「……アンタこそ、泣いているのか?」
「何を言ってるのよ。……私は営利を目的とした法人に勤めるウェディングプランナーよ? 例えもっと安く出来たとしても、利益が多くなるようにやるのは、勤め人として当然。とっくに割り切ってる。だから今更、指摘された所で涙なんて……。私が涙なんか、流す訳ないじゃない」
「そうか……」
そうやって割り切っているんだな。
きっと、この悩みはウェディングプランナー特有ではないのだろう。
車や家電の販売でも、規模こそ違えど値引きはある。
定価で販売するか、値引き販売するか。
営業を行う人なら、勤め人としての自分と良心ある自分とで葛藤が生じるのかもしれない。
それを詐欺師などと言って侮辱したのは、本当に申し訳なかった……。
俺だけじゃなく川口さんも、仕事に対して辛い部分はあるんだ。
それを私生活では忘れようとしていただけなのだろう。
やり方が行き過ぎた散財などだと言うのは、どうかと思うが……。
「ウェディング会場での1日は、お客様にとっては特別な1日よ。でもね、私たちにとっては平凡な日常なの」
「……ああ、そうだろうな」
暗い表情でゆっくりと語る川口さんの言葉に、俺は深く共感した。
患者にとっては人生に数度あるかないかの不幸でも、俺たち医療関係者にとっては日常なのと同じか。
「私たちだって人間だから……。体調が悪い時もあれば、気落ちしている時もあるの。それでも、お客様の特別を華やかな笑顔の対応で飾らなければいけない」
「笑顔、か……。大変じゃあないのか?」
「何年もそうあり続けるのは、大変だなって思うこともあるわよ。それでも、ね。幸せな笑顔が連鎖して広がるように、私たちは今日も明日も全力の笑顔と接遇をするのよ」
「その笑顔を、俺にも連鎖させようとは思わんのか? もう少し節約するだけで、俺は笑顔になるぞ?」
川口さんはプライベートではとんでもない愚物だ。
だが職場で感銘を受けるほどにプロフェッショナルなのはこの目で見ている。
今のこの姿も、そうある為に彼女なりに工夫して辿り着いた在り方なのかもな。
「却下。職場で笑えるように、家でぐらい気を抜かせてよ〜」
「アンタは、私生活では気を抜き過ぎだけどな。メリハリは大切だ、気を緩めるのも良いだろう。だが生活が破綻するレベルで弛むのは、どうかと思うぞ」
「またグチグチと私にストレス溜めてこようとしてる……。本当、小姑みたいな人ね」
川口さんは、やれやれとでも言いたげに首を振り、ソファーへクタッともたれた。
私生活ではやはり、自堕落極まりないな。
しかし……思えば俺は、彼女のように笑顔でいようと努力したことがあったか?
いや、ない。
自分にも他人にも、患者にさえ常に真剣であることを求め続けた。
命を守る為に、規律を遵守することを強要し続けている。
患者の心からの笑顔どころか、俺自身が職場で笑ったことなど――いつからないのだろうか?
そう考えると、やはり川口さんには見習うべき部分がある。
私生活は壊滅していようとも、だ。
そう言えば、だ。
今になって考えれば……最近、俺は患者の死や入院患者について考えなくなった時間がある。
「なんてことだ……。アンタと喧嘩している時だけ……解放されていたとは」
常に背中にのし掛かっていた、人の病やケガ、死という不幸への責任。
フラッシュバック。
それを忘れられたのは、建設的な議論の場でもない――口論の間だった。
プライベートでは自由奔放。
野放図に金を使う幸せな脳内をした川口さんと、下らない言い合いをしている間だけは――どこか責任も忘れられて、楽しかった。
それは常に理論と根拠に追われるような生活をしていた俺には、救いのような時間だったのかもしれない。
非常に認め難くはあるが……。
「アンタの両親との挨拶は、1週間後だったか」
「そうよ。……あんたが医者で忙しいからって、ここまで引き延ばしたのよ。このボロマンションを見せる訳には行かないから、家に来るのは阻止したけど……。これ以上は無理」
「そうか……。1ヶ月も、よく粘ったな。むしろ、挨拶なしでよく同棲を認めさせる交渉をしたな」
「本当に粘ったし、交渉も頑張ったわよ。仕事に集中する為だもの。それぐらいやるわ。……挨拶も短時間しか時間が取れないって言ってあるから。品川でお茶だけで納得してもらえるよう交渉したわ。長く居るとボロが出そうだし、これ以上は迷惑をかけたくないしね」
「助かる」
「お互い様よ。……あんたのご両親への挨拶日は、まだ決まらないの?」
「ああ、親も開業医だし、訪問診療もやっているからな。……親と摺り合わせが出来たら、直ぐに伝える」
「お願い。……その為の、偽装同棲、だものね」
「ああ。……それまでの、偽装同棲だ」
それが目的で始めた偽装同棲だ。
お互いの両親からの結婚圧力を消し、今は仕事に集中する。
その互いに求めた共通の利得の為に始めた、社会通念上では常識外の行為だ。
懸念事項が解消されれば、再びそれぞれの、1人で住まう日常に戻る。
その未来は当然であり、必然だ――。
「何を言ってるのよ。……私は営利を目的とした法人に勤めるウェディングプランナーよ? 例えもっと安く出来たとしても、利益が多くなるようにやるのは、勤め人として当然。とっくに割り切ってる。だから今更、指摘された所で涙なんて……。私が涙なんか、流す訳ないじゃない」
「そうか……」
そうやって割り切っているんだな。
きっと、この悩みはウェディングプランナー特有ではないのだろう。
車や家電の販売でも、規模こそ違えど値引きはある。
定価で販売するか、値引き販売するか。
営業を行う人なら、勤め人としての自分と良心ある自分とで葛藤が生じるのかもしれない。
それを詐欺師などと言って侮辱したのは、本当に申し訳なかった……。
俺だけじゃなく川口さんも、仕事に対して辛い部分はあるんだ。
それを私生活では忘れようとしていただけなのだろう。
やり方が行き過ぎた散財などだと言うのは、どうかと思うが……。
「ウェディング会場での1日は、お客様にとっては特別な1日よ。でもね、私たちにとっては平凡な日常なの」
「……ああ、そうだろうな」
暗い表情でゆっくりと語る川口さんの言葉に、俺は深く共感した。
患者にとっては人生に数度あるかないかの不幸でも、俺たち医療関係者にとっては日常なのと同じか。
「私たちだって人間だから……。体調が悪い時もあれば、気落ちしている時もあるの。それでも、お客様の特別を華やかな笑顔の対応で飾らなければいけない」
「笑顔、か……。大変じゃあないのか?」
「何年もそうあり続けるのは、大変だなって思うこともあるわよ。それでも、ね。幸せな笑顔が連鎖して広がるように、私たちは今日も明日も全力の笑顔と接遇をするのよ」
「その笑顔を、俺にも連鎖させようとは思わんのか? もう少し節約するだけで、俺は笑顔になるぞ?」
川口さんはプライベートではとんでもない愚物だ。
だが職場で感銘を受けるほどにプロフェッショナルなのはこの目で見ている。
今のこの姿も、そうある為に彼女なりに工夫して辿り着いた在り方なのかもな。
「却下。職場で笑えるように、家でぐらい気を抜かせてよ〜」
「アンタは、私生活では気を抜き過ぎだけどな。メリハリは大切だ、気を緩めるのも良いだろう。だが生活が破綻するレベルで弛むのは、どうかと思うぞ」
「またグチグチと私にストレス溜めてこようとしてる……。本当、小姑みたいな人ね」
川口さんは、やれやれとでも言いたげに首を振り、ソファーへクタッともたれた。
私生活ではやはり、自堕落極まりないな。
しかし……思えば俺は、彼女のように笑顔でいようと努力したことがあったか?
いや、ない。
自分にも他人にも、患者にさえ常に真剣であることを求め続けた。
命を守る為に、規律を遵守することを強要し続けている。
患者の心からの笑顔どころか、俺自身が職場で笑ったことなど――いつからないのだろうか?
そう考えると、やはり川口さんには見習うべき部分がある。
私生活は壊滅していようとも、だ。
そう言えば、だ。
今になって考えれば……最近、俺は患者の死や入院患者について考えなくなった時間がある。
「なんてことだ……。アンタと喧嘩している時だけ……解放されていたとは」
常に背中にのし掛かっていた、人の病やケガ、死という不幸への責任。
フラッシュバック。
それを忘れられたのは、建設的な議論の場でもない――口論の間だった。
プライベートでは自由奔放。
野放図に金を使う幸せな脳内をした川口さんと、下らない言い合いをしている間だけは――どこか責任も忘れられて、楽しかった。
それは常に理論と根拠に追われるような生活をしていた俺には、救いのような時間だったのかもしれない。
非常に認め難くはあるが……。
「アンタの両親との挨拶は、1週間後だったか」
「そうよ。……あんたが医者で忙しいからって、ここまで引き延ばしたのよ。このボロマンションを見せる訳には行かないから、家に来るのは阻止したけど……。これ以上は無理」
「そうか……。1ヶ月も、よく粘ったな。むしろ、挨拶なしでよく同棲を認めさせる交渉をしたな」
「本当に粘ったし、交渉も頑張ったわよ。仕事に集中する為だもの。それぐらいやるわ。……挨拶も短時間しか時間が取れないって言ってあるから。品川でお茶だけで納得してもらえるよう交渉したわ。長く居るとボロが出そうだし、これ以上は迷惑をかけたくないしね」
「助かる」
「お互い様よ。……あんたのご両親への挨拶日は、まだ決まらないの?」
「ああ、親も開業医だし、訪問診療もやっているからな。……親と摺り合わせが出来たら、直ぐに伝える」
「お願い。……その為の、偽装同棲、だものね」
「ああ。……それまでの、偽装同棲だ」
それが目的で始めた偽装同棲だ。
お互いの両親からの結婚圧力を消し、今は仕事に集中する。
その互いに求めた共通の利得の為に始めた、社会通念上では常識外の行為だ。
懸念事項が解消されれば、再びそれぞれの、1人で住まう日常に戻る。
その未来は当然であり、必然だ――。
