その日私は、アシュトーリアさんの執務室で、彼女に頼まれた文書を制作中であった。
「…」
毎日こればかりやっていると、慣れてくるものだ。
ワープロソフトの使い方だけなら、そろそろ一人前に近づきつつあった。
一人前は言い過ぎか。まだ半人前だ。
アシュトーリアさん本人は、ここにはいなかった。
「ちょっと用事があるの」と言って、行き先も言わずに何処かに行ってしまった。
何処に行ったのかは、私の知るところではない。
すると、そこに。
「アシュトーリア様、いらっしゃいますか」
固いノックの音と共に、構成員の一人がアシュトーリアさんの執務室を訪ねてきた。
通常、下級構成員はこの部屋に来ることが許されていない。
私も当然下級構成員だから、本当はここにいるのはおかしいのだが…。
しかし訪ねてきたその構成員は、この部屋を好きなときに訪ねてくることが出来る数少ない人間の一人だった。
当時の、『青薔薇連合会』幹部の女性だった。
アシュトーリアさんより一回りくらいは年上に見える女幹部は、つかつかと部屋に入ってきた。
「…いませんよ。今」
パソコン画面から顔を上げて、私はアシュトーリアさんの代わりに答えた。
「どちらへ?」
「さぁ…」
何せ、行き先も言わずに行ってしまったものだから。
「…なら、あなたは何でいるの?」
「…さぁ…」
こちらの質問の方がもっと答えにくい。何で私、ここにいるんだろう。
むしろ私が聞きたいくらいだ。
「何か用事があるなら…帰ってきたときに伝えておきましょうか」
「…あなた、随分彼女に気に入られているそうね」
「は?」
文書作成係だけでは給料泥棒になってしまうから、秘書としての役目も果たそうと思って、伝言係も引き受けようとしただけなのに。
およそ質問の答えにはならなさそうな返事が返ってきた。
「まさか隠し子…という訳ではないでしょう?あなた、何故そんなに気に入られてるの」
「…何故なんでしょうね。私にもよく…」
どうして私がアシュトーリアさんに気に入られているのか。自分なりに考えてみたところ、恐らく道端で拾った子猫を可愛がるのと同じ感覚なんだろうという結論を出したのだが。
「…」
女幹部は険しい顔でしばし黙り込み、私のもとにつかつかと歩み寄った。
何だろうと思ったら、それは交渉だった。
「あなた、私につく気はない?」
「…は…?」
つく?何を?何が?
「アシュトーリア…。あの女じゃなくて、私につくつもりはないかと聞いてるの。あの女は、歴史ある『青薔薇連合会』の首領に相応しくない」
そこまで言われて、私は話の趣旨を理解した。
つまりこの人は…アシュトーリアさんのことが気に入らない訳だ。
アシュトーリアさんはその若さ故に、一部の構成員達にはまだ彼女を認めていない者もいる。
その筆頭が、この女幹部だと。
そういうことだったのか。
「…何故私にそんなことを?」
「あなたはあの女に近づくことを許されている。毒殺するなり銃殺するなり、お前なら簡単でしょう」
「…」
確かに、そうかもしれない。
彼女に警戒されていない私なら、アシュトーリアさんを暗殺…ってのも無理ではないかもしれないな。
「私につけば、あなたを幹部にしてあげる。金も女も好きなだけ与えてあげる。悪い取引じゃないと思うけど?」
「…まぁ、そうですね」
悪い話ではない。その通りだ。
けれど。
「…でも、お断りします」
悪い話ではないけど、でも…良い話でもない。
「…」
毎日こればかりやっていると、慣れてくるものだ。
ワープロソフトの使い方だけなら、そろそろ一人前に近づきつつあった。
一人前は言い過ぎか。まだ半人前だ。
アシュトーリアさん本人は、ここにはいなかった。
「ちょっと用事があるの」と言って、行き先も言わずに何処かに行ってしまった。
何処に行ったのかは、私の知るところではない。
すると、そこに。
「アシュトーリア様、いらっしゃいますか」
固いノックの音と共に、構成員の一人がアシュトーリアさんの執務室を訪ねてきた。
通常、下級構成員はこの部屋に来ることが許されていない。
私も当然下級構成員だから、本当はここにいるのはおかしいのだが…。
しかし訪ねてきたその構成員は、この部屋を好きなときに訪ねてくることが出来る数少ない人間の一人だった。
当時の、『青薔薇連合会』幹部の女性だった。
アシュトーリアさんより一回りくらいは年上に見える女幹部は、つかつかと部屋に入ってきた。
「…いませんよ。今」
パソコン画面から顔を上げて、私はアシュトーリアさんの代わりに答えた。
「どちらへ?」
「さぁ…」
何せ、行き先も言わずに行ってしまったものだから。
「…なら、あなたは何でいるの?」
「…さぁ…」
こちらの質問の方がもっと答えにくい。何で私、ここにいるんだろう。
むしろ私が聞きたいくらいだ。
「何か用事があるなら…帰ってきたときに伝えておきましょうか」
「…あなた、随分彼女に気に入られているそうね」
「は?」
文書作成係だけでは給料泥棒になってしまうから、秘書としての役目も果たそうと思って、伝言係も引き受けようとしただけなのに。
およそ質問の答えにはならなさそうな返事が返ってきた。
「まさか隠し子…という訳ではないでしょう?あなた、何故そんなに気に入られてるの」
「…何故なんでしょうね。私にもよく…」
どうして私がアシュトーリアさんに気に入られているのか。自分なりに考えてみたところ、恐らく道端で拾った子猫を可愛がるのと同じ感覚なんだろうという結論を出したのだが。
「…」
女幹部は険しい顔でしばし黙り込み、私のもとにつかつかと歩み寄った。
何だろうと思ったら、それは交渉だった。
「あなた、私につく気はない?」
「…は…?」
つく?何を?何が?
「アシュトーリア…。あの女じゃなくて、私につくつもりはないかと聞いてるの。あの女は、歴史ある『青薔薇連合会』の首領に相応しくない」
そこまで言われて、私は話の趣旨を理解した。
つまりこの人は…アシュトーリアさんのことが気に入らない訳だ。
アシュトーリアさんはその若さ故に、一部の構成員達にはまだ彼女を認めていない者もいる。
その筆頭が、この女幹部だと。
そういうことだったのか。
「…何故私にそんなことを?」
「あなたはあの女に近づくことを許されている。毒殺するなり銃殺するなり、お前なら簡単でしょう」
「…」
確かに、そうかもしれない。
彼女に警戒されていない私なら、アシュトーリアさんを暗殺…ってのも無理ではないかもしれないな。
「私につけば、あなたを幹部にしてあげる。金も女も好きなだけ与えてあげる。悪い取引じゃないと思うけど?」
「…まぁ、そうですね」
悪い話ではない。その通りだ。
けれど。
「…でも、お断りします」
悪い話ではないけど、でも…良い話でもない。


