そのあだ名で私を呼ぶひとは、たったのひとりしかいない。
「せ、んぱい……」
「何してんの、こんな所で」
由真先輩は私の座る目の前までやって来て、それから見下ろすわけでなく、私の目線の下までしゃがんだ。
今日、シフト入ってたっけ。でも上がりの時間にしてはちょっと早いような気がする。
「先輩こそ……バイト?」
「いや。ないけど、覗いてみたらひおいたから」
「そ……なんですね」
「で?」
「あの……えっと……」
あれれ、おかしいな。
今まで大丈夫だったはずなのに。だんだんと視界がぼやける。先輩の顔を見たら、安心して気が緩んでしまったのかもしれない。
あぁ、やっぱり無理だ。ひとりでなんて、耐えられるわけがなかったのだ。
「どうした?」
「っ、」
「ひお? 今日って、」
「先輩、だめになっちゃった」
「え?」
「……バレンタイン、渡せませんでした」
先輩には嘘をついたって、きっとすぐに見破られてしまう。泣くのを我慢したって、きっと〝泣いていいよ〟と言ってくれる。
だから誤魔化すことはしなかった。というか、先輩のことを見下ろしている時点で、涙をこぼれないようにすることなんて不可能だった。
ただ、申し訳ない気持ちと悲しさと悔しさがごちゃ混ぜになって、すぐには止まってくれないような、そんな涙だったから。
だんだんとどうして泣いているのかわからなくなって、「ごめんなさい」と言葉を落とせば、先輩は首を横に振っただけで何も聞いてこなかった。
先輩に涙を見せるのは、これで何回目だろう。きっとまた、顔は恥ずかしいぐらいにぐちゃぐちゃになっていると思う。
変な顔を晒しているはずなのに、それでもやっぱり先輩は少しも笑わないで、「大丈夫大丈夫」と、私の何回かの「ごめんなさい」にやさしい言葉を唱え続けてくれた。


