
冬休み明けに教室に入ると、まず笑っている桐生の姿が目に入って、彼は須藤と話しているところだった。
(……やっぱり、桐生って格好いいなぁ)
大人しい彼より、お調子者でよく喋る須藤の方がクラスでは目立っている。
そういえば須藤の方が背が高いから、それもあるかもしれない。あと、須藤は猿顔で物凄く顔立ちに特徴があるから、それもあるのかも。
……でも、イノちゃんと史帆の共通見解としては、須藤はちょっと悪乗りが過ぎるところがあった。
その場で面白おかしく喋る分には楽しくていいんだけれど……、あんまりいい奴じゃない。
桐生は、女子を貶して弄るみたいな変な冗談を言うようなことはないんだけれど。
以前は同じクラスに桐生を気になると言っている子もいたけれど、彼と同じく大人しい雰囲気の女子だった。
彼女は、冬休み前に同じ部の先輩と付き合い出したらしい。
(となると、今がチャンス? ……やっぱり、勇気出して頑張ってみようかなぁ)
同じクラスの子が彼を気になると公言している状況だと複雑だけれど、それも解消された。
クラス替えも近い――なら、上手くいかなくたって、そんなに長く気まずくならずに済むだろう。
(……桐生も私服くっそダサかったらどうしよ)
私服がダサいと自分が秒で冷めてしまうのは、経験済みだ。
でも、桐生はよーく顔を見てもやっぱり整っていて格好いいから、一緒に歩いたら楽しいだろう。
スポーツを頑張っているというのも、素敵だと思う。
まるで自分が選ぶ側に立っているみたいな上から目線で、史帆はそう思った。
だって、もう二人も彼氏ができたことがあって、どっちも史帆から振ったのだ。
自分は、きっと結構上のランクの女の子なのだろう――そんな風に調子に乗ってしまう部分もあった。
……でも、そんな偉そうな考え方は、無敵状態から生じているというわけでもなくて、上手くいく確証もないのに、桐生を凄く好きになるのは怖いという不安の裏返しでもあった。
桐生をあらためて意識するようになって、少しだけぎこちない仕草で、史帆はイノちゃんに話しかけた。
「おはよう、イノちゃん。冬休み、あっという間に終わっちゃったね……」
♢ 〇 ♢
「イノちゃん、聞いて聞いてっ。昨日あいつにメッセージ送ったんだけど、結構やり取り盛り上がったんだよ……」
誰もいない廊下でイノちゃんと騒いで、誰もいないのをさんざん確認したんだけれど、桐生の名前を聞きつけられたら大変だと思って、史帆は〈あいつ〉と言った。
イノちゃんもすぐに笑顔になって、史帆に頷いた。
「よかったじゃん! 二人、絶対合うよね」
「ほんと? ほんとにそう思う?」
「うん。それに、史帆と話してる時の奴、嬉しそうだもん。絶対上手くいくよ」
イノちゃんは、優しい子だ。
背格好に加えて、髪型だとかメイクも史帆とちょっと似ていて、男の先生に『双子みたいだな』とからかわれることもある。
要は、二人は好みが似ているのだ。
流行りを追いかけるのが好きで、恋に憧れていて、少女漫画が大好き。
部活は同じバド部に入って、緩く流している。
イノちゃん的には友達の史帆を勇気づけたくて、あとたぶん、マイナスなことを言う性格じゃないのもあって、『絶対』を連発してくれる。
彼女がそんなキャラだとわかっていたはずなのに、イノちゃんが煽るせいで、史帆はどんどん桐生を意識するようになった。
(よしっ。もっと桐生に頑張ってみよう)
何とか機会を見つけては桐生に話しかけ、須藤を始めとしたクラスメイトの男子に『おっ』という顔をされたり、ニヤニヤされたりもしたけれど、気づかない振りをした。
桐生は戸惑っているようにも見えたけれど、……嬉しそうにも見えたから。
だけど……。
「……あーあ、やっぱり駄目なのかなぁ。桐生と……」
高一の二月に入ったその日、学校帰りに寄ったカフェでお喋りしながら、史帆は大きなため息を吐いた。
向かいでメイプルラテを飲みながら、イノちゃんがスマホをポチポチしながら小首を傾げる。
「どうして? 桐生と何かあったの?」
「んー……。何かイマイチ手応えないんだよね」
学校で顔を合わせれば普通に話すし、かなり距離が縮まってきた、とは思う。
メッセージをこちらから入れれば返ってはくるんだけれど……、向こうからは滅多に来ない。
返信スピードは速かったり遅かったり、……まちまちだ。
「イノちゃんは? やっぱり杉崎先生のこと、頑張るの?」
杉崎先生というのは、去年の秋に教育実習で来ていた大学生の先生だ。
二人が一緒に入っているゆるゆるなバドミントン部の担当にもなって、彼はやたらとイノちゃんに話しかけてきていた。
……というのも、ちょっと暑苦しいノリだった杉崎先生は、赴任挨拶早々史帆達一年A組の生徒達をドン引きさせて、浮きまくっていたのだ。
イノちゃんだけは彼に親切に接していて、杉崎先生は大喜びでイノちゃんに懐いていた。
その勢いを見て、猫まっしぐら――なんて言って、史帆とイノちゃんは苦笑し合ったものだった。
それで二人は連絡先を交換して……、でも教習期間が終わると同時に、杉崎先生はイノちゃんに素っ気なくなってしまった。
用済み、って感じに。
その頃には、大学生の彼にイノちゃんはだんだん惹かれていたから、凄く落ち込んでいた。
(大人って、ズルいよなぁ……)
イノちゃんを見ていて、史帆はそう思った。
必要な時にはあんなに気を持たせるみたいに優しくして、必要がなくなったら、途端にポイ、だ。
イノちゃんは――イノちゃんだけは、授業でも部活でも滑り倒していたあいつに、優しかったのに。
だんだん冷たくなってしまった彼の反応にイノちゃんは一喜一憂して振りまわされて、……結局最初から彼女がいたことがわかって。
何だか、彼の楽しい教習の思い出作りに利用されてしまったみたいだった。
イノちゃんはため息を吐いて、肩をすくめた。
「……ううん。もうかなり気持ち落ち着いてきた。よく考えたら、スーツマジックに騙されてたのかもしれないし」
「あ、それはマジであるよ。ていうか、絶対そう! 制服マジックにウチもやられたし」
「やられたよねー。バイト先の先輩でしょ?」
「の、鼻毛!」
「うわ、キッツいなぁ」
「しかも初デートでかまされたからね? マジ、鏡くらい見てこいよって突っ込みたかったし!」
「指摘しないであげた史帆、偉い」
「ウチ、マジで神じゃない?」
くすくす笑って、イノちゃんも頷く。
イノちゃんの笑顔を見てほっとして、史帆は明るく言った。
「ていうかさ! 杉崎ってハゲの気配なかった? あいつ、絶対若ハゲするよ! ウチがハゲ散らかす呪いかけといてあげるから。あんなハゲ、どーでもいいじゃん」
「あはは! だよね」
イノちゃんは、ますます笑った。
笑いながら目の端から切ない涙が零れて、泣き笑いの顔になった。
桐生のことは気になるけれど……、それ以上に今はイノちゃんの失恋の傷が心配だった。
史帆としては、〈自分でも手が届く程度に〉〈格好いい彼氏が欲しい〉から、〈桐生のことが気になる〉のであって、逆ではなかった。
……この時は、まだ。
イノちゃんの恋が駄目になって、〈じゃあとりあえずよく喋る仲だし話も合う須藤はどうなんだ〉という〈須藤問題〉が検討されて却下になって――……。
となると、イノちゃんと史帆の話題は、どんどん桐生のことばかりになっていった。
……だいたい、毎日一緒だっていうのが悪いのだ。
学校生活って、おかしくない?
どんなに仲がいい友達で話が合ったって、こんなに毎日顔を突き合わせていたら、話題なんてなくなる。
同じ話を繰り返さざるを得なくなって、好きでもないドラマだとかアイドルだとかアニメだとかを話題作りのために追いかけてもそう間が持たなくなって……。
最終的に、一番盛り上がる話題――〈恋〉を無理に進展させなきゃいけなくなる。
「桐生ってさ、ウチのこと、あると思う?」
「うーん。脈ありに見えると思うけどな」
「そっかなぁ……」
「桐生って全然積極的なタイプじゃないし、受け身だよね。好きでも自分からいく勇気、ないのかもよ」
杉崎先生でやらかした失敗を忘れて、史帆とイノちゃんの会話はだんだん都合のいい方向に流れていった。
……史帆は振られたことがなかったから、また上手くいくんじゃないかという、都合のいい楽観主義も頭に浮かんでいた。
まだこの時は、自分は結構可愛い方だという自負もあった。
「……よし。じゃあ、今度桐生が練習ない日探り出して、誘ってみっか! イノちゃん、付き合ってくれる?」
「須藤もセットで?」
「そうそう、そういうことです」
史帆がぺこりと頭を下げると、イノちゃんも頷いた。
「史帆のためだ。じゃあ、まずは須藤の予定を確保するか」
そんな感じで桐生を誘うことに決まって、史帆は学校の廊下で一人歩いている彼を呼び止めた。
「――ねえねえ、桐生! 今日確か、練習休みっしょ? 一緒にカラオケ行こうよ。須藤とかイノちゃんとかも行けるって!」
照れ隠しに声をかけるなりそう言ってしまって、史帆は〈しまった〉と思った。
本題に入る前に、もう少しはさり気ない話題でも振ればよかったのに。
実際、急にいろいろ言われて戸惑ったように、桐生が口ごもった。
「……あー……」
困ったように……、でも、唇の端がちょっとだけ微笑んでいる。
駄目なら駄目でいいや――クラス替えが近いという保険もかけていることだし、別にそんなに好きなわけじゃないし。
そう……、好きな振り(、、)しているだけ。
今また彼氏がいないし、何となく手持ち無沙汰だし、イノちゃんと盛り上がる話題作りにもなるし。
さっきまではそう思っていたはずなのに、桐生に断られるのが急に怖くなって、史帆は急いで続けた。
「どう⁉ ね、いいでしょ?」
「うーん、どうすっかな……」
少し悩んでいる様子だったけれど、史帆がもじもじしていると、やがて桐生は頭を掻いて答えた。
「えっと……、須藤来るならいいよ。でも、俺あんまり歌えないけど」
桐生の返事にほっとして、でも、〈ちょっと強引すぎたかな〉とも思う。
……もしかすると、桐生は、断ったりして史帆が気まずく思わないように、気を遣ってくれたのかもしれない。
悪いことをしてしまっただろうか? ああ、駄目だ。いろんな考えが頭に浮かんで消える。
そんなことをぐるぐる考える度に自分の気持ちが勝手に大きくなってしまうのを感じて、史帆は慌ててこくこく頷いた。
「小学校とかで流行ったアニソンでいいって。一曲くらい何か歌えるっしょ? ウチも最近の歌とか知らないし、気ぃ遣わないでいいから。じゃ、放課後駅集合ねー!」
♢ 〇 ♢
その日四人で行ったカラオケは結構盛り上がって、須藤とイノちゃんが同じタイミングでトイレに出て、少しだけ二人きりで話したりもして――……。
やっとのことで手応えを感じてきて、桐生も史帆をいいなと感じてくれているのかなと思えた。
メッセージの返信速度も、少し速くなってきた感じがある。
でも、そうなってくると、史帆は焦った。
「あー、どうしよ……。もうクラス替えになっちゃうよ」
クラス替えが近づくまで時間稼ぎをしていたのは自分なのに、今になって史帆はそう思った。
いつだって、史帆達はないものねだりだ。
そんな風にいつも通りに史帆が愚痴を零すと、イノちゃんが肩をすくめた。
「じゃあさ、須藤に訊いてもらうっていうのはどう?」
「何を?」
「だから、桐生が史帆をどう思ってるかってこと。あたし、須藤に頼んでみようか?」
イノちゃんにアシストを申し出られて、史帆は小首を傾げた。
確かに、さすがに須藤には、史帆が桐生を好きだともう悟られてしまっている。
でも、須藤に桐生の気持ちを訊いてもらえれば、……史帆も告白する勇気が出るかもしれない。
「それ、ありかも。お願いしちゃおうかな……」
「いいよ。じゃあ、そのうちタイミング見て須藤に言っとくよ」
♢ 〇 ♢
そんな風にイノちゃんと作戦会議を重ねるうちに、やがて、三学期最後の体育系イベント――球技大会の季節が来た。
この後は大掃除があって期末テストがあって、クラス替えだ。
もし桐生と上手くいくなら、ちょっとくらいは同じクラスで過ごせる期間があると楽しい……なんて、都合のいいことを考えて、史帆はわくわくしていた。
球技大会の種目にバドミントンはなくて、史帆はイノちゃんと一緒にバレーボールのメンバーに入ることにしていた。
桐生は例の昔から頑張っている競技でメンバーになっているから、その観戦の方が自分のバレーボールより楽しみだ。
自分の試合のために体育館に行くと、史帆は目を見開いた。
「――な……、何でこんなに男子いんの?」
まだ一回戦で、注目の一戦でも何でもないのに。
すると、顔をしかめてイノちゃんが教えてくれた。
「たぶんさ、【日南さん】のこと見に来たんだよ。相手、C組だから」
「日南さんって……。あぁ……」
名前を聞いて、何となく合点した。
日南ナントカさんは物凄く可愛いと評判の一年の女子で、校内の男子達にたくさん告白されているという話だった。
でも、お高く留まっているとかで、あんまり性格がよくないという噂もあった。
向こう側のコートに彼女らしき女の子を見つけて、史帆は目を瞬いた。
(うわぁ……。お人形さんみたい……)
確かに――、日南さんは凄く綺麗な外見をした女の子だった。
さらさらの長い髪に、ぱっちりと大きな瞳、色白な肌。
女の史帆でも、守ってあげたくなってしまうような、肩入れしたくなるような雰囲気がある。
顔やスタイルの造形が整い過ぎて、まるで、絵か写真に写っている女の子を見ているみたいだ。
彼女は、確かにそこにいて、息をして動いているのに。
つい日南さんに見惚れていると、隣でイノちゃんがうんざりした声で呟いた。
「男子って、マジで馬鹿だよね……」
杉崎先生を吹っ切ってからちょっと男嫌いになりかけているイノちゃんが、嫌そうに首を振る。
と、試合開始前に、コート脇に同クラの男子達に混じって、桐生が現れた。須藤もいる。
史帆は、つい顔を赤らめた。
(……もしかして、桐生、応援に来てくれたのかな?)
史帆のために――。
どぎまぎしているうちに試合が始まると、日南さんがサーブを打つ番になって、応援の声が上がった。
「日南さん、頑張ってー!」
騒がしいその声は、C組の男子達だ。
日南さんは恥ずかしそうにこくこく頷き返して、横打ちで『えいっ』とサーブを打った。
彼女のサーブがたまたま女子同士の間に落ちてお見合いになってサービスエースになると、C組の男子がうるさいくらいに盛り上がった。
……と、目をやれば、須藤まで手を叩いて喜んでいる。
何だ、あいつは。
今は、史帆達A組が点を取られたのに。
「……やっぱり須藤はないね」
「うん。ないわ。まあ、あいつは純然たる友達枠ということで」
「ですな。友達としてなら、まあ、面白いしね」
須藤は桐生に気持ちを訊いてくれるとイノちゃんに約束してくれたそうだが――、史帆を思ってというよりかは、面白がっている感じだった。
そういうのもあって、イノちゃんと一緒に深く頷き合って、史帆は試合に再び集中した。
C組女子はそんなに強くなくて、試合には史帆達A組が勝って、史帆はイノちゃんや他のメンバーと手を取り合って喜んだ。
日南さんのことは、この時限りで忘れてしまった。
同じクラスでもないし、史帆とは関係ない子だと思っていた。
♢ 〇 ♢
その日は桐生がメンバーになっていた得意のスポーツで驚くくらいに活躍して、史帆はドキドキしっ放しだった。
あんなに桐生が格好いいなんて、史帆だって知らなかった。
コートを駆け抜ける彼は、まるで一人だけずっとスポットライトを浴びているみたいだった。
何というか、華があるのだ。
彼がそこにいるだけで、輝いてしまうような……。教室で過ごしている時の大人しい桐生とは、大違いだった。
(うわ、うわうわうわ! ウチ、見る目あり過ぎない……⁉ まわりに気づかれる前に桐生に頑張っといてよかったぁ……!)
A組の女子達も他のクラスの子達も、桐生のあまりの格好良さにびっくりするくらいに盛り上がっている。
イノちゃんも、隣で何度も史帆の肩を揺すっている。
「桐生、超凄いじゃん! ほら、また点入れたよっ。史帆、見て見て! 目ぇ離しちゃ駄目っ」
桐生が格好いいことを、イノちゃんが史帆のために喜んでくれている。
史帆は、イノちゃんのためにいい人を見つけたら絶対絶対紹介してあげようと思った。
すると、イノちゃんが史帆に耳打ちしてきた。
「……こりゃやばいよ、史帆。桐生のファン、今日で凄い増えた気がする。今日球技大会終わったら打ち上げやるって話だったから、何か動いた方がいいんじゃない?」
「う、うん……」
まだドキドキと桐生のプレイを見つめながら、史帆は頷いた。
焦る――ひたすら、焦る。
一秒でも早くちゃんと気持ちを確認しないと、桐生を誰かに盗られてしまう気がした。
♢ 〇 ♢
球技大会の後打ち上げで行ったカラオケではクラスでも目立つ派手な感じの女子達が桐生を持ち上げまくっていて、史帆は平気な顔をしていたけれど、内心では死ぬほどそわそわしていた。
須藤にはイノちゃんが話をつけてくれて、打ち上げ後にこっそり四人で抜けてボーリングに行こうという話になった。
その帰りには、須藤がさり気なく桐生の史帆に対する気持ちを訊いてくれることになっていた。
だけど……。
〈――何かさぁ。須藤、一応聞いてくれたみたいなんだけど、『わかんない』って言われちゃったんだって〉
その夜、イノちゃんからメッセージが来て、史帆は落胆した。
二人はこんなに距離が近づいてきている――はずなのに?
(『わからない』、なんだ……)
がっかりしていると、イノちゃんが追撃メッセージで慰めてくれた。
〈でも、桐生も恥ずかしいのかもよ? ほら、男同士って、よくわかんないプライドとかあるみたいだし〉
〈そっかなぁ……〉
〈にしてもさ! 須藤って、マジ使えなくない? あいつ何なん? ほんと口ばっかりw 何も訊き出せてねーwww〉
何とか史帆を笑わせようと、イノちゃんが一生懸命にメッセージを返してくれる。
須藤は、最近では史帆とイノちゃんの間で、男友達枠からお笑いネタ枠にまで格下げされていた。
何かで笑いたい時には、須藤ネタが一番いい。
どうでもよくて、すぐに笑えて、関係ない奴だから。
二人はその後も、メッセージで須藤を弄って盛り上がり続けたのだった。
♢ 〇 ♢
そのうちに三学期末の大掃除があって、こういう面倒なイベントでサボりまくる須藤にいい加減うんざりしてイノちゃんがはっきり怒って、ちょっと険悪になったりした。
雑巾を洗いに行ってくれた桐生が戻って、空気が変わると思って史帆はほっとした。
「ありがと、桐生。後は雑巾干して終わりかな。最後だから、さっと済ませちゃおう!」
明るく言って、史帆が駆け寄ってバケツを受け取ると、桐生がなぜか――気まずそうな顔をした。
「あ……、うん」
すぐに桐生に目を逸らされ、史帆は小首を傾げた。
「……?」
何となく桐生が自分を避けたような気がして、……嫌な予感が胸に走る。
(え……、何……?)
……気にし過ぎだろうか?
球技大会以来、桐生のことが前よりずっと素敵に思えてしまって、史帆は、彼の一挙手一投足が気になってしまうようになっていた。
でも、こんなちっぽけなことで不安になっていることが伝わってしまったら、桐生に重いと思われてしまうかもしれない。
史帆は何とか笑顔を作って、感じ取ってしまった違和感を頑張って気にしないようにした。
「こっちの窓の方が、日が当たってるよ。早く雑巾干しちゃおう……」
♢ 〇 ♢
……それから、桐生と史帆の間に漂う空気はガラッと変わってしまった。
メッセージを送っても半日以上も既読がつかなくなってしまったし、クラスで話しかけても視線が合わなくなって、どことなくよそよそしい。
(あ……。駄目になっちゃったんだ……)
すぐに、史帆の直感がそう告げる。
何があったかはわからない。
でも、二人の間にあった恋の始まりめいた何かが消えてしまったのは、間違いないように感じた。
イノちゃんは、すぐに否定してくれた。
「気にし過ぎじゃない? あんなに仲良かったんだし、そんなに心配しなくても大丈夫だよ。きっと今忙しくて疲れてるとかなんじゃない?」
「かなぁ……。でも、何か、自信なくなっちゃうよ」
最近の史帆はため息ばかりで、イノちゃんを困らせてばかりだった。
何があったのか全然わからなくて、……でも、告白のタイミングは棚上げした方がいいことだけはわかった。
「……他に好きな子とか、できたのかなぁ」
「そんなことないって」
「でも、この間の球技大会で凄い目立ってたし。あの後、何かあったのかも……」
「……」
少し考えて、イノちゃんがポンと手を打った。
「あ、そうだ。メッセージ送ってみれば? 案外、普通に返事返ってくるかもよ?」
「でも、昨日送ったばっかりだし……。もしほんとに忙しいなら、迷惑に思われちゃうかも」
「じゃあ、明日か明後日(あさって)。あ、やっぱり週末は? 土日なら、一日中練習ってこともないでしょ」
「うーん……」
考え込んで、その週末さり気ない感じでメッセージを送ってみて、でも、蓋を開けてみれば、日曜の夜まで待っても既読もつかなくて。
……史帆は、とうとうイノちゃんに電話で泣きついた。
『――もしもし? 史帆?』
「やっぱり駄目だった……。既読もつかないの。やっぱりこれ、振られちゃってるんだよね……」
電話口でイノちゃんの声を聞くともう我慢できなくて、史帆は泣いた。
どう考えたって、おかしい。
……いや、察するべきだ。
これは、言葉のない桐生からの返事なのだ。〈無理です〉、っていう……。
彼女が杉崎先生と駄目になってしまった時とは立ち位置が逆になって、イノちゃんは史帆の泣き言を何時間も聞いてくれた。
『まだわかんないかもよ。はっきり振られたわけじゃないし……』
「でも、さ。よく考えてみると、ウチも、元彼の時こういうのしたもん……」
これまで付き合った二人の彼氏と別れる時、史帆もだんだんメッセージの返信を遅らせたりして、〈別れの予告〉をしたものだった。
あの時は、急に言うより傷つかないだろう――それに面倒だ――なんていう軽い気持ちだったけれど、……こんなことをされてどんなに傷つくか、自分がその立場になって初めてわかった。
あれは、……駄目なことだった。
やっぱり、気持ちが決まった時点で、言わなくてはならなかった。
『あたしは、忙しかったらメッセージの確認送れちゃうこと、あるけどなぁ……』
まだ彼氏ができたことのないイノちゃんが、頑張って史帆をフォローしてくれる。
でも、史帆もまだはっきり何かがわかったわけじゃないのに諦めたくない気持ちもあって、イノちゃんの意見を聞いていると、〈そうなのかな?〉とも思えてきて……史帆は、優しいイノちゃんに甘えることにした。
「じゃあ、イノちゃんから桐生に、理由訊いてみてくれない、かな……」
『え、あたしが?』
「うん……。あ、無理ならいいんだけど」
『ううん。いいよ。訊いてみる。正直あたし的には桐生とかどうでもいいし。嫌われたって何も感じないから』
「変なこと頼んじゃって、ごめんね……」
『いいんだよ。あたしだって、杉崎先生の時は史帆に超話聞いてもらって助けてもらったし。あ、桐生とセットで須藤にも嫌われとくかな』
イノちゃんがいつものお笑いネタの須藤を引っ張り出して笑わせてくれて、史帆は何とか頷いた。
「だよね。須藤はマジでどうでもいいよね」
『ほんとほんと! 来年は絶対別クラがいいわー……』
♢ 〇 ♢
……結局、イノちゃんの質問に対する桐生の答えは、〈他に好きな人がいる〉、だった。
その後で、史帆にも桐生から直接メッセージが来た。
〈もう話聞いたかもしれないけど……。俺、好きな人がいるんだ。何か変な感じになっちゃってごめん〉
グサッと、本当にナイフが胸に突き刺さるみたいに感じる文面だった。
本当に文字通り目を見開いて息を呑んで、息ができなくなって、……でもすぐには涙が出なくて。
やっと涙が出たと思ったら、後から後から塩辛い涙が湧いてきた。
まるで、涙の泉が瞳の奥にあるみたいだった。
泣き腫らしたまま寝落ちしそうになって慌てて起きて、史帆は震える指で、何とか短く返事を書いた。
〈わかった。ウチもごめん〉
そう桐生に送ると――史帆は自室のベッドに突っ伏した。
怒っている。嫌な思いをした。……そういう、精いっぱいのアピールを込めたつもりの、短くて素っ気ないメッセージだった。
桐生に弁解されて謝られて『全部誤解だ』と言って引き止めてほしかったけれど、……きっと無理だと、どこかでわかっていた。
……だって。
(……全然、既読もつかねーじゃん)
悔しくて悲しくてつらくて、胸が破れてしまいそうだった。
あの球技大会までは……いや、二人の雰囲気が悪くなるまでは、ここまで桐生が好きだったわけじゃなかったはずだった。
ただちょっと顔が格好よくて、史帆が押せば何とか付き合いそうな雰囲気の男の子――それがたまたま桐生だった、というだけのことだった。
たぶん、よく考えてみると、桐生の性格すら、史帆は本当はよく知らない。
史帆は、ただ顔が格好いい彼氏が欲しかっただけなのだ。
あぁ、なんていう馬鹿みたいな浅い理由で好きになる人を決めちゃったんだろう。
それなのに……。
手に入らないことが決定的になると、急に物凄く桐生を好きだった気がして、惜しくて泣けてくる。
『――桐生、マジで馬鹿だよ。見る目なさ過ぎ。史帆はこんなにいい子なのにさ……!』
「ありがとぉ……。イノちゃん、マジで優しい。ほんと感謝。イノちゃん話聞いてくれなかったら、もう学校行けなかったかも……」
『駄目だよっ、そんなの。あんな奴のためにそんなことしちゃ駄目。史帆には絶対もっといい男いるから! あたしが保証するから!』
何の根拠もないのに夜更けにかけた電話でイノちゃんが力強く請け負ってくれて、史帆は何度も頷いたのだった。
♢ 〇 ♢
……だけど、それだけでは終わらないのが、〈初恋〉、というやつなのだった。
正直、知りたくなかった。
全然ちっとも、知りたくなかった。
なのに、史帆は、それから数か月後、どうして桐生に振られてしまったのか、はっきりと思い知らされてしまった。
桐生は、付き合っているというのだ――あの『滅茶苦茶可愛い』と男子達がうるさく騒いでいる、日南さんと。
(日南さん……、だったんだ)
桐生の、〈好きな人〉、……は。
史帆は、急に自分が惨めに感じてきた。
そりゃ、日南さんなんかと比べられちゃったら、史帆なんか普通だ。
いや、ブスだ。
全然可愛くない。
身体だってデブだし、なのに、胸の大きさでは完全に負けている。
あんなに可愛い子がライバルじゃ、史帆なんか、絶対勝てるわけない。
相手にもならない。
同じ土俵にも上がれない。
日南さんがキラキラ光るダイアモンドなら、史帆はその辺に転がっている石ころだ。
少しも光らない。
勝負にならない。
話にならない。
頭の中で、そんな、自分を否定して卑下してこき下ろして叩きのめす罵倒ばかりが、思い浮かんだ。
見たくもないのに、その年の文化祭では、二人でまわっている桐生達を見かけてしまった。〈げっ……〉と思っていると、廊下の先で、二人は派手な感じの男子と女子に冷やかされ始めた。
「――うっわ、日南さんと桐生ってマジで付き合ってんだ」
「へー。……何ていうか、意外な組み合わせだよね」
……何だか小馬鹿にしているような、嫌な口調だった。
史帆が聞いても、大人しい性格の桐生達を嘲笑しているのがわかる。
すると、久しぶりに見た須藤の奴がそこへ首を突っ込んでいった。
「――いやいやいや! どう見たって二人はお似合いっしょ! 日南さんってさ、桐生がやってるスポーツの大ファンなんだって。ねー? 日南さん」
急に須藤に話しかけられた日南さんが、目を白黒させて――悔しいくらいに可愛い顔で戸惑ってから、頷いた。
「う、うん。そうなんだ」
赤くなっている日南さんに、お調子者の須藤が頷く。
「だよね! うん、マジでお似合い! 羨まし過ぎるわー。二人ともおめでとー!」
はしゃいでいる須藤を見て、日南さんの隣に守るように立ってる桐生が笑う。
「おまえほんと声デカいって、須藤。ごめん、菜緒ちゃん」
「ううん。平気。……えっと、ありがとう、須藤君」
「おー、日南さんにお礼言われちゃった。やっべ、超嬉しいわ! 日南さん、桐生のことよろしくね! こいつマジでいい奴だから!」
「はいはい。じゃあ、また後でな。次の教室行こう、菜緒ちゃん」
「う、うん」
日南さんを連れている桐生が本当に嬉しそうで……、史帆はその場から動けなくなってしまった。
二人がこちらに来て、慌てて手近の空き教室に隠れると、……廊下を通る二人の会話の声を不覚にも間近で聞いてしまう。
「……ごめんね。翔真君。あたし、ああいう時、あんまり上手く話せなくて……」
「いや、俺もびっくりしたから。ああいう風に冷やかされるのって、結構恥ずかしいもんだね」
「うん……。……あの男の子、須藤君だったよね? 翔真君、仲良いんだね」
「まあ、お調子者過ぎるとこもあるけどね。言えばわかる奴だし、明るくて面白いよ」
「そっかぁ……」
……二人の互いを思いやるようなほのぼのとした声が、遠ざかっていく。
心が、どす黒いものでいっぱいだった。
(結局、顔かよ)
自分だってそうだったはずなのに、そんなことはすっかり忘れて、史帆は桐生を恨めしく思った。
あんなに嬉しそうな顔しやがって――あんな顔、いくら史帆が話しかけたって、見せたことなかったくせに……。
桐生どころか、日南さんにちょっと声をかけられただけの須藤まで本気で嬉しそうで、……史帆は心の底から腹が立った。
ちょっと顔が可愛いだけで、何でこんなに扱いが違うんだ。
男って何なんだ。
本当に最低で醜い自分勝手な生き物じゃないか。
そんなにブスが罪なわけ?
ブスで悪かったな。
とても立っていられなくなって、誰もいないその教室でしゃがみ込んで、史帆は歯を食いしばった。
ぎゅーっと胸が苦しくなって、史帆は、今になって初めて杉崎先生に振られた時のイノちゃんの気持ちがわかったと思った。
イノちゃんは、あの時、こんなにつらくて惨めな思いをしたんだ。
あの時は史帆なりに一生懸命に慰めたつもりだったけれど、……どこか他人事だった。
史帆は……、振られたことがなかったから。
「――史帆? 大丈夫?」
泣きながらSOSの電話をしたらすぐに駆けつけてくれたイノちゃんを見て、史帆は泣きついた。
「イノちゃん、今までごめん……っ。ウチ、ほんと何にもわかってなかった。イノちゃん、イノちゃんっ……!」
史帆がイノちゃんに抱き着いて何度も謝ると、理由を聞いてイノちゃんも泣いてくれた。
イノちゃんもまだまだ杉崎先生との失恋の傷が癒えていなくて、二人は泣きながら文化祭が終わるまでずっとその空き教室でお喋りしていた。
最後は、喋り過ぎて喉が枯れてしまうくらいだった。
それは、二人が〈本当の友達〉になった……初めての日だった。
「――桐生、マジで性格悪いよ! マジでクソ! 須藤の比じゃなかったね。地味な奴だから、気づかんかった!」
「ほんとだほんとだ! あの糞面食い野郎!」
「でもさ、こんな酷いことしといて、平気なわけないよ。絶対報いが来るから大丈夫だよ。史帆から男横取りした日南さんにも、バチ当たるよ」
「だといいけど……」
「絶対そうなる!」
「……ウチもそうなる気がしてきたっ。ついでに杉崎の馬鹿もバチ当たれ! 須藤も天罰下りやがれっ!」
「そうだそうだ! 全員地獄行きだっ! ハゲ散らかせ!」
どんどん愚痴が過激になって悪口になって、そこまで思っていなかったのにハゲ化の呪いまでかけて、最後は二人でケラケラ笑ったのだった。
♢ 〇 ♢
「大丈夫だよ。日南さん、性格悪いって噂だし、すぐ別れるよ」
日南さんと話したこともないのに、史帆にがっつり肩入れしているイノちゃんが言ってくれる。
失恋してその相手まで知ってしまった途端に恋心が勝手に暴走して、史帆は駄目になった今さら桐生を本気で好きになっていた。
桐生を見かける度に切ないくらいに胸が締めつけられて、〈もっと話したかった〉とか、〈もっと早く告白しちゃえばよかった〉とか、後悔ばかりが頭をよぎって、その度に自分を責めた。
魅力がない、決断力がない、行動力がない、……って。
……けど、史帆の願望とは裏腹に、二人にちっとも別れる気配はなかった。
そのうちに桐生はぐんぐん背が伸びて、ますます格好良くなって……。
たまに史帆が勇気を出して話しかけると普通に話してくれたけれど……、それだけだった。
ちっとも、史帆がまだ彼を好きなことを考えてくれる素振りはなかった。
桐生があんまり格好良くなってしまったから、何だか抱き着いたりとか身体を触らせたりとか、日南さんには内緒でいいとか、とにかく無茶苦茶なアピールをした女子もいたらしいけれど、彼はそういう子達にも丁寧に、でもきっぱりと断っているそうだ。
『日南さんと真剣に付き合ってるから、彼女のこと以外考えられない』、……って。
その噂を聞いた時、史帆は図らずも――悔しくもこう思ってしまったのだ。
(……何だ。あたし、今回は結構男見る目あったんじゃん)
……って。
♢ 〇 ♢
結局高三の途中で、この切な過ぎて、でも学びも多かった初恋から距離を置いて、史帆は、イノちゃんと一緒に出会い探しに励むようになった。
他校の文化祭に行ってみたり、お互いのバイト先の男の子を紹介し合ったりして。
それでも史帆の胸の中にはいつも過去になってしまった桐生がいて、ついつい新しい男の子と比べてしまっていたんだけれど――だって、嫌でも学校で見かけてしまうから――、卒業が近づくと、卒アル用に取ったアンケートで校内ベストカップルに桐生と日南さんが選ばれたりして、またグサッと深く深く心を削られて、劣等感ばかりが積み重なって。
いつまでも想っていても余計に傷つくだけだと痛いくらいに思い知らされた。
……結局、あの時は釣り合っているような気がしていたけれど、桐生と史帆とは、ちっとも釣り合っていなかった。
史帆には、桐生がスポーツにずっと長い間打ち込んでいるみたいに、本気で頑張っている何かはない。
受験勉強も本当には必死でやっているわけじゃないし、バドミントン部も途中で辞めてしまった。
一方の日南さんは、帰国子女だとかで英語がペラペラで、どこからか漏れ聞いた志望大学は目が飛び出るような全国区の難関女子大だった。
彼女にとっては滑り止めレベルの大学が、史帆の第一志望の大学だろうとすぐわかった。
ちゃらんぽらんで楽しいことが大好きですぐに楽な方に流される史帆とは、顔だけじゃなくて、中身も違う。
……彼女は、桐生と、ちゃんと釣り合っている女の子だ。
桐生は、史帆が相手にしてもらおうと考えるには、素敵過ぎる男の子だった。
それが現実。
そういうことだ。
たまたま同じ高校で同じクラスになっただけで、同じレベルでもなんでもなかったってことなんだ。
何たるつらくて重くて苦しい事実だろう。
だけど……、だとしたって、悪いことばかりじゃない。
「……史帆ちゃんってさ、休みの日は何してんの? やっぱり、勉強かな。今、一番大変な時だよね――」
ここは、ファーストフードの二人席。
さっきから、エスカレーター式で大学まで上がるというイノちゃんのバイト先の同い年の男の子が、一生懸命に史帆に話しかけている。
イノちゃんの紹介で連絡先を交換して、互いの写真やメッセージを送り合ったりして、今日初めて遊ぶことになったのだ。
史帆は、照れて目を逸らしてばかりの彼の顔を、まじまじと観察した。
どの角度からどう見たって、桐生ほどは格好良くないし、桐生ほどは背が高くない。
……けど、鼻毛は出ていない。
家を出る前に、ちゃんと鏡を見てきてくれたみたいだ。
(……ふーん)
まあ、高一の時に付き合ったバイト先で一緒だった元彼よりはまだマシ、か。
……しかしすぐに、史帆の中にいる、失恋ですっかり捻(ひね)くれた史帆自身が皮肉な顔で唇を尖らす。
(……けどさぁ。どうせあんただって、日南さんに言い寄られたら、ころっと心変わりするんでしょ)
男の子は女の子の顔ばかり見る。
顔が可愛い子にはすぐにデレデレになるんだ。
馬鹿みたい。
本当に、馬鹿みたいだ。
……でも、現実問題、今、日南さんが彼の側にいるわけじゃない。
(……それに、日南さんがこの男の子のこと、好きになると思えないし)
日南さんは、悔しいことに、……一途で真面目な女の子なのだ。
桐生以外の男子には、目もくれない。
「――俺で力になれることがあったら、何でも言ってよ。時間あるからさ」
史帆の内心の葛藤なんかちっとも気づかずに、彼ばかりが嬉しそうに喋っている。
彼の気持ちばかり盛り上がっているのがわかって、申し訳なく思ったけれど、……昔みたいに、面倒だったりうざったくは思わなかった。
人に恋する気持ちが、どんなに切なくて苦しいものか……、わかったから。
(まあ……、ぶっちゃけこの人、顔は大したことないけどさ)
でも、そんなこと言ったら、あたしだって大したことないし。
そんなことより何より、二人には大事なことがある。
(……今この人は、あたしのことを気に入ってくれてるみたいなんだもん)
そんな男の子の存在がどんなに嬉しくて貴重か……、今の史帆にはよくわかった。
だから、今はまだあんまり乗り気になれないけれど、嫌いじゃないし、もう少し話してみようと思う。
断ることになっても、絶対無用に傷つけるようなことはしないで、丁寧にしよう。
そうあらためて心に決めて、彼のことをもっとよく知ろうと、史帆は笑顔を作った。
「受験勉強スルーできるの、羨ましいなぁ。今って、何してるの? 大学に備えてたりとか、する――?」
(――彼氏。彼氏っ。彼氏! 彼氏が欲しいなぁ……! 高校生になったんだもん)
〈高校生〉――小学生の頃から憧れていた響きだった。
だって、高校生といえば、大人だ。
高校に入った瞬間から、史帆は〈彼氏が欲しい〉と強く願っていた。
中学の頃、史帆は一人だけ彼氏ができたことがあった。
あれは一学年下で、同じバドミントン部に入っていた男の子だった。
史帆から誘ってたまに一緒に帰ったりして、バレンタインに勇気を出して告白して、付き合うことになったのだった。
……けど、三か月も持たずに、あっという間に終わってしまった。
お互い付き合うのは初めてだったし、何をしていいのかよくわからないうちに、『やっぱり友達に戻ろう』と、史帆から言ったのだ。
史帆から告白して、史帆から振ったんだから……、彼はわけがわからなかったと思う。
付き合う前、だんだん距離が近づいている時は、少女漫画のヒロインに自分がなったみたいでドキドキした。
けれど、いざ実際付き合ってみてから落ち着いてよく見ると、彼はあんまり格好良くなかったし、話しやすいけれど、代わりに一緒にいてもちっともドキドキしないことに気がついたからだ。
〈恋に恋していただけ〉――というやつだったんだろう。
そう気づいても、後悔先に立たず。遅かった。
付き合い始めてからは、それはもう本当に時間が経つのが長く感じた。
まだ三日、まだ一週間、まだ一か月、って。
付き合ったばかりで振るのは悪い気がして、せめて何か月かは付き合ってから振ろうと考えていたのだけれど、史帆が素っ気なくなるほどに、彼は焦って、気持ちが重くなるみたいだった。
……それも面倒でうんざりした。
別れを告げた時に、彼は泣いてしまって……。
悪いと思うと同時に、彼がうじうじしているように感じてしまって、さらに幻滅した。
それは、拍子抜けするほど呆気なく終わってしまった、史帆の初恋――めいた何かだった。
♢ 〇 ♢
(――次は、絶対絶対格好いい人。一緒にいてドキドキする男の子がいいな)
鏡を覗き込んでみて、前髪を直して、薄く施したメイクを綺麗に整える。
うん。自分でも、自分は結構可愛いと思う。
ボブカットの髪はもう少し伸ばす予定だけれど艶があるし、笑うとえくぼができるところも自分では気に入っている。
自分は私服のセンスも悪くないし、初彼のあの男の子とは、どう考えてもやっぱりちょっと釣り合っていなかった。
男の子と初めて付き合って、自分から振って――女としての自分に、ちょっと自信がついたみたいだった。
(勝ち側、的な?)
そんな調子に乗って浮かれた気分で高校に入って同じクラスになった男子をざっと見渡してみて、〈桐生(きりゅう)翔(しょう)真(ま)〉という男の子が一番好みだな――と、史帆は思った。
ちょっと背は低いけれど、前髪の向こうに隠れた顔立ちは整っていて、なかなか素敵だ。
性格もチャラそうじゃなくて、優しそうだった。……いや、綺麗な二重の垂れ目やいつも弧を描いている唇のせいで、優しげに見えるのかもしれなかったけれど。
クラスで目立つタイプではないが、いつも男友達に囲まれて微笑んでいて、そういう時はアイドルみたいに見えることもある。
だけど、この――〈男友達に囲まれている〉というのが、曲者(くせもの)なのだ。
桐生が一人でいることなんてあまりないから、話しかけようにもクラスの目を引いてしまう。
……なかなか、最初の一歩を踏み出す勇気が出ない。
上手くいったらいいけれど、振られたら、その事実をクラスの皆に知られてしまう。
そんなのあまりに恥ずかしくて格好悪いし、〈振られた子〉、〈モテない子〉として同情されたり馬鹿にされるのも嫌だ。
そういうリスクを負うには――まだ高校に入学したばかりでは早すぎると思った。
失敗ルートに入ってしまった場合、速やかにクラス替えになっていただかないと、困る。
桐生は大人しい男子で、ちょっと押しに弱そうな感じもするから、頑張ってみたい気もするんだけれど……。
史帆達一年A組は仕切るタイプの生徒がそんなにいなくて、親睦会的なことも、春先の体育祭後に打ち上げを一度やったきり誰も企画しなかった。
その一度だけの打ち上げで、史帆はたまたま桐生と隣り合って座るタイミングがあって、その辺りに座っているメンバーで、これまでの恋話を打ち明け合う流れになった。
「じゃあ――、桐生は? 今付き合ってる人とかいるの?」
気になっている桐生に、高一のクラスでの自己紹介の延長みたいな感じで皆に訊いている質問が投げかけられて、史帆はどきりとした。
カラオケのパーティールームの人数ぎりぎりまで入っていたから、席はぎゅう詰めで、桐生と史帆はぴったり身体がくっついている。
桐生の体温がやけに温かく感じられて、胸の高揚が止まらない。
皆が桐生を見ているから、史帆も堂々と彼の横顔を見つめた。……鼻筋が通って、横顔も格好いい。
自分を注視しているクラスメイト達に苦笑して、桐生が答えた。
「今はいないよ。別れたばっかりなんだ」
「へえ。その元カノって、同じ中学の人?」
「そう」
口ごもっている桐生に、これまで話した皆もぶっちゃけたんだから、と、まわりから何となく圧がかかる。
クラスメイトの女子が深掘りした。
「それ、どっちから告白したの?」
「向こうから。……だけど、途中で上手くいかなくなっちゃってさ。何か、だんだん乗りが合わなくなってった感じで……」
桐生が言うので、思わず史帆は隣で頷いた。
「あ、その感じ、わかる。めっちゃわかる」
自分の初恋と見事にリンクした気がして嬉しくて、史帆は何度もそう言った。
ついつい身を乗り出した史帆に、桐生も隣からこちらを見返してくれた。
「佐々木もそういうこと、あったの?」
「うん。ウチも、中学の時に付き合ってた元彼と、そんな感じだったんだ。えっと、向こうは好きでいてくれたみたいなんだけど……」
そのまま流れで史帆の恋話のターンになったから、ほんの少しだけ盛って、自分がモテる女の子なんだ、っていう感じを醸しながら史帆は語った。
それなのに、桐生に、
「へえ。モテるんだね」
なんて言われると、慌てて史帆はぶんぶん首を振った。
「いやいや、モテないよー。たまたま、その男の子とそういう感じになっただけで……」
急に赤くなって謙遜する史帆の話を、桐生も頷きながら聞いてくれた。
二人の過去がシンクロした気がして、史帆は胸がきゅんとときめくのを感じた。
♢ 〇 ♢
(……あの時は、結構盛り上がったと思ったんだけどなぁ)
打ち上げ終わりに皆で連絡先を交換したけれど、……桐生から個人ルームにメッセージが来ることは一度もなかった。
それでも、一学期が終わって二学期もなかばも過ぎた頃には、クラスでは結構話す仲になっていたし、史帆がクラスで一番気の合う女友達のイノちゃんが桐生と仲がいい須藤(すどう)慎(しん)太(た)という男子とよく喋ることもあって、史帆と桐生は仲がいい括(くく)りに入るとは思う……のだが、それだけだった。
桐生は昔からとあるスポーツに打ち込んでいるらしくて、校内にある部活には入らず、地元のユースチームに所属してプレイしているらしい。
……とすると、忙しくて彼女なんか作る暇がないのかもしれない。
そう思うと、ますますグイグイいくのに気が引ける。
そうこうするうちに冬休みに入って、史帆は駅前のファーストフードでアルバイトを始めた。
そこでしばらくバイトを続けていると、他校に通う一学上の男の子と仲良くなった。
彼はバイト先では先輩で、仕事も手際がよくて評判だったし、新入りの史帆に仕事を丁寧に教えてくれた。
ちょっと物言いがキツくて態度が大きい感じはあったけど、バイト先でテキパキ動いて仕事振りに信頼もある彼が、史帆には頼りがいがあるように見えた。
だから、史帆からもそれなりに話しかけてみていると、向こうも史帆をいいと思ってくれていたようで、彼から告白されて、クリスマスデートの誘いがあって――待ち合わせ場所に行ってみると、彼の私服のダサさに潮が引くような心地(ここち)がした。
(げ……。マジ? ダサすぎ……)
彼はいかにも〈お母さんに量販店で買ってきてもらいました!〉みたいな冴えないチェックのシャツに小汚いダメージジーンズを合わせていて、がっかりしてしまった。
(バイト先にはいつも制服で着てたし、この壊滅的なセンスには気づかんかったわ……)
おいおい。
よく見ると、鼻毛まで出てるじゃねーか。
史帆はお洒落にもメイクにも気を遣っているから、彼の手の抜き方が余計に目について腹が立った。
少しはそっちも頑張りなよ、って。
史帆は、自分の見る目のなさと引きの悪さにがっかりした。
(……もしかして、ウチ、また中学の時と同じ失敗した?)
嫌な予感に史帆が額に手を当てたくなっているのも気づかずに、彼は十五分も遅刻しておいて、謝るでもなく歩み寄ってきた。
「よっ、史帆。お待たせぇ」
呼び捨てにしていいとか、言いましたっけ?
そう訊きたいのを我慢して、史帆は彼と一緒に公開したばかりの映画を観た。
会話が弾まなくても間が持つから――なんて選んだデートコースだったはずなのに、彼は映画館が暗くなると同時に手を繋いできた。またも、勝手に。
(うわっ、キモッ! 何こいつ……)
ぎょっとして、……気がつくと鳥肌が立っていた。
史帆が引いているのを照れて恥ずかしがっていると思ったのか、彼はデート中はずっと威張っているみたいな話し方をして何度も勝手に過剰なボディタッチをしてきて――それでもう、我慢の限界だった。
一度きりのデートを終えた後はひたすら距離を置いてあちらに空気を読んでいただいて、終了した。
史帆はバイト先では彼と一番仲がよかったから居づらくなって、冬休みの終わりと同時に辞めてしまった。
二人で撮った写真をスマホから削除しようと思って眺めてみると、史帆はさらにがっかりしてため息を吐いた。
恋している……ような気でいた時は、顔ももっと格好いい気がしていたけれど、冷静になってよく見ると、全然格好良くなかった。
いやそれどころか、ただのブスだった。
……やっぱり、〈すぐに離脱できる場所〉という保険をかけた恋を探そう、というのは、安直だったかもしれない。
それとも、心のどこかで同じクラスだから気まずいと思って引いてしまっている桐生のことが、ずっと引っかかっているから駄目なのかもしれない。
冬休み明けに教室に入ると、まず笑っている桐生の姿が目に入って、彼は須藤と話しているところだった。
(……やっぱり、桐生って格好いいなぁ)
大人しい彼より、お調子者でよく喋る須藤の方がクラスでは目立っている。
そういえば須藤の方が背が高いから、それもあるかもしれない。あと、須藤は猿顔で物凄く顔立ちに特徴があるから、それもあるのかも。
……でも、イノちゃんと史帆の共通見解としては、須藤はちょっと悪乗りが過ぎるところがあった。
その場で面白おかしく喋る分には楽しくていいんだけれど……、あんまりいい奴じゃない。
桐生は、女子を貶して弄るみたいな変な冗談を言うようなことはないんだけれど。
以前は同じクラスに桐生を気になると言っている子もいたけれど、彼と同じく大人しい雰囲気の女子だった。
彼女は、冬休み前に同じ部の先輩と付き合い出したらしい。
(となると、今がチャンス? ……やっぱり、勇気出して頑張ってみようかなぁ)
同じクラスの子が彼を気になると公言している状況だと複雑だけれど、それも解消された。
クラス替えも近い――なら、上手くいかなくたって、そんなに長く気まずくならずに済むだろう。
(……桐生も私服くっそダサかったらどうしよ)
私服がダサいと自分が秒で冷めてしまうのは、経験済みだ。
でも、桐生はよーく顔を見てもやっぱり整っていて格好いいから、一緒に歩いたら楽しいだろう。
スポーツを頑張っているというのも、素敵だと思う。
まるで自分が選ぶ側に立っているみたいな上から目線で、史帆はそう思った。
だって、もう二人も彼氏ができたことがあって、どっちも史帆から振ったのだ。
自分は、きっと結構上のランクの女の子なのだろう――そんな風に調子に乗ってしまう部分もあった。
……でも、そんな偉そうな考え方は、無敵状態から生じているというわけでもなくて、上手くいく確証もないのに、桐生を凄く好きになるのは怖いという不安の裏返しでもあった。
桐生をあらためて意識するようになって、少しだけぎこちない仕草で、史帆はイノちゃんに話しかけた。
「おはよう、イノちゃん。冬休み、あっという間に終わっちゃったね……」
♢ 〇 ♢
「イノちゃん、聞いて聞いてっ。昨日あいつにメッセージ送ったんだけど、結構やり取り盛り上がったんだよ……」
誰もいない廊下でイノちゃんと騒いで、誰もいないのをさんざん確認したんだけれど、桐生の名前を聞きつけられたら大変だと思って、史帆は〈あいつ〉と言った。
イノちゃんもすぐに笑顔になって、史帆に頷いた。
「よかったじゃん! 二人、絶対合うよね」
「ほんと? ほんとにそう思う?」
「うん。それに、史帆と話してる時の奴、嬉しそうだもん。絶対上手くいくよ」
イノちゃんは、優しい子だ。
背格好に加えて、髪型だとかメイクも史帆とちょっと似ていて、男の先生に『双子みたいだな』とからかわれることもある。
要は、二人は好みが似ているのだ。
流行りを追いかけるのが好きで、恋に憧れていて、少女漫画が大好き。
部活は同じバド部に入って、緩く流している。
イノちゃん的には友達の史帆を勇気づけたくて、あとたぶん、マイナスなことを言う性格じゃないのもあって、『絶対』を連発してくれる。
彼女がそんなキャラだとわかっていたはずなのに、イノちゃんが煽るせいで、史帆はどんどん桐生を意識するようになった。
(よしっ。もっと桐生に頑張ってみよう)
何とか機会を見つけては桐生に話しかけ、須藤を始めとしたクラスメイトの男子に『おっ』という顔をされたり、ニヤニヤされたりもしたけれど、気づかない振りをした。
桐生は戸惑っているようにも見えたけれど、……嬉しそうにも見えたから。
だけど……。
「……あーあ、やっぱり駄目なのかなぁ。桐生と……」
高一の二月に入ったその日、学校帰りに寄ったカフェでお喋りしながら、史帆は大きなため息を吐いた。
向かいでメイプルラテを飲みながら、イノちゃんがスマホをポチポチしながら小首を傾げる。
「どうして? 桐生と何かあったの?」
「んー……。何かイマイチ手応えないんだよね」
学校で顔を合わせれば普通に話すし、かなり距離が縮まってきた、とは思う。
メッセージをこちらから入れれば返ってはくるんだけれど……、向こうからは滅多に来ない。
返信スピードは速かったり遅かったり、……まちまちだ。
「イノちゃんは? やっぱり杉崎先生のこと、頑張るの?」
杉崎先生というのは、去年の秋に教育実習で来ていた大学生の先生だ。
二人が一緒に入っているゆるゆるなバドミントン部の担当にもなって、彼はやたらとイノちゃんに話しかけてきていた。
……というのも、ちょっと暑苦しいノリだった杉崎先生は、赴任挨拶早々史帆達一年A組の生徒達をドン引きさせて、浮きまくっていたのだ。
イノちゃんだけは彼に親切に接していて、杉崎先生は大喜びでイノちゃんに懐いていた。
その勢いを見て、猫まっしぐら――なんて言って、史帆とイノちゃんは苦笑し合ったものだった。
それで二人は連絡先を交換して……、でも教習期間が終わると同時に、杉崎先生はイノちゃんに素っ気なくなってしまった。
用済み、って感じに。
その頃には、大学生の彼にイノちゃんはだんだん惹かれていたから、凄く落ち込んでいた。
(大人って、ズルいよなぁ……)
イノちゃんを見ていて、史帆はそう思った。
必要な時にはあんなに気を持たせるみたいに優しくして、必要がなくなったら、途端にポイ、だ。
イノちゃんは――イノちゃんだけは、授業でも部活でも滑り倒していたあいつに、優しかったのに。
だんだん冷たくなってしまった彼の反応にイノちゃんは一喜一憂して振りまわされて、……結局最初から彼女がいたことがわかって。
何だか、彼の楽しい教習の思い出作りに利用されてしまったみたいだった。
イノちゃんはため息を吐いて、肩をすくめた。
「……ううん。もうかなり気持ち落ち着いてきた。よく考えたら、スーツマジックに騙されてたのかもしれないし」
「あ、それはマジであるよ。ていうか、絶対そう! 制服マジックにウチもやられたし」
「やられたよねー。バイト先の先輩でしょ?」
「の、鼻毛!」
「うわ、キッツいなぁ」
「しかも初デートでかまされたからね? マジ、鏡くらい見てこいよって突っ込みたかったし!」
「指摘しないであげた史帆、偉い」
「ウチ、マジで神じゃない?」
くすくす笑って、イノちゃんも頷く。
イノちゃんの笑顔を見てほっとして、史帆は明るく言った。
「ていうかさ! 杉崎ってハゲの気配なかった? あいつ、絶対若ハゲするよ! ウチがハゲ散らかす呪いかけといてあげるから。あんなハゲ、どーでもいいじゃん」
「あはは! だよね」
イノちゃんは、ますます笑った。
笑いながら目の端から切ない涙が零れて、泣き笑いの顔になった。
桐生のことは気になるけれど……、それ以上に今はイノちゃんの失恋の傷が心配だった。
史帆としては、〈自分でも手が届く程度に〉〈格好いい彼氏が欲しい〉から、〈桐生のことが気になる〉のであって、逆ではなかった。
……この時は、まだ。
イノちゃんの恋が駄目になって、〈じゃあとりあえずよく喋る仲だし話も合う須藤はどうなんだ〉という〈須藤問題〉が検討されて却下になって――……。
となると、イノちゃんと史帆の話題は、どんどん桐生のことばかりになっていった。
……だいたい、毎日一緒だっていうのが悪いのだ。
学校生活って、おかしくない?
どんなに仲がいい友達で話が合ったって、こんなに毎日顔を突き合わせていたら、話題なんてなくなる。
同じ話を繰り返さざるを得なくなって、好きでもないドラマだとかアイドルだとかアニメだとかを話題作りのために追いかけてもそう間が持たなくなって……。
最終的に、一番盛り上がる話題――〈恋〉を無理に進展させなきゃいけなくなる。
「桐生ってさ、ウチのこと、あると思う?」
「うーん。脈ありに見えると思うけどな」
「そっかなぁ……」
「桐生って全然積極的なタイプじゃないし、受け身だよね。好きでも自分からいく勇気、ないのかもよ」
杉崎先生でやらかした失敗を忘れて、史帆とイノちゃんの会話はだんだん都合のいい方向に流れていった。
……史帆は振られたことがなかったから、また上手くいくんじゃないかという、都合のいい楽観主義も頭に浮かんでいた。
まだこの時は、自分は結構可愛い方だという自負もあった。
「……よし。じゃあ、今度桐生が練習ない日探り出して、誘ってみっか! イノちゃん、付き合ってくれる?」
「須藤もセットで?」
「そうそう、そういうことです」
史帆がぺこりと頭を下げると、イノちゃんも頷いた。
「史帆のためだ。じゃあ、まずは須藤の予定を確保するか」
そんな感じで桐生を誘うことに決まって、史帆は学校の廊下で一人歩いている彼を呼び止めた。
「――ねえねえ、桐生! 今日確か、練習休みっしょ? 一緒にカラオケ行こうよ。須藤とかイノちゃんとかも行けるって!」
照れ隠しに声をかけるなりそう言ってしまって、史帆は〈しまった〉と思った。
本題に入る前に、もう少しはさり気ない話題でも振ればよかったのに。
実際、急にいろいろ言われて戸惑ったように、桐生が口ごもった。
「……あー……」
困ったように……、でも、唇の端がちょっとだけ微笑んでいる。
駄目なら駄目でいいや――クラス替えが近いという保険もかけていることだし、別にそんなに好きなわけじゃないし。
そう……、好きな振り(、、)しているだけ。
今また彼氏がいないし、何となく手持ち無沙汰だし、イノちゃんと盛り上がる話題作りにもなるし。
さっきまではそう思っていたはずなのに、桐生に断られるのが急に怖くなって、史帆は急いで続けた。
「どう⁉ ね、いいでしょ?」
「うーん、どうすっかな……」
少し悩んでいる様子だったけれど、史帆がもじもじしていると、やがて桐生は頭を掻いて答えた。
「えっと……、須藤来るならいいよ。でも、俺あんまり歌えないけど」
桐生の返事にほっとして、でも、〈ちょっと強引すぎたかな〉とも思う。
……もしかすると、桐生は、断ったりして史帆が気まずく思わないように、気を遣ってくれたのかもしれない。
悪いことをしてしまっただろうか? ああ、駄目だ。いろんな考えが頭に浮かんで消える。
そんなことをぐるぐる考える度に自分の気持ちが勝手に大きくなってしまうのを感じて、史帆は慌ててこくこく頷いた。
「小学校とかで流行ったアニソンでいいって。一曲くらい何か歌えるっしょ? ウチも最近の歌とか知らないし、気ぃ遣わないでいいから。じゃ、放課後駅集合ねー!」
♢ 〇 ♢
その日四人で行ったカラオケは結構盛り上がって、須藤とイノちゃんが同じタイミングでトイレに出て、少しだけ二人きりで話したりもして――……。
やっとのことで手応えを感じてきて、桐生も史帆をいいなと感じてくれているのかなと思えた。
メッセージの返信速度も、少し速くなってきた感じがある。
でも、そうなってくると、史帆は焦った。
「あー、どうしよ……。もうクラス替えになっちゃうよ」
クラス替えが近づくまで時間稼ぎをしていたのは自分なのに、今になって史帆はそう思った。
いつだって、史帆達はないものねだりだ。
そんな風にいつも通りに史帆が愚痴を零すと、イノちゃんが肩をすくめた。
「じゃあさ、須藤に訊いてもらうっていうのはどう?」
「何を?」
「だから、桐生が史帆をどう思ってるかってこと。あたし、須藤に頼んでみようか?」
イノちゃんにアシストを申し出られて、史帆は小首を傾げた。
確かに、さすがに須藤には、史帆が桐生を好きだともう悟られてしまっている。
でも、須藤に桐生の気持ちを訊いてもらえれば、……史帆も告白する勇気が出るかもしれない。
「それ、ありかも。お願いしちゃおうかな……」
「いいよ。じゃあ、そのうちタイミング見て須藤に言っとくよ」
♢ 〇 ♢
そんな風にイノちゃんと作戦会議を重ねるうちに、やがて、三学期最後の体育系イベント――球技大会の季節が来た。
この後は大掃除があって期末テストがあって、クラス替えだ。
もし桐生と上手くいくなら、ちょっとくらいは同じクラスで過ごせる期間があると楽しい……なんて、都合のいいことを考えて、史帆はわくわくしていた。
球技大会の種目にバドミントンはなくて、史帆はイノちゃんと一緒にバレーボールのメンバーに入ることにしていた。
桐生は例の昔から頑張っている競技でメンバーになっているから、その観戦の方が自分のバレーボールより楽しみだ。
自分の試合のために体育館に行くと、史帆は目を見開いた。
「――な……、何でこんなに男子いんの?」
まだ一回戦で、注目の一戦でも何でもないのに。
すると、顔をしかめてイノちゃんが教えてくれた。
「たぶんさ、【日南さん】のこと見に来たんだよ。相手、C組だから」
「日南さんって……。あぁ……」
名前を聞いて、何となく合点した。
日南ナントカさんは物凄く可愛いと評判の一年の女子で、校内の男子達にたくさん告白されているという話だった。
でも、お高く留まっているとかで、あんまり性格がよくないという噂もあった。
向こう側のコートに彼女らしき女の子を見つけて、史帆は目を瞬いた。
(うわぁ……。お人形さんみたい……)
確かに――、日南さんは凄く綺麗な外見をした女の子だった。
さらさらの長い髪に、ぱっちりと大きな瞳、色白な肌。
女の史帆でも、守ってあげたくなってしまうような、肩入れしたくなるような雰囲気がある。
顔やスタイルの造形が整い過ぎて、まるで、絵か写真に写っている女の子を見ているみたいだ。
彼女は、確かにそこにいて、息をして動いているのに。
つい日南さんに見惚れていると、隣でイノちゃんがうんざりした声で呟いた。
「男子って、マジで馬鹿だよね……」
杉崎先生を吹っ切ってからちょっと男嫌いになりかけているイノちゃんが、嫌そうに首を振る。
と、試合開始前に、コート脇に同クラの男子達に混じって、桐生が現れた。須藤もいる。
史帆は、つい顔を赤らめた。
(……もしかして、桐生、応援に来てくれたのかな?)
史帆のために――。
どぎまぎしているうちに試合が始まると、日南さんがサーブを打つ番になって、応援の声が上がった。
「日南さん、頑張ってー!」
騒がしいその声は、C組の男子達だ。
日南さんは恥ずかしそうにこくこく頷き返して、横打ちで『えいっ』とサーブを打った。
彼女のサーブがたまたま女子同士の間に落ちてお見合いになってサービスエースになると、C組の男子がうるさいくらいに盛り上がった。
……と、目をやれば、須藤まで手を叩いて喜んでいる。
何だ、あいつは。
今は、史帆達A組が点を取られたのに。
「……やっぱり須藤はないね」
「うん。ないわ。まあ、あいつは純然たる友達枠ということで」
「ですな。友達としてなら、まあ、面白いしね」
須藤は桐生に気持ちを訊いてくれるとイノちゃんに約束してくれたそうだが――、史帆を思ってというよりかは、面白がっている感じだった。
そういうのもあって、イノちゃんと一緒に深く頷き合って、史帆は試合に再び集中した。
C組女子はそんなに強くなくて、試合には史帆達A組が勝って、史帆はイノちゃんや他のメンバーと手を取り合って喜んだ。
日南さんのことは、この時限りで忘れてしまった。
同じクラスでもないし、史帆とは関係ない子だと思っていた。
♢ 〇 ♢
その日は桐生がメンバーになっていた得意のスポーツで驚くくらいに活躍して、史帆はドキドキしっ放しだった。
あんなに桐生が格好いいなんて、史帆だって知らなかった。
コートを駆け抜ける彼は、まるで一人だけずっとスポットライトを浴びているみたいだった。
何というか、華があるのだ。
彼がそこにいるだけで、輝いてしまうような……。教室で過ごしている時の大人しい桐生とは、大違いだった。
(うわ、うわうわうわ! ウチ、見る目あり過ぎない……⁉ まわりに気づかれる前に桐生に頑張っといてよかったぁ……!)
A組の女子達も他のクラスの子達も、桐生のあまりの格好良さにびっくりするくらいに盛り上がっている。
イノちゃんも、隣で何度も史帆の肩を揺すっている。
「桐生、超凄いじゃん! ほら、また点入れたよっ。史帆、見て見て! 目ぇ離しちゃ駄目っ」
桐生が格好いいことを、イノちゃんが史帆のために喜んでくれている。
史帆は、イノちゃんのためにいい人を見つけたら絶対絶対紹介してあげようと思った。
すると、イノちゃんが史帆に耳打ちしてきた。
「……こりゃやばいよ、史帆。桐生のファン、今日で凄い増えた気がする。今日球技大会終わったら打ち上げやるって話だったから、何か動いた方がいいんじゃない?」
「う、うん……」
まだドキドキと桐生のプレイを見つめながら、史帆は頷いた。
焦る――ひたすら、焦る。
一秒でも早くちゃんと気持ちを確認しないと、桐生を誰かに盗られてしまう気がした。
♢ 〇 ♢
球技大会の後打ち上げで行ったカラオケではクラスでも目立つ派手な感じの女子達が桐生を持ち上げまくっていて、史帆は平気な顔をしていたけれど、内心では死ぬほどそわそわしていた。
須藤にはイノちゃんが話をつけてくれて、打ち上げ後にこっそり四人で抜けてボーリングに行こうという話になった。
その帰りには、須藤がさり気なく桐生の史帆に対する気持ちを訊いてくれることになっていた。
だけど……。
〈――何かさぁ。須藤、一応聞いてくれたみたいなんだけど、『わかんない』って言われちゃったんだって〉
その夜、イノちゃんからメッセージが来て、史帆は落胆した。
二人はこんなに距離が近づいてきている――はずなのに?
(『わからない』、なんだ……)
がっかりしていると、イノちゃんが追撃メッセージで慰めてくれた。
〈でも、桐生も恥ずかしいのかもよ? ほら、男同士って、よくわかんないプライドとかあるみたいだし〉
〈そっかなぁ……〉
〈にしてもさ! 須藤って、マジ使えなくない? あいつ何なん? ほんと口ばっかりw 何も訊き出せてねーwww〉
何とか史帆を笑わせようと、イノちゃんが一生懸命にメッセージを返してくれる。
須藤は、最近では史帆とイノちゃんの間で、男友達枠からお笑いネタ枠にまで格下げされていた。
何かで笑いたい時には、須藤ネタが一番いい。
どうでもよくて、すぐに笑えて、関係ない奴だから。
二人はその後も、メッセージで須藤を弄って盛り上がり続けたのだった。
♢ 〇 ♢
そのうちに三学期末の大掃除があって、こういう面倒なイベントでサボりまくる須藤にいい加減うんざりしてイノちゃんがはっきり怒って、ちょっと険悪になったりした。
雑巾を洗いに行ってくれた桐生が戻って、空気が変わると思って史帆はほっとした。
「ありがと、桐生。後は雑巾干して終わりかな。最後だから、さっと済ませちゃおう!」
明るく言って、史帆が駆け寄ってバケツを受け取ると、桐生がなぜか――気まずそうな顔をした。
「あ……、うん」
すぐに桐生に目を逸らされ、史帆は小首を傾げた。
「……?」
何となく桐生が自分を避けたような気がして、……嫌な予感が胸に走る。
(え……、何……?)
……気にし過ぎだろうか?
球技大会以来、桐生のことが前よりずっと素敵に思えてしまって、史帆は、彼の一挙手一投足が気になってしまうようになっていた。
でも、こんなちっぽけなことで不安になっていることが伝わってしまったら、桐生に重いと思われてしまうかもしれない。
史帆は何とか笑顔を作って、感じ取ってしまった違和感を頑張って気にしないようにした。
「こっちの窓の方が、日が当たってるよ。早く雑巾干しちゃおう……」
♢ 〇 ♢
……それから、桐生と史帆の間に漂う空気はガラッと変わってしまった。
メッセージを送っても半日以上も既読がつかなくなってしまったし、クラスで話しかけても視線が合わなくなって、どことなくよそよそしい。
(あ……。駄目になっちゃったんだ……)
すぐに、史帆の直感がそう告げる。
何があったかはわからない。
でも、二人の間にあった恋の始まりめいた何かが消えてしまったのは、間違いないように感じた。
イノちゃんは、すぐに否定してくれた。
「気にし過ぎじゃない? あんなに仲良かったんだし、そんなに心配しなくても大丈夫だよ。きっと今忙しくて疲れてるとかなんじゃない?」
「かなぁ……。でも、何か、自信なくなっちゃうよ」
最近の史帆はため息ばかりで、イノちゃんを困らせてばかりだった。
何があったのか全然わからなくて、……でも、告白のタイミングは棚上げした方がいいことだけはわかった。
「……他に好きな子とか、できたのかなぁ」
「そんなことないって」
「でも、この間の球技大会で凄い目立ってたし。あの後、何かあったのかも……」
「……」
少し考えて、イノちゃんがポンと手を打った。
「あ、そうだ。メッセージ送ってみれば? 案外、普通に返事返ってくるかもよ?」
「でも、昨日送ったばっかりだし……。もしほんとに忙しいなら、迷惑に思われちゃうかも」
「じゃあ、明日か明後日(あさって)。あ、やっぱり週末は? 土日なら、一日中練習ってこともないでしょ」
「うーん……」
考え込んで、その週末さり気ない感じでメッセージを送ってみて、でも、蓋を開けてみれば、日曜の夜まで待っても既読もつかなくて。
……史帆は、とうとうイノちゃんに電話で泣きついた。
『――もしもし? 史帆?』
「やっぱり駄目だった……。既読もつかないの。やっぱりこれ、振られちゃってるんだよね……」
電話口でイノちゃんの声を聞くともう我慢できなくて、史帆は泣いた。
どう考えたって、おかしい。
……いや、察するべきだ。
これは、言葉のない桐生からの返事なのだ。〈無理です〉、っていう……。
彼女が杉崎先生と駄目になってしまった時とは立ち位置が逆になって、イノちゃんは史帆の泣き言を何時間も聞いてくれた。
『まだわかんないかもよ。はっきり振られたわけじゃないし……』
「でも、さ。よく考えてみると、ウチも、元彼の時こういうのしたもん……」
これまで付き合った二人の彼氏と別れる時、史帆もだんだんメッセージの返信を遅らせたりして、〈別れの予告〉をしたものだった。
あの時は、急に言うより傷つかないだろう――それに面倒だ――なんていう軽い気持ちだったけれど、……こんなことをされてどんなに傷つくか、自分がその立場になって初めてわかった。
あれは、……駄目なことだった。
やっぱり、気持ちが決まった時点で、言わなくてはならなかった。
『あたしは、忙しかったらメッセージの確認送れちゃうこと、あるけどなぁ……』
まだ彼氏ができたことのないイノちゃんが、頑張って史帆をフォローしてくれる。
でも、史帆もまだはっきり何かがわかったわけじゃないのに諦めたくない気持ちもあって、イノちゃんの意見を聞いていると、〈そうなのかな?〉とも思えてきて……史帆は、優しいイノちゃんに甘えることにした。
「じゃあ、イノちゃんから桐生に、理由訊いてみてくれない、かな……」
『え、あたしが?』
「うん……。あ、無理ならいいんだけど」
『ううん。いいよ。訊いてみる。正直あたし的には桐生とかどうでもいいし。嫌われたって何も感じないから』
「変なこと頼んじゃって、ごめんね……」
『いいんだよ。あたしだって、杉崎先生の時は史帆に超話聞いてもらって助けてもらったし。あ、桐生とセットで須藤にも嫌われとくかな』
イノちゃんがいつものお笑いネタの須藤を引っ張り出して笑わせてくれて、史帆は何とか頷いた。
「だよね。須藤はマジでどうでもいいよね」
『ほんとほんと! 来年は絶対別クラがいいわー……』
♢ 〇 ♢
……結局、イノちゃんの質問に対する桐生の答えは、〈他に好きな人がいる〉、だった。
その後で、史帆にも桐生から直接メッセージが来た。
〈もう話聞いたかもしれないけど……。俺、好きな人がいるんだ。何か変な感じになっちゃってごめん〉
グサッと、本当にナイフが胸に突き刺さるみたいに感じる文面だった。
本当に文字通り目を見開いて息を呑んで、息ができなくなって、……でもすぐには涙が出なくて。
やっと涙が出たと思ったら、後から後から塩辛い涙が湧いてきた。
まるで、涙の泉が瞳の奥にあるみたいだった。
泣き腫らしたまま寝落ちしそうになって慌てて起きて、史帆は震える指で、何とか短く返事を書いた。
〈わかった。ウチもごめん〉
そう桐生に送ると――史帆は自室のベッドに突っ伏した。
怒っている。嫌な思いをした。……そういう、精いっぱいのアピールを込めたつもりの、短くて素っ気ないメッセージだった。
桐生に弁解されて謝られて『全部誤解だ』と言って引き止めてほしかったけれど、……きっと無理だと、どこかでわかっていた。
……だって。
(……全然、既読もつかねーじゃん)
悔しくて悲しくてつらくて、胸が破れてしまいそうだった。
あの球技大会までは……いや、二人の雰囲気が悪くなるまでは、ここまで桐生が好きだったわけじゃなかったはずだった。
ただちょっと顔が格好よくて、史帆が押せば何とか付き合いそうな雰囲気の男の子――それがたまたま桐生だった、というだけのことだった。
たぶん、よく考えてみると、桐生の性格すら、史帆は本当はよく知らない。
史帆は、ただ顔が格好いい彼氏が欲しかっただけなのだ。
あぁ、なんていう馬鹿みたいな浅い理由で好きになる人を決めちゃったんだろう。
それなのに……。
手に入らないことが決定的になると、急に物凄く桐生を好きだった気がして、惜しくて泣けてくる。
『――桐生、マジで馬鹿だよ。見る目なさ過ぎ。史帆はこんなにいい子なのにさ……!』
「ありがとぉ……。イノちゃん、マジで優しい。ほんと感謝。イノちゃん話聞いてくれなかったら、もう学校行けなかったかも……」
『駄目だよっ、そんなの。あんな奴のためにそんなことしちゃ駄目。史帆には絶対もっといい男いるから! あたしが保証するから!』
何の根拠もないのに夜更けにかけた電話でイノちゃんが力強く請け負ってくれて、史帆は何度も頷いたのだった。
♢ 〇 ♢
……だけど、それだけでは終わらないのが、〈初恋〉、というやつなのだった。
正直、知りたくなかった。
全然ちっとも、知りたくなかった。
なのに、史帆は、それから数か月後、どうして桐生に振られてしまったのか、はっきりと思い知らされてしまった。
桐生は、付き合っているというのだ――あの『滅茶苦茶可愛い』と男子達がうるさく騒いでいる、日南さんと。
(日南さん……、だったんだ)
桐生の、〈好きな人〉、……は。
史帆は、急に自分が惨めに感じてきた。
そりゃ、日南さんなんかと比べられちゃったら、史帆なんか普通だ。
いや、ブスだ。
全然可愛くない。
身体だってデブだし、なのに、胸の大きさでは完全に負けている。
あんなに可愛い子がライバルじゃ、史帆なんか、絶対勝てるわけない。
相手にもならない。
同じ土俵にも上がれない。
日南さんがキラキラ光るダイアモンドなら、史帆はその辺に転がっている石ころだ。
少しも光らない。
勝負にならない。
話にならない。
頭の中で、そんな、自分を否定して卑下してこき下ろして叩きのめす罵倒ばかりが、思い浮かんだ。
見たくもないのに、その年の文化祭では、二人でまわっている桐生達を見かけてしまった。〈げっ……〉と思っていると、廊下の先で、二人は派手な感じの男子と女子に冷やかされ始めた。
「――うっわ、日南さんと桐生ってマジで付き合ってんだ」
「へー。……何ていうか、意外な組み合わせだよね」
……何だか小馬鹿にしているような、嫌な口調だった。
史帆が聞いても、大人しい性格の桐生達を嘲笑しているのがわかる。
すると、久しぶりに見た須藤の奴がそこへ首を突っ込んでいった。
「――いやいやいや! どう見たって二人はお似合いっしょ! 日南さんってさ、桐生がやってるスポーツの大ファンなんだって。ねー? 日南さん」
急に須藤に話しかけられた日南さんが、目を白黒させて――悔しいくらいに可愛い顔で戸惑ってから、頷いた。
「う、うん。そうなんだ」
赤くなっている日南さんに、お調子者の須藤が頷く。
「だよね! うん、マジでお似合い! 羨まし過ぎるわー。二人ともおめでとー!」
はしゃいでいる須藤を見て、日南さんの隣に守るように立ってる桐生が笑う。
「おまえほんと声デカいって、須藤。ごめん、菜緒ちゃん」
「ううん。平気。……えっと、ありがとう、須藤君」
「おー、日南さんにお礼言われちゃった。やっべ、超嬉しいわ! 日南さん、桐生のことよろしくね! こいつマジでいい奴だから!」
「はいはい。じゃあ、また後でな。次の教室行こう、菜緒ちゃん」
「う、うん」
日南さんを連れている桐生が本当に嬉しそうで……、史帆はその場から動けなくなってしまった。
二人がこちらに来て、慌てて手近の空き教室に隠れると、……廊下を通る二人の会話の声を不覚にも間近で聞いてしまう。
「……ごめんね。翔真君。あたし、ああいう時、あんまり上手く話せなくて……」
「いや、俺もびっくりしたから。ああいう風に冷やかされるのって、結構恥ずかしいもんだね」
「うん……。……あの男の子、須藤君だったよね? 翔真君、仲良いんだね」
「まあ、お調子者過ぎるとこもあるけどね。言えばわかる奴だし、明るくて面白いよ」
「そっかぁ……」
……二人の互いを思いやるようなほのぼのとした声が、遠ざかっていく。
心が、どす黒いものでいっぱいだった。
(結局、顔かよ)
自分だってそうだったはずなのに、そんなことはすっかり忘れて、史帆は桐生を恨めしく思った。
あんなに嬉しそうな顔しやがって――あんな顔、いくら史帆が話しかけたって、見せたことなかったくせに……。
桐生どころか、日南さんにちょっと声をかけられただけの須藤まで本気で嬉しそうで、……史帆は心の底から腹が立った。
ちょっと顔が可愛いだけで、何でこんなに扱いが違うんだ。
男って何なんだ。
本当に最低で醜い自分勝手な生き物じゃないか。
そんなにブスが罪なわけ?
ブスで悪かったな。
とても立っていられなくなって、誰もいないその教室でしゃがみ込んで、史帆は歯を食いしばった。
ぎゅーっと胸が苦しくなって、史帆は、今になって初めて杉崎先生に振られた時のイノちゃんの気持ちがわかったと思った。
イノちゃんは、あの時、こんなにつらくて惨めな思いをしたんだ。
あの時は史帆なりに一生懸命に慰めたつもりだったけれど、……どこか他人事だった。
史帆は……、振られたことがなかったから。
「――史帆? 大丈夫?」
泣きながらSOSの電話をしたらすぐに駆けつけてくれたイノちゃんを見て、史帆は泣きついた。
「イノちゃん、今までごめん……っ。ウチ、ほんと何にもわかってなかった。イノちゃん、イノちゃんっ……!」
史帆がイノちゃんに抱き着いて何度も謝ると、理由を聞いてイノちゃんも泣いてくれた。
イノちゃんもまだまだ杉崎先生との失恋の傷が癒えていなくて、二人は泣きながら文化祭が終わるまでずっとその空き教室でお喋りしていた。
最後は、喋り過ぎて喉が枯れてしまうくらいだった。
それは、二人が〈本当の友達〉になった……初めての日だった。
「――桐生、マジで性格悪いよ! マジでクソ! 須藤の比じゃなかったね。地味な奴だから、気づかんかった!」
「ほんとだほんとだ! あの糞面食い野郎!」
「でもさ、こんな酷いことしといて、平気なわけないよ。絶対報いが来るから大丈夫だよ。史帆から男横取りした日南さんにも、バチ当たるよ」
「だといいけど……」
「絶対そうなる!」
「……ウチもそうなる気がしてきたっ。ついでに杉崎の馬鹿もバチ当たれ! 須藤も天罰下りやがれっ!」
「そうだそうだ! 全員地獄行きだっ! ハゲ散らかせ!」
どんどん愚痴が過激になって悪口になって、そこまで思っていなかったのにハゲ化の呪いまでかけて、最後は二人でケラケラ笑ったのだった。
♢ 〇 ♢
「大丈夫だよ。日南さん、性格悪いって噂だし、すぐ別れるよ」
日南さんと話したこともないのに、史帆にがっつり肩入れしているイノちゃんが言ってくれる。
失恋してその相手まで知ってしまった途端に恋心が勝手に暴走して、史帆は駄目になった今さら桐生を本気で好きになっていた。
桐生を見かける度に切ないくらいに胸が締めつけられて、〈もっと話したかった〉とか、〈もっと早く告白しちゃえばよかった〉とか、後悔ばかりが頭をよぎって、その度に自分を責めた。
魅力がない、決断力がない、行動力がない、……って。
……けど、史帆の願望とは裏腹に、二人にちっとも別れる気配はなかった。
そのうちに桐生はぐんぐん背が伸びて、ますます格好良くなって……。
たまに史帆が勇気を出して話しかけると普通に話してくれたけれど……、それだけだった。
ちっとも、史帆がまだ彼を好きなことを考えてくれる素振りはなかった。
桐生があんまり格好良くなってしまったから、何だか抱き着いたりとか身体を触らせたりとか、日南さんには内緒でいいとか、とにかく無茶苦茶なアピールをした女子もいたらしいけれど、彼はそういう子達にも丁寧に、でもきっぱりと断っているそうだ。
『日南さんと真剣に付き合ってるから、彼女のこと以外考えられない』、……って。
その噂を聞いた時、史帆は図らずも――悔しくもこう思ってしまったのだ。
(……何だ。あたし、今回は結構男見る目あったんじゃん)
……って。
♢ 〇 ♢
結局高三の途中で、この切な過ぎて、でも学びも多かった初恋から距離を置いて、史帆は、イノちゃんと一緒に出会い探しに励むようになった。
他校の文化祭に行ってみたり、お互いのバイト先の男の子を紹介し合ったりして。
それでも史帆の胸の中にはいつも過去になってしまった桐生がいて、ついつい新しい男の子と比べてしまっていたんだけれど――だって、嫌でも学校で見かけてしまうから――、卒業が近づくと、卒アル用に取ったアンケートで校内ベストカップルに桐生と日南さんが選ばれたりして、またグサッと深く深く心を削られて、劣等感ばかりが積み重なって。
いつまでも想っていても余計に傷つくだけだと痛いくらいに思い知らされた。
……結局、あの時は釣り合っているような気がしていたけれど、桐生と史帆とは、ちっとも釣り合っていなかった。
史帆には、桐生がスポーツにずっと長い間打ち込んでいるみたいに、本気で頑張っている何かはない。
受験勉強も本当には必死でやっているわけじゃないし、バドミントン部も途中で辞めてしまった。
一方の日南さんは、帰国子女だとかで英語がペラペラで、どこからか漏れ聞いた志望大学は目が飛び出るような全国区の難関女子大だった。
彼女にとっては滑り止めレベルの大学が、史帆の第一志望の大学だろうとすぐわかった。
ちゃらんぽらんで楽しいことが大好きですぐに楽な方に流される史帆とは、顔だけじゃなくて、中身も違う。
……彼女は、桐生と、ちゃんと釣り合っている女の子だ。
桐生は、史帆が相手にしてもらおうと考えるには、素敵過ぎる男の子だった。
それが現実。
そういうことだ。
たまたま同じ高校で同じクラスになっただけで、同じレベルでもなんでもなかったってことなんだ。
何たるつらくて重くて苦しい事実だろう。
だけど……、だとしたって、悪いことばかりじゃない。
「……史帆ちゃんってさ、休みの日は何してんの? やっぱり、勉強かな。今、一番大変な時だよね――」
ここは、ファーストフードの二人席。
さっきから、エスカレーター式で大学まで上がるというイノちゃんのバイト先の同い年の男の子が、一生懸命に史帆に話しかけている。
イノちゃんの紹介で連絡先を交換して、互いの写真やメッセージを送り合ったりして、今日初めて遊ぶことになったのだ。
史帆は、照れて目を逸らしてばかりの彼の顔を、まじまじと観察した。
どの角度からどう見たって、桐生ほどは格好良くないし、桐生ほどは背が高くない。
……けど、鼻毛は出ていない。
家を出る前に、ちゃんと鏡を見てきてくれたみたいだ。
(……ふーん)
まあ、高一の時に付き合ったバイト先で一緒だった元彼よりはまだマシ、か。
……しかしすぐに、史帆の中にいる、失恋ですっかり捻(ひね)くれた史帆自身が皮肉な顔で唇を尖らす。
(……けどさぁ。どうせあんただって、日南さんに言い寄られたら、ころっと心変わりするんでしょ)
男の子は女の子の顔ばかり見る。
顔が可愛い子にはすぐにデレデレになるんだ。
馬鹿みたい。
本当に、馬鹿みたいだ。
……でも、現実問題、今、日南さんが彼の側にいるわけじゃない。
(……それに、日南さんがこの男の子のこと、好きになると思えないし)
日南さんは、悔しいことに、……一途で真面目な女の子なのだ。
桐生以外の男子には、目もくれない。
「――俺で力になれることがあったら、何でも言ってよ。時間あるからさ」
史帆の内心の葛藤なんかちっとも気づかずに、彼ばかりが嬉しそうに喋っている。
彼の気持ちばかり盛り上がっているのがわかって、申し訳なく思ったけれど、……昔みたいに、面倒だったりうざったくは思わなかった。
人に恋する気持ちが、どんなに切なくて苦しいものか……、わかったから。
(まあ……、ぶっちゃけこの人、顔は大したことないけどさ)
でも、そんなこと言ったら、あたしだって大したことないし。
そんなことより何より、二人には大事なことがある。
(……今この人は、あたしのことを気に入ってくれてるみたいなんだもん)
そんな男の子の存在がどんなに嬉しくて貴重か……、今の史帆にはよくわかった。
だから、今はまだあんまり乗り気になれないけれど、嫌いじゃないし、もう少し話してみようと思う。
断ることになっても、絶対無用に傷つけるようなことはしないで、丁寧にしよう。
そうあらためて心に決めて、彼のことをもっとよく知ろうと、史帆は笑顔を作った。
「受験勉強スルーできるの、羨ましいなぁ。今って、何してるの? 大学に備えてたりとか、する――?」
