酔った勢いで契約したレンタルダーリンと期間限定の夫婦生活始めます!

車がスムーズな動きで発進したのがわかる。目を閉じていたからどんな道を走っていたのかわからないけど、葵さんの匂いに包まれていたおかげで安心して、気づけば意識が夢の世界に入ってしまっていた。
葵さんと再会できた。思いが通じ合った幸せで、とても穏やかに寝付いていた気がする。
「着いたよ」っていう葵さんの声が聞こえたんだけど「んー」なんて唸っていたら身体がふわりと持ち上がる感覚がする。うっすらと開けた瞼の向こうに見えた景色が少し高い位置だったから、きっと葵さんにお姫様抱っこされているんだろう。お姫様抱っこ。やっぱり嬉しいな。葵さん力持ちで、そんなところも格好良い。
ふうっと意識が沈んで、持ち上がったときにはふかふかな手触りの葵さんの香りがするベッドに寝かされていた。布切れの音が聞こえてくる。あたたかくてすべすべの何かが肌に触れる。ぬくもりを求めてすり寄れば、額に柔らかいものが当たって「ちゅ」と音が聞こえてくる。瞼を開くと、葵さんが、妖艶に微笑んでいる。

「気持ち良いこと、しよう」
「きもちいいこと……」

そうだ。葵さん、私を家に連れて帰るって言っていた。足りないって言っていて、だから気持ち良いことをこれから彼とするんだ。私は葵さんに両手を伸ばして、葵さんにだけ見せる世界一愛しさを込めた顔で笑う。

「葵さんと、気持ち良いことしたい」

返事は口づけで返ってきた。甘い戯れで軽く唇同士を触れさせて、それがだんだん深いものに変わってく。葵さんの唾液と私の唾液が混ざり合って、甘くて少し苦い味がする。葵さんの味だ。

「葵さん、葵さん、抱っこして」
「ん」

手を伸ばせば葵さんが私を抱き締めてくれる。何度も何度も名前を呼んで、好きだと愛していると伝えて。
たくさん甘美な刺激を与えられて、ダメだといってもやめてくれなかった葵さんに、そのあとも求められて……葵さんから与えられる愛情を何とか全部受け止めた頃――疲れ切っていた私の意識は、ぷつりと途切れるように眠りの世界に旅立っていたのだった。
多分、私が思っていた以上に葵さんは私のことが大好きで。再会できた喜びと愛しさが振り切ってしまったんだと思う。私が目を覚ましたのはその日の夜だった。夜でも深夜と呼べる時間帯だ。ん、と漏れた声は掠れていて、身体が物凄くだるかった。

「目が覚めた?」
「……あおいさん」

隣に寝転んでいた葵さんが、眉を下げた心配そうな表情でこちらを見ている。私の前髪を指先で分けると、こつりと額をくっつけた。

「ごめん。無理させちゃったね。君への想いが抑えきれなくて……」
「ん、へいき……」
「起きられるかい? おなかすいたよね」
「喉、渇いた」
「待ってて。水を持ってくるから」

私の頭を一撫でして額にキスを落とした葵さんがベッドルームを出ていく。ぽーっとした頭で彼の背中を見送ったあと、部屋の中を見回した。私と葵さんが仮初の夫婦生活を送っていたマンションの部屋とまた違った雰囲気の寝室だ。二人は余裕で寝転べる大きなベッドに、寝室を心地良く照らす間接照明。大きな加湿器もあって、本棚も置いてある。葵さん、寝る前に本を読むのかな。そういえば、私の服はどこだろう。今、着せてもらっているのは葵さんのシャツだ。下着は身に着けていたから、葵さんがつけてくれたんだと思う。自分で装着した記憶が無い。そんなことを思い浮かべていると、葵さんがベッドルームに戻ってきた。グラスに入った水をベッドのサイドテーブルに置いて、私が身体を起こそうとすると手を添えて手伝ってくれる。

「ありがとう」
「うん。ゆっくり飲んでね」

葵さんの手からグラスを受け取れば手のひらから伝わる水の温度は冷たい。言われた通りにゆっくり喉に流し込めば、カラカラだった体内に冷えた水が通って行く感覚がわかる。ゆっくり飲んでねとは言われたけど、喉が渇いていたので一気に半分以上飲んでしまった。ふう、と深く息を吐き出してから、ベッドに腰かけてこちらを見下ろしていた葵さんの瞳を見つめた。
葵さんが私に向けている表情は愛情を孕んだ優しい顔をしている。そっと葵さんが私に顔を寄せて、鼻先同士をすり寄せた。
あ、キスされる。そう思ったときにはすでに唇同士が触れあっていて。唇の柔らかさを確かめるような口づけにうっとりしてしまった。

「葵さんとのキス、すき」
「ん? 俺も君とのキス、好きだよ。柔らかくて、甘くて。もっとしたくなる」

レンタルダーリンとして一緒に過ごしていた日々の中で、身体のどこかにキスをしてもらったことはあったけど唇同士のキスは無かった。葵さんにそれはどうしてか問いかけたら、私のことを思って、だったらしい。唇同士は、私が心から好きになった人としてほしかった。レンタルダーリンという立場の人間がキスをするべきじゃないって思っていたそうだ。

「ふふ、葵さんって変なところ真面目だね」
「君のことが好きだって自覚してからは、唇にキスをしたくて仕方なかった」
「でも、それだけ葵さんが私のこと好きでいてくれて嬉しい」

照れくさく微笑みながら本心を伝えたら、葵さんは少しだけ頬を赤くして目を伏せると嬉しそうに笑った。

「君は本当に、素直で可愛いね」
「……葵さん、私のことすぐ可愛いって言う。そんな風に言う人も初めてだよ」
「可愛いって言われたことないの?」
「うん。あんまり」
「え? こんなに可愛いのに?」

心の底から驚いた、みたいな反応をするから、ふっと吹き出してしまった。葵さんのこんな姿を見ると、本当に私のことが大好きなんだなって思えて自信がつく。私は大好きな人に愛してもらえているんだっていう、とても素敵な自信だ。
そのとき、私のおなかの虫が小さく鳴いた。小さな音だったのに聞き逃さなかったのは、さすが葵さんと言ったところだろう。

「おなか空いたよね。何か作ろうか」
「でも、こんな時間に食べたら罪じゃないかな」
「今日はいっぱい運動したから罪じゃないよ。それに、おなかが空いていたらこのあと眠りづらいだろう?」
「ん、んー」
「葵特製ラーメンでも作ろうか」
「こ、こんな時間にラーメン! つ、罪だ! でも葵さんの特製ラーメンだったら食べたい……」
「ふふ、うん。麺ひと玉は多いだろうから、俺と半分こして食べようか」
「うん!」

元気に頷いた私の頬にキスをした葵さんが膝の裏と背中に腕を回して私をお姫様抱っこしてくれる。少し驚いて彼の胸板に手を置いたら、キラキラした王子様スマイルで見下ろされた。

「はい、お姫様。ダイニングテーブルまで運んであげるね」
「うう、葵さんが王子様だ……」

レンタルダーリンだった頃より葵さんの態度が甘々な気がする。これが素なんだろうか。それとも相手が私だから? 今ならレンタルダーリンを契約するときに入力するデータ欄に全部「好みは桐生葵」って書いてしまいそうだ。私の好きな人の理想が全部、葵さんに塗り替えられていく。
葵さんの抱っこでダイニングテーブルの前のイスに連れて来てもらって、そのまま座らせてもらった。私の頬を人差し指の背で撫でた彼は「ちょっと待っててね」と告げるとキッチンの前に立つ。やがて葵さんの手から生み出される「ことこと、とんとん」という料理の音が聞こえてくる。私は目を閉じてその音を聞いていた。香ってきたのはお醤油の匂いだ。匂いを嗅いだら余計におなかが空いちゃって、きゅーっと胃が食べ物を求めるように鳴く。

「はい、お待たせ」
「わ……これ、インスタントラーメン? 葵さんが作ったの、インスタントじゃないみたい! かにかまとおネギとたまご! ちょっとあんかけになってて……うう、おいしそう」

ひと玉を半分こしたあんかけしょうゆラーメン。しかも葵さんが作ったラーメン。これはもう私にとって幸せのお夜食だ。
「いただきます」って二人で同時に両手を合わせて、まだ湯気の立つ麺を、つるっとすする。とろみのついたあんがなめらかで、やっぱり葵さんが作るものはインスタントラーメンでも魔法がかかったみたいに倍おいしい。口の中から食道、胃の中へ通っておいしさが染み渡っていく。ほぐされたかにかまの食感と風味。かきたまになった卵。馴染み深いインスタントラーメンの味がまた安心感を生むというか。

「おいしい……こんな時間にラーメンを食べるなんて。ふふ、私たち、いけないことしてるね!」

なんだか楽しくなって小さく笑ったんだけど、そこで私はハッとする。

「もしかして葵さん……私と期間限定の夫婦生活をしていたときも、たまにこうやってお夜食を食べてた?」
「えっ。あ、えーと、そんなに頻繁じゃないよ。たまに……本当にたまにね」

ちょっと葵さんが照れくさそうに笑っているんだけど、その笑顔が可愛くも見えてしまう。これが惚れた弱みだろうか。でも、誰だって夜におなかが空くときは空くものだ。

「葵さんの内緒のお夜食を、次から二人の禁断のお夜食にしよう」
「二人の禁断のお夜食か。うん、いいね」

二人で目を見合わせて笑い合って、半分こしたあんかけしょうゆラーメンをすする。
たまにはこういう「いけないこと」をするのもいいものだ。それが葵さんとすることだから、大切な幸せの一つだ。
ラーメンを食べている間、私達に会話は無かったけれど、気まずいとか緊張するとかそんな雰囲気の無言の時間じゃなかった。お互い、この穏やかなお夜食の時間を噛み締めて、時折目を見合わせて微笑んだ。
食べ終わった食器は二人で片付けて、洗い物を終えたタイミングで私は葵さんのシャツの裾を摘まんで引っ張った。

「葵さん、あの……シャワー貸してほしい」
「ん? ああ、いいよ。一応あのあと出来る限り綺麗にはしたんだけど……さっぱりしておいで。一人で入れる?」
「ふふ、うん。身体の怠さもマシになってきたから大丈夫」
「何かあったら呼んでね。浴室はこっちだ」

おいで、と手を引かれてリビングを出た廊下にある扉の向こうが脱衣所になっていた。葵さんが、バスタオルの位置や浴室の使い方を教えてくれる。脱衣所も広かったけど、浴室もとっても広くてちょっと驚いた。浴槽なんて足を伸ばして浸かれるくらい大きい。私の身長だったら全身伸ばして浸かれる。
葵さんにお礼を言って彼を見上げたら、優しいまなざしを向けられる。そして、愛しさを込めて名前を呼ばれた。

「今度は一緒にお風呂に入ろうね。あと、俺がドライヤーしてあげたいから浴室から出たら呼んで」

挨拶のように唇に軽くキスを贈ってくれたあと、葵さんが脱衣所を出ていく。一連の流れがとてつもなく甘くて胸がどきどきして両手で顔を覆ってしまった。やっぱり、レンタルダーリンとして契約していたときより葵さんが私に対して甘々だ。
シャツを脱いで下着を外し、浴室に入って鏡に映った自分の姿に目をむいた。身体中にキスマークがあって、首筋には歯形があって……これは、全部葵さんが私に付けたものだ。

「うう、はれんちだ私……」

頭の中がピンク色になってしまった。思い返した甘い行為をかき消すようにシャワーのお湯をかぶって冷静になれと自分に言い聞かせたのだった。
でも、身体を綺麗にするためのシャワーの時間でさえ、私の意識は葵さんでいっぱいになる。この浴室で葵さんが身体を洗っているんだなぁとか、このシャンプーとリンスを使ってるんだなぁとか。じゃあ、今、私は葵さんと同じ香りのする髪になっているのか……とか。葵さんが住んでいる家にいるから当然なんだけど、どこもかしこも葵さんを思い出して意識してしまうもので溢れている。
身体を拭くバスタオルでさえ柔軟剤の良い香りがして、また葵さんが頭の中に出てくる。どうしちゃったんだろう私は。私、こんなに葵さんのこと好きになってたんだ。会えない時間がより想いを強くしたとかいうやつだろうか。もしかしたら、再会したときの衝撃が大きかったせいもあるかもしれない。
葵さんに借りているシャツに袖を通したら、体格差があるおかげでシャツの裾が太ももまで隠してくれる。葵さんと私って、こんなに身体の大きさが違うんだ。ああ、また葵さんにときめいてしまった。なるべく平常心でいようと心がけて、一呼吸置いてから脱衣所の扉を開く。扉が開け放たれていたリビングの方に向けて葵さんの名前を呼び声を届けると、すぐにこっちに来てくれた。

「ドライヤー、椅子に座ってする?」
「ううん。立ったままで大丈夫。葵さん、いつも脱衣所でドライヤーしてるんだよね?」
「うん。じゃあ、ここで」

少しでも早く乾くようにとバスタオルで髪の水気をとっている間に、葵さんが棚の引き出しの中からドライヤーを取り出してコンセントをさす。葵さんの準備が整ったのを合図にバスタオルを下ろして手に持った。ドライヤーから温風が吐き出される。葵さんの指が私の髪に触れて、丁寧に丁寧に乾かしていく。
「熱かったら言ってね」「うん」という会話のあと私は静かに目を閉じた。葵さんの手つきが優しくて気持ち良い。ドライヤーの音もあって会話は控えるけど、ちょっと気になって瞼を持ち上げたら葵さんと視線がぶつかって微笑まれる。その笑顔がキラキラして見えたのは私の葵さん大好きフィルターのせいもあるだろう。葵さんの指先を感じながらふわふわした気持ちでいると、やがて温風が冷風に変わった。髪もさらさらになって、ドライヤーが止まる頃には髪に天使のわっかのような光が入るくらいつやつやになっていた。

「はい、おしまい」
「わぁ、さらさら! ありがとう葵さん」

指で触れて確認したら自分で乾かしたときよりさらさらでびっくりしてしまった。上機嫌に笑っていると、葵さんの腕が後ろから伸びてきて私を抱きしめる。そして、彼は私の髪に鼻先を埋めた。

「俺と同じシャンプーの匂いがする」
「だ、だって同じの使ったから」
「うん。なんかいいね。俺がいつも使ってたシャンプーの匂いが君から香るの、嬉しい」

すーっと深く息を吸い込んだのが音でわかって、恥ずかしくなった。髪の匂いをこんなに近い距離で嗅がれたことなんて今まで生きてきてなかった。これ以上は恥ずかしすぎて耐え切れないと思い、葵さんの名前を呼んで顔を上げてもらう。

「葵さん、歯ブラシってある?」
「ああ、予備が確かここに」

引き出しのを開けたら新品の歯ブラシがあった。葵さんがこれを使ってもいいと言ってくれたので、お言葉に甘えて歯を磨くことにする。葵さんも歯を磨くようで、洗面所に二人並んで歯を磨いた。なんだか、本当に恋人同士になったみたいだ。なったみたいだ、じゃなくてなったんだ。歯磨きをする葵さんを、じーっと見つめてしまっていたら、その視線に気づいた彼が不思議そうな顔をして首を傾げる。歯を磨きながら首を傾げた姿があまりにも無垢に見えて、普段は格好良いのに今の表情は可愛い! と衝撃が走った。期間限定の夫婦として過ごしていたときには無かった発見だ。葵さんはどれだけ私の心を奪えば気が済むんだろうか。
二人とも歯を磨き終えて、ベッドルームに戻ってきた。リビングに向かうときは私が葵さんに手を引かれていたけど、今度は逆だった。今は私が葵さんの手を引いてベッドに寝転ぶように促している。だって、葵さん、とっても眠たそうだったから。

「葵さん、私がいつ目覚めてもいいようにずっと起きてたんでしょ?」
「んー。だって、君の寝顔が可愛くて」
「え、ずっと見つめてたの?」
「うん。幸せだなぁって思いながらね」

どちらともなく同時にベッドに寝転んで、掛け布団を被って向かい合う。葵さんがいつも私にしてくれるように、彼の頬を手のひらで包むように撫でた。

「明日もお仕事だよね? 何時に起きるの?」
「七時くらいかな」
「七時……今、三時だから四時間は眠れる。ちょっとだけでも寝よう?」
「そうだね……。ねえ、ぎゅーってしてほしいな」

眠たげな葵さんは甘えん坊モードらしい。要望に応えて彼の頭を胸に引き寄せて、そっと抱きしめると葵さんはすり寄って深く息を吸い込んだ。

「ああ、安心する」

二人分の体温がベッドの中に広がっていく。大好きな人のぬくもりと香りに包まれたことで私も安心して眠たくなってきた。ラーメンを食べておなかが少し満たされたおかげもあるかもしれない。

「葵さん」
「ん?」
「大好き」
「――うん、俺も君が大好きだ」

そうして「おやすみ」を伝え合って私達は静かに瞼を下ろす。お互いの存在を感じながら、愛しさを胸に抱いて夢の世界に旅立った。