幸せで飯を食う女×不幸で飯を食う男の1LDK

 翌日の仕事終わり、研究を抜け出して俺は東央ニューホテルまで来ていた。
 いつかと同じように、コーヒーショップの看板に隠れていると――川口さんが働いてる姿が目に入る。

 時間にすれば、ほんの少し会っていないだけ。
 偽装同棲期間中にも、もっと長い期間会わないことなんて頻回にあったと言うのに……。
 何故か、随分久しぶりに姿を目に出来たような感動が押し寄せる。

 ウェディング会場のスタッフたちが姿を消して行く。
 時間的に退勤時刻なのだろう。

 それに合わせ、俺も移動する。
 こういう時、ホテルの表側の通りに職員通用口はないものだ。
 裏側、人目につかなそうな細い道路からホテルを眺めていると――予想は的中。

 私服に身を包んだスタッフらしき人物が出て来た。
 ここで待っていれば、川口さんも出て来るだろう。

 やっていることは完全にストーカーと同じだ。
 法律上、規制されるストーカー行為には待ち伏せも含まれる。

「だが、先に法に抵触する行為に訴えたのは、親父さんだ」

 押しかけに、誘拐。
 それは特定の者と社会生活において密接な関係にある人でも有効だ。

 親父さんに無理やり連れ去られ連絡方法を奪われた結果、俺は同棲していた川口さんと今後の生活をどうするか。
 大切なことが議論出来ていない。
 今でも俺の家に彼女の私物がある以上、これは必要な会話だと言い訳が効く。

「――来た」

 間違いようもない、川口さんだ!
 俺は小走りに駆け寄り、彼女に声をかける。

「川口さん!」

「南、さん? え、なんで……。なんで、ここに!?」

「貴女と、話がしたくて……」

 親父の問いに、俺の出した答え。
 それは社会通念上の常識や倫理に反さないように整え、行動に移すことだ。

「……突然、ごめん。お父さんが乱暴なやり方をして……」

「いや、それは……。仕方ないさ。偽装と知れば、親としては怒りもするだろう。今は実家から職場に通っているのか?」

「それは余りにも遠過ぎるからって、強く断ったの。……代わりに新居が見つかるまでって、近くのマンスリーマンションを契約させられたわ」

 確かにな。
 あきるの市から東央ニューホテルまでは、片道で2時間近くかかるだろう。
 現実的に通勤は難しい。

 川口さんは既に、前を向いて新たな生活を始めようとしているのか。
 そう考えると、断られる恐怖で及び腰になる。
 しかし俺とて簡単に引く程、浅い覚悟を決めてここへ来た訳ではない。

「……うちに、戻って来ないか?」

「……そんなの、許される訳がないじゃない。また偽装同棲なんて……。お父さんがまた乗り込んでくるのは、目に見えてる」

「それは……。貴女は、本当にこれで良かったと思っているのか?」

「……仕方がない、でしょう? 貴方だって、私が居ない方が光熱費も安くなって嬉しいんじゃないの?」

「いや、光熱費は……。確かに、そうだが」

「そうでしょう? それなら、貴方はこのままで良いじゃない。私が居なければ、元通り病的な節約も出来るんだし」

 病的などと評す川口さんの変わらない態度が、逆に安心感を覚える。

 だが彼女は、俺の意図が全く分かっていない。
 最初からそうだが……何故、こうも俺の意図が伝わらないんだ?
 こうして迎えに来ている時点で察するものもあるだろうに!

「あのボロマンションで偽装同棲をしたこの3ヶ月ちょっと……。やっと居心地が良くなって来て、私は幸せだと思ってたけど……。嘘は、いつか明るみに出て裁かれるものよ。こうなってしまう覚悟も、最初からしていた」

「……それなら、嘘じゃなくせば良いんじゃないのか?」

「……え? どういう、こと?」

 キョトンとした顔で、川口さんは首を傾げる。

 コイツ、どこまで鈍いんだ!
 俺の節約術を説明した時の反応からも、理解力に乏しいとは思っていた。
 洞察力もだ。
 しかし、ここまでとは!
 1から10まで説明せねば、理解が出来んのか!?

 ……良いだろう。
 俺も覚悟を決めて、全て伝えてやろうじゃないか!

「――うちの病院では、扶養の有無に関わらず、家族手当が支給される! 配偶者が居れば、毎月1万2千円だ。貴女が……雪華さんが居ることで増えた光熱費も、これで採算が取れる。更に、どちらかがもし病気になって働けなくなれば、配偶者控除で所得税、住民税が年間10万円単位で安くなる。更にはキーパーソンという、入院時に世話をし合える保証人になり、社会信頼性と安定性も増す。孤独死のリスクだって減る!」

「何? 長々と突然……。結局、何が言いたいの?」

「そ、その……。だから、結婚することのメリットだ!」

「結婚って……。え?」

「貴女と俺が結婚することは、お互いにメリットがあると言っているんだ!」

「私と、貴方……昭平さんが?」

「ああ、そうだ! 俺と、雪華さんがだ!」

「……意味が分からない。私たちは、お互いに結婚なんて最低なものだって考えていた。……だからこその、利害ある共犯関係じゃなかったの?」

「い、いや、だから……。その……」

 思わず口ごもってしまう。

 川口さん――雪華さんとは、確かに最初は互いのメリットを考えて偽装同棲を始めた。
 それを指摘されると弱い。
 だが、もうそんなメリットとか……そんな理屈じゃなくなってしまったんだ!
 俺をそう変えたのは、他ならぬ雪華さんだろうが!

「ああ、畜生! 利害とかそんなもんを超えて、雪華さんと一緒にいたくなっちまったんだよ!」

「え……」

「それぐらい分かれ! そんな鈍感だから貴女は仕事熱心で素敵なのに、これまでは独身だったんだ!」

 口をあんぐりと開き唖然とした表情で、川口さんは俺を見つめたまま固まっている。

 俺の正論に対し、議論することも出来ない程の衝撃だったのか?
 それとも、信じられないということなのだろうか?
 だったら、信じられるまで想いを語るまでだ!