ルーデュニア聖王国から遠く離れた、とある国で僕は生まれた。
幼少時の記憶は、実はあまりない。
ただ、幼いながらに、自分が厄介者であることは知っていた。
僕には親がいなかった。
少なくとも、親の顔を見たことはない。
僕の記憶にある一番古い景色は、冷たい土間で体育座りをしている自分の姿だけだ。
実は、僕は両親のことを何も知らない。
誰に聞いたこともないし、もしくは聞いたけど、答えてくれなかったのかもしれない。
両親は僕を残して死んだのか、それとも僕が邪魔だから捨てたのか、他に何かしらの事情があったのか。
僕の知ったことではないが、とにかく僕は、両親の存在を知らない。
代わりに、幼い僕の面倒を見てくれていたのは、親戚の家だった。
僕にとって叔父なのか叔母なのか、それとも、もっと遠い親戚だったのか。
とにかく、両親と何かしらの血縁関係のある家で育てられた。
この辺りの事情も、記憶が曖昧で、よく覚えてない。
当時、多分五歳くらいだったから、覚えてないのも無理はないと思うが。
とにかく、邪魔者扱いされていたのは覚えている。
僕が預けられたその親戚の一家には、僕と同じくらいの年頃の子供がいて。
その子はいつも、僕を馬鹿にしていた。
物凄く嫌な思いをしたのを覚えている。
自分の子供が、僕をいじめているのを見ても、親戚は何も言わなかった。
むしろ、その親戚の大人達も、僕に向かって面と向かって毒を吐いた。
穀潰しだとか、出ていけとか、いなくなれとか。
色んな汚い言葉を投げ掛けられた。
僕は悲しいとは思わなかった。
だって、生まれたときからそうだったんだから。
僕にとっては、ごく当たり前のことだった。
殴られても、叩かれても、罵られても。
真冬の冷たい水で、皿洗いをさせられても。
冷たい土間に、汚れたむしろを敷いただけの寝場所しか与えられなくても。
僕にとってはそれが当たり前で、悲しいとか、辛いとか寂しいとか。
そんな感情は、僕にはなかった。
幼少時の記憶は、実はあまりない。
ただ、幼いながらに、自分が厄介者であることは知っていた。
僕には親がいなかった。
少なくとも、親の顔を見たことはない。
僕の記憶にある一番古い景色は、冷たい土間で体育座りをしている自分の姿だけだ。
実は、僕は両親のことを何も知らない。
誰に聞いたこともないし、もしくは聞いたけど、答えてくれなかったのかもしれない。
両親は僕を残して死んだのか、それとも僕が邪魔だから捨てたのか、他に何かしらの事情があったのか。
僕の知ったことではないが、とにかく僕は、両親の存在を知らない。
代わりに、幼い僕の面倒を見てくれていたのは、親戚の家だった。
僕にとって叔父なのか叔母なのか、それとも、もっと遠い親戚だったのか。
とにかく、両親と何かしらの血縁関係のある家で育てられた。
この辺りの事情も、記憶が曖昧で、よく覚えてない。
当時、多分五歳くらいだったから、覚えてないのも無理はないと思うが。
とにかく、邪魔者扱いされていたのは覚えている。
僕が預けられたその親戚の一家には、僕と同じくらいの年頃の子供がいて。
その子はいつも、僕を馬鹿にしていた。
物凄く嫌な思いをしたのを覚えている。
自分の子供が、僕をいじめているのを見ても、親戚は何も言わなかった。
むしろ、その親戚の大人達も、僕に向かって面と向かって毒を吐いた。
穀潰しだとか、出ていけとか、いなくなれとか。
色んな汚い言葉を投げ掛けられた。
僕は悲しいとは思わなかった。
だって、生まれたときからそうだったんだから。
僕にとっては、ごく当たり前のことだった。
殴られても、叩かれても、罵られても。
真冬の冷たい水で、皿洗いをさせられても。
冷たい土間に、汚れたむしろを敷いただけの寝場所しか与えられなくても。
僕にとってはそれが当たり前で、悲しいとか、辛いとか寂しいとか。
そんな感情は、僕にはなかった。


