それから数ヶ月が経過した。
季節はもう晩秋にさしかかる頃。
俺は雪華さんと共に、東央ニューホテルへとやって来ていた。
目の前に座っている雪華さんの上司が、スッと差し出してきた用紙に目を通し――。
「――ば、バカな!? 母親がベールダウンするだけで、5千円のオプション料金が発生するだと!? ヴァージンロードを歩く前にパサッと下ろすだけの行為に!? ふ、ふざけるな、ボッタクリだ!」
思わず目を剥き、大声で叫んでしまった。
挙式、披露宴。
その見積もり額を見ると、視界がホワイトアウトしてゆく。
ああ……。
ショックで呼吸困難になりそうだ。
「ボッタクリじゃないわよ、白目剥くな! これは新郎の元へ父親と歩み寄る前に、母親が入り口でベールを下ろしてあげるという特別感のある儀式なのよ!? これは絶対に入れるからね!」
隣に座る雪華さんは、断固として譲らないと眉をキッと引き結んでいる。
コイツ、浪費家だ浪費家だと何度も再確認していたが――やはり、生活破綻レベルの浪費家だ!
寄生虫だ!
結婚資金だって、自分は全く貯めてもいないくせに!
「ふざけるな、自分でベールを下ろして入場してくれば無料だろう! 特別な技術もない雰囲気演出なんぞに金を出せるか! 論外、却下だ!」
「何よ、自由に議論し合える方が健全で素晴らしいとか言ってたくせに!」
「これは議論にもなっていない! アンタが我が儘を通そうと駄々を捏ねているだけだ! 大金がかかる分、子供のように可愛げもない! 大人になれ!」
「はぁ!? 唯の水族館で興奮した幼児みたいに騒ぎ回るようなヤツが、大人を語るんじゃないわよ!」
一体、何時の話を持ち出して来るつもりだ!?
そう言う所が諍いの原因になると、どうして理解出来んのだ!?
「また関係ない話を持ち出して来やがって! ならば俺も言わせて貰うがな、アンタの浪費は常識が狂っている! 化粧品が必要なのは理解出来る、だが高級化粧用品である必要がどこにある!?」
「安物で済ます油断が、5年10年後に肌の違いとして現れるのよ!」
「化粧用品なんて、成分比率をほんの僅かに変えただけで新作と売り出すと知っているのか!? 薬剤知識があれば、成分を見て直ぐに分かる! そもそも数値化して効能を論理的に説明することすら出来ない代物だぞ! こんなことは常識だろう!?」
「あんたの常識は世間の非常識なのよ、貯蓄バカ! 高級品は使用感がまるで違うのよ! 化粧をしたこともないのに、偉そうに語らないで!」
「一体なんなんだ、特別感や使用感などという不明瞭な価値基準は!? 得に化粧水なんて中身の原価は激安でほぼ水だ。化粧水原材料費が2円程度、対して容器に包装代金は300円程度と言われている! 150倍だぞ!? 高級酒のような瓶に何万と金を払い、違いが分かったつもりに浸りたいだけだろう! 騙されても笑顔で搾取されるアホめが!」
「このロジハラ野郎、絶対に許さない! やっぱり、あんたは生かしておけないわ! ここで縊り殺してやる!」
俺が正論を突き付けてやると、いつか俺の部屋で暴れて警察沙汰になった時のように、両手で胸ぐらを掴んで来た。
口論や議論で勝てないと、直ぐに暴力に訴えかけて来やがる。
顔の美しさはお袋さん譲りなのに、堪え性の乏しさは親父さんに瓜二つだな!
「またしても暴力か! 自慢の化粧品セットで図工した顔が歪んでいるぞ! 無駄遣いだったな、今度からは水でも塗って貯金するが良い!」
「……あの、川口さん? うちのホテルで殺人事件はやめて欲しいんだけど……。犬も喰わない痴話喧嘩は、家でやってくれない?」
「あ、す、すいません!」
慌てて席を立ち、ペコペコと頭を下げる。
処世術に長けている雪華さんらしい行動だ。
苦笑しながら、優しい瞳を向けていた上司さんに、やっと気が付いたのか。
これだから感情で視野が狭まる輩は……。
俺は席から立ち上がり、乱れた服を整える。
そして上司さんへと軽く頭を下げた後、雪華さんに――。
「――ハンッ。家でじっくり常識を叩き込んでやる」
居丈高に、そう言い放つ。
そしてホテルの出口へ向け歩き出す。
雪華さんは面白いように俺の言葉へ反応した。
表情を般若か古い不良のように歪めながら、俺の隣へ小走りで追いついて来る。
「上等よ! あんたこそ、あの部屋から泣いて逃げ出すんじゃないわよ!?」
「誰が泣くものか!」
「どうだか! お義父さんから、私が居ないのが寂しくて泣いてたって聞いてるんだからね!」
「なっ、なんっだと……。飲んだくれクソ親父が、余計なことを言いやがって!」
ホテルを後にして、俺たちは口論しながら帰路に着く。
2人で暮らす1LDKマンションを目指して。
だがこの口論する時間も――幸せだ。
自由に議論が出来て、視野が広がる。
俺たちは、どちらも別の方向で――常識的とは言えないだろう。
俺は不幸な世界で生きるのが当たり前と、視野を狭め歪んでいた。
彼女は幸せな世界に生き、汚く不幸な部分からは目を逸らして、破滅的なまでに眼前しか見ていなかった。
俺は計画通りに進める、過度な節約家。
彼女は過度にノープランな浪費家。
どちらも1人で暮らしていれば、いずれは破綻していたかもしれない、極端に真逆な2人。
だが、真逆で良い。
むしろ、それがお互いのメリットデメリットを釣り合いが取れたものへ昇華する。
一般論のように、お互いが同じ価値観じゃない者同士でも、上手く生活は出来るんだ。
狭い1LDKの間取り。
イヤでも毎日顔を合わせる。完全無視なんて出来ない同棲生活。
心からの議論を交わし合えれば、互いに共存共栄して幸せになれる。
そう、俺たちは確信している――。
季節はもう晩秋にさしかかる頃。
俺は雪華さんと共に、東央ニューホテルへとやって来ていた。
目の前に座っている雪華さんの上司が、スッと差し出してきた用紙に目を通し――。
「――ば、バカな!? 母親がベールダウンするだけで、5千円のオプション料金が発生するだと!? ヴァージンロードを歩く前にパサッと下ろすだけの行為に!? ふ、ふざけるな、ボッタクリだ!」
思わず目を剥き、大声で叫んでしまった。
挙式、披露宴。
その見積もり額を見ると、視界がホワイトアウトしてゆく。
ああ……。
ショックで呼吸困難になりそうだ。
「ボッタクリじゃないわよ、白目剥くな! これは新郎の元へ父親と歩み寄る前に、母親が入り口でベールを下ろしてあげるという特別感のある儀式なのよ!? これは絶対に入れるからね!」
隣に座る雪華さんは、断固として譲らないと眉をキッと引き結んでいる。
コイツ、浪費家だ浪費家だと何度も再確認していたが――やはり、生活破綻レベルの浪費家だ!
寄生虫だ!
結婚資金だって、自分は全く貯めてもいないくせに!
「ふざけるな、自分でベールを下ろして入場してくれば無料だろう! 特別な技術もない雰囲気演出なんぞに金を出せるか! 論外、却下だ!」
「何よ、自由に議論し合える方が健全で素晴らしいとか言ってたくせに!」
「これは議論にもなっていない! アンタが我が儘を通そうと駄々を捏ねているだけだ! 大金がかかる分、子供のように可愛げもない! 大人になれ!」
「はぁ!? 唯の水族館で興奮した幼児みたいに騒ぎ回るようなヤツが、大人を語るんじゃないわよ!」
一体、何時の話を持ち出して来るつもりだ!?
そう言う所が諍いの原因になると、どうして理解出来んのだ!?
「また関係ない話を持ち出して来やがって! ならば俺も言わせて貰うがな、アンタの浪費は常識が狂っている! 化粧品が必要なのは理解出来る、だが高級化粧用品である必要がどこにある!?」
「安物で済ます油断が、5年10年後に肌の違いとして現れるのよ!」
「化粧用品なんて、成分比率をほんの僅かに変えただけで新作と売り出すと知っているのか!? 薬剤知識があれば、成分を見て直ぐに分かる! そもそも数値化して効能を論理的に説明することすら出来ない代物だぞ! こんなことは常識だろう!?」
「あんたの常識は世間の非常識なのよ、貯蓄バカ! 高級品は使用感がまるで違うのよ! 化粧をしたこともないのに、偉そうに語らないで!」
「一体なんなんだ、特別感や使用感などという不明瞭な価値基準は!? 得に化粧水なんて中身の原価は激安でほぼ水だ。化粧水原材料費が2円程度、対して容器に包装代金は300円程度と言われている! 150倍だぞ!? 高級酒のような瓶に何万と金を払い、違いが分かったつもりに浸りたいだけだろう! 騙されても笑顔で搾取されるアホめが!」
「このロジハラ野郎、絶対に許さない! やっぱり、あんたは生かしておけないわ! ここで縊り殺してやる!」
俺が正論を突き付けてやると、いつか俺の部屋で暴れて警察沙汰になった時のように、両手で胸ぐらを掴んで来た。
口論や議論で勝てないと、直ぐに暴力に訴えかけて来やがる。
顔の美しさはお袋さん譲りなのに、堪え性の乏しさは親父さんに瓜二つだな!
「またしても暴力か! 自慢の化粧品セットで図工した顔が歪んでいるぞ! 無駄遣いだったな、今度からは水でも塗って貯金するが良い!」
「……あの、川口さん? うちのホテルで殺人事件はやめて欲しいんだけど……。犬も喰わない痴話喧嘩は、家でやってくれない?」
「あ、す、すいません!」
慌てて席を立ち、ペコペコと頭を下げる。
処世術に長けている雪華さんらしい行動だ。
苦笑しながら、優しい瞳を向けていた上司さんに、やっと気が付いたのか。
これだから感情で視野が狭まる輩は……。
俺は席から立ち上がり、乱れた服を整える。
そして上司さんへと軽く頭を下げた後、雪華さんに――。
「――ハンッ。家でじっくり常識を叩き込んでやる」
居丈高に、そう言い放つ。
そしてホテルの出口へ向け歩き出す。
雪華さんは面白いように俺の言葉へ反応した。
表情を般若か古い不良のように歪めながら、俺の隣へ小走りで追いついて来る。
「上等よ! あんたこそ、あの部屋から泣いて逃げ出すんじゃないわよ!?」
「誰が泣くものか!」
「どうだか! お義父さんから、私が居ないのが寂しくて泣いてたって聞いてるんだからね!」
「なっ、なんっだと……。飲んだくれクソ親父が、余計なことを言いやがって!」
ホテルを後にして、俺たちは口論しながら帰路に着く。
2人で暮らす1LDKマンションを目指して。
だがこの口論する時間も――幸せだ。
自由に議論が出来て、視野が広がる。
俺たちは、どちらも別の方向で――常識的とは言えないだろう。
俺は不幸な世界で生きるのが当たり前と、視野を狭め歪んでいた。
彼女は幸せな世界に生き、汚く不幸な部分からは目を逸らして、破滅的なまでに眼前しか見ていなかった。
俺は計画通りに進める、過度な節約家。
彼女は過度にノープランな浪費家。
どちらも1人で暮らしていれば、いずれは破綻していたかもしれない、極端に真逆な2人。
だが、真逆で良い。
むしろ、それがお互いのメリットデメリットを釣り合いが取れたものへ昇華する。
一般論のように、お互いが同じ価値観じゃない者同士でも、上手く生活は出来るんだ。
狭い1LDKの間取り。
イヤでも毎日顔を合わせる。完全無視なんて出来ない同棲生活。
心からの議論を交わし合えれば、互いに共存共栄して幸せになれる。
そう、俺たちは確信している――。
