今思えば。

僕の人生は、あの日に始まったのだ。

それまでの人生なんて、ないも同然だった。

その日僕は、一人で公園にいた。

雨が降っていたのを覚えている。

頬が痛かったのも覚えている。

その前に何があったのかは覚えてないが、多分僕は、育ての親に殴られて、家を追い出されたのだろう。

そういうことは、それまでもよくあったから、何とも思わなかった。

一度追い出されたら、夜になるまでは帰れない。

雨が降ってようと、雪が降ってようと関係ない。

だから僕は、雨に打たれながら、公園のブランコに座っていた。

一人だった。

こんな雨の中に、公園に来る者なんていない。

…僕以外は。

きこ、きこ、とブランコに揺られていた僕は、俯いていた。

自分の足元に水溜まりが出来るのを、ただ眺めていた。

ふと、人の気配を感じた。

「…」

「…やぁ。何してるの?ここで」

美しい、太陽のような笑顔。

それが、僕と彼女の出会いだった。そこからのことは、よく覚えている。

何せ、その瞬間に、僕の人生が始まったのだから。

「…誰…?」

僕は驚かなかった。

怖くもなかった。

だって、恐怖なんて感情も、僕にはなかったのだから。

ただ、目の前の女性が、とても美しかったのを覚えている。

吸い込まれるような大きな目。艶やかで絹のような髪。

こんなに美しいものを見るのは、初めてだった。

それくらい、綺麗な人だった。

いや、人ではないのだけど。

その時点で、僕は彼女が何者なのか知らなかった。

「君、一人なの?」

彼女はしゃがみ込んで、僕に視線を合わせて尋ねた。

一人?

「僕は一人だよ。いつも」

たしか、僕はそう答えたのだ。

一人じゃないときなんてないくらいに、僕は一人だった。

そして。

「そっかぁ。実は、私も一人なの」

彼女は、にこにこしながらそう言った。

「でも、今は二人だね」

「…」

「一人と一人が一緒になって、二人になったね」

「…」

「ねぇ、君、名前何て言うの?」

名前。

僕の名前は。

「…ルーチェス・ナジュ・アンブローシア…」

妙に長ったらしい自分の名前を、僕は囁くように教えた。

「そうかそうか。長いね。じゃあ君のことは、ナジュ君と呼ぼう」

…呼ぶ?

名前を呼ぶ?

それはとても、不思議な感覚だった。

自分に名前はあっても、その名前で呼ばれることはなかったから。

いつも、「おい」とか「お前」とか、「穀潰し」とか言って、呼ばれていた。

名前で呼ばれるなんて、生まれて初めてだった。

「私、リリスっていうの」

「…リリス…」

「そう。宜しくね、ナジュ君」

そのとき、ぎゅっと握られた手の温もりを、僕は今でも覚えている。

あの瞬間から、僕の…僕達の人生が始まった。