『はい。これでいいですか?』

『うん、助かった。ありがとう』

『じゃあ、行くね』

『気をつけて帰ってね』

『さようなら、先生』



すぐに頼まれた仕事を終えた。これでようやく八代の元へ行ける。


早く、早く。


普通の先生と生徒みたいな挨拶を交わして、小春ちゃんを倉庫に残したまま扉を閉めた。早く行かなきゃ、もう10分経ってしまう。

図書準備室から出て、教室に戻って、八代に〝おまたせ〟って。そこまでのイメージをしながら、部屋を出ようとした。




……出ようと、したのだ。



『、っ』



なのに、扉の前まで来て足が動かない。手もドアノブを握ったままで、次の動作へ進まない。


どうして? なんで?


そんなわけはない、と自分に言い聞かせたって、体が外へ出ることを拒む。


八代が待っている。だから早く戻らなきゃ、と。そう強く思ったって、手に力が入らない。



『…………なんで』



なんで、なんて。

そんなの、理由はたったひとつだ。



気づきたくない、でも、もう認めてしまうしかなかった。





──小春ちゃんの顔が、頭から離れない。



行かなきゃ。早く行って、伝えるんだ。八代に、〝好きでいてくれてありがとう〟って。

そうすればきっと、八代の笑った顔が見られるから。



それなのに、さっきから頭にずっとあるのは、最後に見た小春ちゃんの顔だ。


わざわざ昼休みに声をかけてくるなんて、珍しいと思った。図書室に来て話した時から、違和感は感じていた。

だけど、だから、気づかないふりをしていたのに。わかっていて見過ごそうとしていたのに。


最後にあんな顔を向けられたら、そんな努力はどこかへ消え去ってしまう。


だって、『気をつけて帰ってね』と、そう言った小春ちゃんの顔が、いつの日かに見たそれと同じだったから。


『ふられちゃった、私』


あの時の、大希と別れた時の小春ちゃんと一緒だったから。



あの扉の向こうで、小春ちゃんは今──



そう考えたら、俺の体は勝手に動いていた。





『、小春ちゃん』

『……っ、な、んで……、』



倉庫の扉を開ければ、小春ちゃんは床にしゃがみこんでいた。想像通りだった。今にも泣き出しそうな顔で、小春ちゃんは俺を見上げる。



『……本当に、なんでだろう』

『瑞希くんは、いつも……』

『……うん』

『誰かにいてほしい時、いつも目の前にいるね』



小春ちゃんが俺の名前を呼んで、目に涙を溜めながら力無く笑う。その瞬間、自分の中の何かがぐらりと揺れたのがわかった。


あぁ、どうしてこのひとは。

俺の気持ちを、こうも簡単に持っていってしまうのだろう。