2024年も、もうすぐ終わろうとしていた。
昨日、ミツキは、アキヒコの部屋に泊まった。
そして、今日も、寒いと思った。
12月になっている。
そして、クリスマスに、大晦日、正月が来る。もう、2025年になろうとしている。
どうしたら良いのかと思う前に、ミツキは、アキヒコといたら、いつも何かあったと分かる。
品川駅で、アイスクリームをつけてしまったこと。
または、そのアイスクリームをつけた男性が、これから就職する先の同僚だったこと。
とんかつ屋で、「恋人」と言われたこと。
品川駅で、通りがかりの男性に、怒ったこと。
アキヒコが、インフルエンザにかかって、看病した事。
雨の中、二人で帰ったこと。
それらが、あった。
夫婦みたい、とも思った。
もう恋愛感情ではなく、戦友みたいな感覚。
確かに、最初、アキヒコを観た時は、二宮和也に似て男前と思っていたが、意外と、弱い部分もあったと気がついた、ミツキが。
アキヒコは、確かに、部屋の中には、アダルトサイトの雑誌やDVDがあった。そして、それで、ああ、おかずにしていたとミツキは、思った。
2024年11月22日に、岡田将生と高畑充希が、結婚したのは、分かっていた。そして、ミツキだって、岡田将生が、少しは好きだったのだが、悲しいかな。人間、ずっと、アイドルのまま、生きることはできない。
ただ、ミツキは、ずっと、アキヒコの世話をするのが、楽しいとも遣り甲斐があるとも感じていた。
そんな折だった。
アキヒコも、同じように考えていたのだが、困ったことに、勇気はなかったのだ。結婚しようっていう言葉が。
…
実は、2024年になって、今の会社にいて、不況になっているせいか、給料は、厳しいものがあった。
そして、世間では、まだ過労死なんて言葉があり、また、うつ病なども、未だに、世間のなかでは、流行しているようだった。
実は、社長が、元気がなかった。
社長は、某大手出版社で、編集をして、テレビ局ともつながりがあったようだが、最近では、テレビ離れが、進み、紙媒体の売れ行きは、かなり厳しかった。経理でも、いつもネックになっていた。
社長は、うつ病になっている。
そんな話が、会社では持ち切りだった。
だから、アキヒコに、テレビ出演をお願いをしたのだと思う。アキヒコは、歌手でテレビ出演をしていたのだから、その経験を生かせるのではないかとあった。
昨日、アキヒコとミツキは、ベッドを共にした。
そして、二人で、愛し合ったのだが、二人とも、ゆっくりした気持ちになっていた。
そんな折だった。
ーああ、オレ、ミツキを抱いたのか
と思った。
その抱き着いた先は、もう、身体をお互いに欲しくなるのかと思った。
それは、ミツキも同じようだった。
そして、瞬く間に、彼らは、二人とも、「寂しい」と思った。
アキヒコは、少しだけ思った。
作家について言えば、ドストエフスキー『罪と罰』を書いて、発表したが、ドストエフスキーは、速記者のアンナを妻にしていた。
そして、武田泰淳は、『新・東海道五十三次』を書いていたが、その時、妻・百合子と、東京から、クルマで、東海道を西に向かって、京都まで旅をした。
「ああ、あんな二人になりたい」
とアキヒコは、思っていた。
だが、個人の都合で
「こんな仕事をしたい」
なんて言えない。
世間で、火野正平が、旅行番組をしていたが、あんな感じで、日本を行き来したいと思っていた。
そして、アキヒコは、ある雑誌で
ー東海道
哀しみ抱えて
上方へ
帰り路には
楽しみ抱えて
(意味)
東海道新幹線で
悲しい気持ちを抱えて
東京から関西へ向かった
関西からの帰り道は
楽しい思い出を抱えながら
…
と言った短歌が好きだった。
そうだ、と思った。アキヒコは、クルマで、東海道を、東京から関西へ向かってみたいと思った。
十返舎一九『東海道中膝栗毛』とか、歌川広重「東海道五十三次』が、好きだったが、あんな作品はできないだろうか?
学生時代、アキヒコは、十返舎一九『東海道中膝栗毛』が、好きで、一度、JR東海道線で、東京駅から川崎、横浜を通って、静岡県、愛知県、岐阜県、滋賀県、京都府、大阪府、そして、兵庫県神戸市の神戸駅まで電車で言ったことがあった。
そうだ、内田百閒の『阿房列車』よろしく、東京駅から神戸駅まで在来線で行って、神戸駅で、神戸牛の焼き肉を食べてすぐに帰ってきた。その時
ー東海道
東京から
神戸まで
牛を食べては
我すぐ帰る
(意味)
東海道線で
東京駅から
神戸駅まで乗った
神戸で神戸牛を食べては
すぐに帰ってきた
…
なんて学校で短歌を詠んだら
「お前は、友人がいないのか」と言われた。しかし、今なら、ミツキが、横にいる。
次の日、会社へ行ったら
「藤坂君」
「はい」
「藤村君と、二人で、東海道線の話をテーマにした記事を書いて来なさい」と上司から言われて、アキヒコは、暫くして、ミツキと夫婦になる決意をした。それで、2024年12月24日、アキヒコは、ミツキと二人で、東海道線の東京駅から各駅停車で、終点の神戸駅まで、クルマで取材に行ったらしい。
それから先は、アキヒコとミツキは、また、違う話になったようだった。(完)
昨日、ミツキは、アキヒコの部屋に泊まった。
そして、今日も、寒いと思った。
12月になっている。
そして、クリスマスに、大晦日、正月が来る。もう、2025年になろうとしている。
どうしたら良いのかと思う前に、ミツキは、アキヒコといたら、いつも何かあったと分かる。
品川駅で、アイスクリームをつけてしまったこと。
または、そのアイスクリームをつけた男性が、これから就職する先の同僚だったこと。
とんかつ屋で、「恋人」と言われたこと。
品川駅で、通りがかりの男性に、怒ったこと。
アキヒコが、インフルエンザにかかって、看病した事。
雨の中、二人で帰ったこと。
それらが、あった。
夫婦みたい、とも思った。
もう恋愛感情ではなく、戦友みたいな感覚。
確かに、最初、アキヒコを観た時は、二宮和也に似て男前と思っていたが、意外と、弱い部分もあったと気がついた、ミツキが。
アキヒコは、確かに、部屋の中には、アダルトサイトの雑誌やDVDがあった。そして、それで、ああ、おかずにしていたとミツキは、思った。
2024年11月22日に、岡田将生と高畑充希が、結婚したのは、分かっていた。そして、ミツキだって、岡田将生が、少しは好きだったのだが、悲しいかな。人間、ずっと、アイドルのまま、生きることはできない。
ただ、ミツキは、ずっと、アキヒコの世話をするのが、楽しいとも遣り甲斐があるとも感じていた。
そんな折だった。
アキヒコも、同じように考えていたのだが、困ったことに、勇気はなかったのだ。結婚しようっていう言葉が。
…
実は、2024年になって、今の会社にいて、不況になっているせいか、給料は、厳しいものがあった。
そして、世間では、まだ過労死なんて言葉があり、また、うつ病なども、未だに、世間のなかでは、流行しているようだった。
実は、社長が、元気がなかった。
社長は、某大手出版社で、編集をして、テレビ局ともつながりがあったようだが、最近では、テレビ離れが、進み、紙媒体の売れ行きは、かなり厳しかった。経理でも、いつもネックになっていた。
社長は、うつ病になっている。
そんな話が、会社では持ち切りだった。
だから、アキヒコに、テレビ出演をお願いをしたのだと思う。アキヒコは、歌手でテレビ出演をしていたのだから、その経験を生かせるのではないかとあった。
昨日、アキヒコとミツキは、ベッドを共にした。
そして、二人で、愛し合ったのだが、二人とも、ゆっくりした気持ちになっていた。
そんな折だった。
ーああ、オレ、ミツキを抱いたのか
と思った。
その抱き着いた先は、もう、身体をお互いに欲しくなるのかと思った。
それは、ミツキも同じようだった。
そして、瞬く間に、彼らは、二人とも、「寂しい」と思った。
アキヒコは、少しだけ思った。
作家について言えば、ドストエフスキー『罪と罰』を書いて、発表したが、ドストエフスキーは、速記者のアンナを妻にしていた。
そして、武田泰淳は、『新・東海道五十三次』を書いていたが、その時、妻・百合子と、東京から、クルマで、東海道を西に向かって、京都まで旅をした。
「ああ、あんな二人になりたい」
とアキヒコは、思っていた。
だが、個人の都合で
「こんな仕事をしたい」
なんて言えない。
世間で、火野正平が、旅行番組をしていたが、あんな感じで、日本を行き来したいと思っていた。
そして、アキヒコは、ある雑誌で
ー東海道
哀しみ抱えて
上方へ
帰り路には
楽しみ抱えて
(意味)
東海道新幹線で
悲しい気持ちを抱えて
東京から関西へ向かった
関西からの帰り道は
楽しい思い出を抱えながら
…
と言った短歌が好きだった。
そうだ、と思った。アキヒコは、クルマで、東海道を、東京から関西へ向かってみたいと思った。
十返舎一九『東海道中膝栗毛』とか、歌川広重「東海道五十三次』が、好きだったが、あんな作品はできないだろうか?
学生時代、アキヒコは、十返舎一九『東海道中膝栗毛』が、好きで、一度、JR東海道線で、東京駅から川崎、横浜を通って、静岡県、愛知県、岐阜県、滋賀県、京都府、大阪府、そして、兵庫県神戸市の神戸駅まで電車で言ったことがあった。
そうだ、内田百閒の『阿房列車』よろしく、東京駅から神戸駅まで在来線で行って、神戸駅で、神戸牛の焼き肉を食べてすぐに帰ってきた。その時
ー東海道
東京から
神戸まで
牛を食べては
我すぐ帰る
(意味)
東海道線で
東京駅から
神戸駅まで乗った
神戸で神戸牛を食べては
すぐに帰ってきた
…
なんて学校で短歌を詠んだら
「お前は、友人がいないのか」と言われた。しかし、今なら、ミツキが、横にいる。
次の日、会社へ行ったら
「藤坂君」
「はい」
「藤村君と、二人で、東海道線の話をテーマにした記事を書いて来なさい」と上司から言われて、アキヒコは、暫くして、ミツキと夫婦になる決意をした。それで、2024年12月24日、アキヒコは、ミツキと二人で、東海道線の東京駅から各駅停車で、終点の神戸駅まで、クルマで取材に行ったらしい。
それから先は、アキヒコとミツキは、また、違う話になったようだった。(完)

