意地悪な兄と恋愛ゲーム



 晴斗は驚いたように目を丸くして、固まってしまった。


 美咲が自分に礼を告げるなんて、全く想像もしていなかったように。


 それが逆にこちらまで恥ずかしくなって、素直になれない美咲は、慌てて補足した。


「か、勘違いしないでよ。助けてもらった借りを作りたくないだけ」


「……分かってる」


 そう言った晴斗の頬が少し赤い事に気がついた

 頬の筋肉が緩んだような嬉しそうな笑みを浮かべていて、次は美咲が目を見開いた。

 美咲は晴斗の、完璧に作られた笑顔と、本性を剥き出しにした意地悪な笑顔しか見たことがなかった。


 こんなふうに自然に笑える人なんだ…

 なんか、意外…


 その時、美咲の半分剥がれたシートを張り直そうと、晴斗の指が伸びてくる。

 なぜか拒む気にはならなかった。

 長い指先がくすぐったいだけで。



「気分はどう?」


 そう問われ、ハッと我に返った美咲は、「別に普通…」と、プイッと顔を逸らした。


 危ない、危ない。

 この男を前に、気は抜けないんだった。


 命を救ってはもらったが、昔から嫌いな男に変わりはないのだ。


「水分は、沢山とった方がいいよ」


 いつの間に買ってきてくれていたのか、側にあったペットボトルのスポーツ飲料を差し出された。

   
 正直、受け取るべきか悩んだ。

 これ以上、晴斗の助けは借りたくないと意固地になってしまう自分がいる。


「受け取らないと、俺が今から口移しで飲ませることになるけど、それでもいい?」


 それを言われた瞬間に、バッと晴斗の手から奪うようにスポーツ飲料を取った。

 晴斗は、分かっていたようにクスクスと笑う。


「俺も嫌われたものだね…」


「当たり前じゃん」


「あれから、もう何年もたってるのに、そんなに昔の事を、まだ引きずってるなんて思わなかったな…」


「やった方は忘れても、やられた方はずっと覚えてるものなの!」


 キャップをひねり、スポーツ飲料を喉に流し込む。

 爽やかな甘味がスーっと口の中に広がる。


「これじゃあ、美咲を俺のものにするのは100年くらいかかるかも…」


「は?」


 美咲はその言葉に固まった。

 口から透明な雫が少し漏れたけれど、そんな事気にならないくらい、晴斗の言葉に驚きを隠せない。


「……俺のもの?100年?」


 この人一体、何を言ってるの?


「あれ?覚えてない?美咲が倒れる直前、俺が言ったこと……」


 うっすらと、倒れる前の記憶が蘇ってくる。


 晴斗に、「俺の好きな人は誰だと思う?」って聞かれて…

確かあの時、晴斗は……



「覚えてないなら、何度だって言ってあげるよ?」


 美咲の返事を待たずに、晴斗は立ち上がり、美咲のベッドの枠に腰かけた。


 夕日の光が横から差し込み、晴斗の黒水晶のような瞳の奥は、赤色に燃えているように見える。


 頬に指を添えられても、美咲は金縛りにあったように抵抗出来なくなった。

 そして、美咲の耳元で、その形の良い唇は今度こそ、はっきりと告げる。




「好きだ……」