幸せで飯を食う女×不幸で飯を食う男の1LDK

 開始から1時間以上が経過し、だいぶ腹も満ちてきた。

 ワインを手に高層階のパーティー会場の窓際から夜の街を見下ろす。
 様々な光が灯る街並みは、一言では言い表せない。

「……街灯、ビル灯り。そこに人が生活していて、必要な灯りを提供する。公共の物から、一般企業の物。オフィスビルやホテルの光は、人が汗水垂らして働いている証拠、か。夢へ向かって努力する光か、それとも……。やむを得ず心を殺して残業する為の灯りか」

 高層ビルから夜景を見下ろしていると、暗澹《あんたん》たる気分になる。

 東京という街は、成功者とそれ以外が混生している街だ。
 低賃金で高パフォーマンスを求め働かされる者と、金を持って使用する支配者が居る。
 支配者側は、夜にパーティーを楽しむ光の下に集い、労働者は俺のように定時とは一体何か、という環境に身を置いている。
 刑務所以下の粗末な部屋に住まいながら、だ。

 労働者が生きる糧を得る為に働いているのだとしたら、街の灯りとは非情な光だ。
 生きる為に心身を削り、動労時間に寿命を食い潰されている。
 生き甲斐や自由を感じることもなく、縛られたまま気が付けば命の炎を燃やしている状態だ。

 気が付く時は、過労による労災認定されないまでも、労働に身を捧げて倒れた時。
 もう手遅れではあるが、俺はそんな不幸を幾度となく見て来た。

 ストレスによる因子が強い、急性心筋梗塞や心不全を始めとする突発性の心疾患。
 若年での脳卒中など、労働だけが原因だと断言は出来ないせいで、正当な労働災害や保障が受け取れないケースを多々目にしてきた。
 家族の突然死で呆然とする遺族、路頭に迷う遺族……。

 不幸の集う巣窟が――病院だ。

「せめて、家に帰った時には安らぐ環境、落ち着く家の灯りでゆったりとして欲しいもんだ……。いや、それは俺も、か。俺みたいに病院という不幸に住むモグラに、明る過ぎる世界は毒だ」

 徐《おもむろ》に、パーティー会場の中央へと視線を向けてみる。

「悍《おぞ》ましい姿だ……。結婚相手という一生のパートナーを決めるのに、財力や将来性、美貌。あらゆるもので参加者を秤にかけている。この浅い繋がりの場で仮に選ばれたとして……。本当に、永久に協力し合い、支え会える家庭を築けるものなのか? 秤《はかり》にかけて選んだ関係など、より良い条件が転がって来れば、直ぐに心変わりするだろうに。他にやりたい目標はないのか、仕事に夢や目標を持ったりだとか……」

 あの連中は自身や相手の将来を考え、覚悟を持って婚活をしているのだろうか。
 そうでないとしたら……。

「全く、下らないわね……」
「実に、下らないな」

 ん?
 今、俺が下らないと吐き捨てるより早く、誰かが同じことを口にしたか?
 ……いかんな、かなり酔いが回っている。
 視界がぼやけ、状況判断力や思考力全般も低下しているようだ。

「あら、貴方も……私と同じように感じられているのですか?」

 女性の声か。
 ぼやける目の焦点を合わせると……。
 黒く長い髪を、上品にハーフアップへ整えている。
 服装は、どこかのブランド品だろうか?

 持っているバッグは、俺でも見たことがあるロゴが入っている。
 どこかの有名ブランド品だとは思うんだが……やはりブランド品などとは縁がないから、よく分からん。
 医療ブランドなら知っているのだが。

 他の女性参加者と同様、フォーマルなスカートスタイルだ。
 白を基調としていて、かなり清潔感があるように見える。
 下品でない範囲で華やかだ。

 懸命に視界を定めようとしても、ぐらついて良くは見えないが……。
 背筋を伸ばしながら物憂《ものう》げに佇むその姿には、気高さまで備わっているように映る。

「ええ、まぁ」

 それにしても、俺はかなり話しかけづらくなる挨拶をしたつもりだが……。
 構わず話しかけて来るとは、どんな鋼のメンタルだ。
 この女性は、俺の挨拶を気にもしていないのだろうか?

「失礼ですが、貴女は俺の自己紹介を聞いていなかったんですか?」

「あ、失礼しました。この場には、あまり乗り気で参加した訳ではなかったものでして……。どうせ無駄な時間に終わると思いつつも、周囲に圧をかけられて仕方なく婚活をしていると言いますか……。会場を離れ、仕事のタスク管理をする為に席を外させて頂くことが多かったもので。ご不快にさせてしまったのなら、大変申し訳ございません」

 ほう、素晴らしい。
 仕事に追われているのかとも思うが、イヤそうな顔を見せていない。
 己の仕事にやり甲斐や成したいこと、矜持《プライド》を持っている表情として俺には映る。
 そういった人間性は、好感度が高い。

 仕事でなくとも良いが、己のやることに芯を持っている人間は素晴らしい。
 それに、周囲に圧をかけられて参加せざるを得ない、という境遇だ。

 俺と重なる。
 この人も本当は結婚などに時間を割く暇などないのだろう。
 それでも結婚した方が良いという同調圧力から、参加せざるを得なくなったのだな。

 分かる、よく分かるぞ。
 この女性に対し、シンパシーを抱かずにはいられんな。

「いや、中々どうして……。世の中には、結婚することが当然。そうでないと肩身が狭くなるという場合がありますからね。かく言う俺も、親や同僚に圧力をかけられた1人でして」

「まぁ、それでは私と一緒ですね。……あ、申し遅れました。私は東央ニューホテルでウェディングプランナーをしております、川口雪華と申します」

 しっかりと両手で名刺を差し出してくる女性――川口雪華《かわぐちせつか》さんに、俺は慌ててワイングラスをテーブルへと置く。
 礼を尽くされたなら、相応の礼で返すべきだ。