ジングルベル。ジングルベル。鈴が鳴る。
今日は楽しいクリスマス。
葵さんがリビングに運んできたのは大きなクリスマスツリーだ。私が手を伸ばしてもてっぺんには届かない。葵さんは余裕で届いちゃう。私と彼の身長差にきゅんとしてしまった。葵さん大きい。格好良い。
次に一緒に運び込んだのは飾り付けのオーナメントだ。二人で目を見合わせて笑顔で頷いて、一緒にツリーを彩っていく。高い位置は葵さんが、低い位置は私が。役割分担。どのオーナメントも可愛くて綺麗で、飾りつけする間、ずっとにこにこしちゃっていたと思う。
そして最後にツリーのてっぺんにはアンティーク調の星の飾りだ。葵さんに付けてもらおうと思って「どうぞ!」と差し出したんだけど、葵さんはにこりと笑うと私の後ろに回った。何をしているのか一瞬わからなくて、気付いたらひょいっと抱っこされていた。

「わわ!?」
「っと、気をつけてね。暴れないで。仕上げは君にしてほしいんだ」

私を軽々と抱き上げちゃう葵さんにきゅんとしてしまった。葵さん力持ち。格好良い。
もうでれでれの緩んだ顔で大きく頷いた私は両手を伸ばしてツリーのてっぺんに星の飾りをのせる。葵さんは私をゆっくり床に下ろすと「うん、完成だね」と両手のひらをこちらに向けてくれた。それに応えるように「完成!」って元気よく手のひらにタッチしてから、ツリーに視線を移す。
二人で飾り付けたクリスマスツリーはぴかぴかしている。電飾とかはつけていないけど、私には光っているように輝いて見えた。

「よし、次だね」
「うん、次!」

続いての共同作業はクリスマスディナーのお料理だ。なんとなんと、下準備は前日に済ませてある。これも二人で行った。あとは簡単な調理と盛り付けだけだ。
色とりどりのサラダに、ちょこりとつまめる量の数種類のパスタ。チキンも忘れていない。小さなケーキと、ワインも用意してある。お買い物に行くことも、料理をすることも、全部葵さんと一緒にできたからこの二日間はとってもとっても幸せで楽しかった。今日もまだまだ楽しいことが続くっていう確信がある。
テーブルに並んだお料理を前に、葵さんがワインをグラスに注いでくれる。二人で席について向かい合ったあと、目を合わせて「乾杯」とグラスを重ねた。
きらきらしている。空間も、葵さんも、お料理も。全部全部光っているみたいだ。
お料理を食べている間も、お酒を飲んでいる間も、ずっと同じことを繰り返し言っていたのに気づいたのは葵さんに指摘されてからだ。私はほぼずっと「おいしい」と「楽しい」と「しあわせ」と「葵さん好き」しか言っていなかったみたいで。
急に恥ずかしくなって唇を、きゅっと引き結んだ。
なんて幼稚な感想しか出てこないんだ。しかも無意識に零した言葉がそれってことは、精神的にも幼稚ってことだ。葵さんはこんなにも大人で、格好良くて、完璧な人なのに。私はいつも子供みたいなリアクションをしてしまう。葵さんを惚れさせるぞ! って意気込んでいたのに……もっと魅力のある女性になりたかった!
そんな私の反応を見た葵さんが、おかしそうに、ふっと声を出して笑った。

「本当に、君は可愛い人だね」
「か、可愛い? ど、どのあたりが?」
「素直で、わかりやすくて、正直者で。俺のことを『好き』って全部で伝えてくれるところが可愛い」

心臓が大きな音を立てて唸った。あまりにも優しい表情で、とろとろの甘い声で、お酒を飲んでほんのり色づいた顔で、そんなことを大好きな人に言われてときめきに襲われないはずがなかった。
衝撃が大きすぎたせいで私の口ははくはくと動くだけで音が出てこない。目の前の葵さんは最後の一口のケーキを食べて、なんてことない様子でワインをグラスにおかわりしている。
結局、私の口から漏れたのは「ひょ、ぇぇぇ……」というほぼ空気を吐き出したに近いかすれたか細い声だった。
正直言ってそこからはっきりとした記憶はない。
ハッと意識が戻ったときにはリビングのテレビの前のソファに腰かけた葵さんの足の間に座って映画を見ていた。
ローテーブルにはワインが入ったグラスが二つ並んでいる。葵さんの腕が私のおなかに回っている。待ってくれ。どこがどうなってこうなったの? 記憶が無い。さっきの葵さんの発言の威力が凄すぎて意識を飛ばしていた。確かにごはんを食べたら映画を観ようねって言っていたけど、この体勢で見るなんて予想外だ。
待って、ちょっと待って。葵さんのほっぺが私の頭にくっついている気がする。身体も密着している。
葵さんの体温、あったかいなぁ。じゃなくて! また意識をぽわぽわと飛ばしかけてしまい咄嗟に口の中でほっぺの肉を噛んだ。痛い。
テレビで流していた映画はすでにエンドロールを映している。そう、そうだ。私が大好きな子犬の映画を見ていたんだった。

「あ、葵さん。映画終わったよ?」
「ん……? ああ、本当だ」

なんか、葵さんの声がふわふわしている気がする。いつもよりゆったり口調というか。

「そうだ。君にクリスマスプレゼントがあったんだ」
「あ! わ、私も渡すものがある!」

映画を見終わったらプレゼント交換をしようって言ってたんだ! しゅばっと立ち上がった私は葵さんと目を合わせてクローゼットからプレゼントをとってくることを伝える。葵さんは笑って大きく頷いてくれたんだけど。けど。そのときの笑顔が今まで見たことないゆるゆるの表情で、とっても幸せそうで。だめだ。もう、だめだ。泣いちゃう。ときめきが凄すぎて泣いちゃう。
急いでクローゼットに駆けこんで、プレゼントをかっさらうように掴んで深呼吸。落ち着け私。大丈夫。葵さん好き。オーケー。
謎の確認を終えてリビングに戻れば、葵さんが私を見て変わらぬ笑顔で手を伸ばした。おいで、って言われた。
葵さんの傍に寄っていき、彼の隣に腰かける。葵さんの手にはすでに可愛らしくラッピングされたプレゼントがある。葵さんが、私に選んでくれた。プレゼント。

「はい。メリークリスマス」
「め、メリークリスマス!」

葵さんのプレゼントを受け取って、葵さんは私からのプレゼントを受け取ってくれる。中身は何だろう。気になって仕方なかったから、ここで開けてもいいかと問えば快くオーケーしてくれた。
金色のリボンを解いて、つやつやとした柔らかい感触の袋を開く。手を袋の中に入れて取り出せば、私が大好きなブランドのボディケア用品だった。しかも、使いたい気持ちはあったけれどお高めで手が出せなくて、いつか買いたいなって憧れていたボディークリームも入っているクリスマスボックスのセットだ。

「あ、葵さん。こ、これ……う、嬉しい! 本当に嬉しい! 欲しかったやつ!」
「うん、喜んでもらえて良かった」
「うわああ大事に使う! ――ん、まだ何か……?」

袋の中に固いものが入っている。首を傾げて手を突っ込んで引っ張り出したんだけど、高級感あふれる手のひらサイズの箱が出てきた。

「開けて良い?」
「もちろん」

これはなんだろう。どきどきしながら箱を開ければ、シンプルなデザインのガラス瓶が姿を見せる。装飾も特になくて、中に透明な液体が入っている。お洒落な英字で書かれたラベルを読んでみたところ、どうやらこれは香水のようだ。香水! 私つけたことない!

「もしも香りが気に入らなかったら捨てていいからね」
「捨てない! 絶対捨てない! 葵さんから貰ったものなのに!」
「はは、ありがとう。あ、俺もこれ、開けていい?」
「もちろ、ん!」

言葉の頭は勢いが良かったのに、途中で「大丈夫かな」って不安になって歯切れが悪くなってしまった。葵さんは柔らかいまなざしで私からのプレゼントを見つめて、丁寧に包装紙を外していく。紙から覗いた箱の蓋を開け、中身を見た彼は目を真ん丸に見開いた。

「これ……」
「葵さん、煙草吸うでしょ? これ、ライターと一緒に煙草の箱が入るケースなの」
「俺、煙草を吸うんだって秘密にしていたのに……なんで……」
「だって私は葵さんのことが大好きだからね! お見通しだよ!」

照れくささを誤魔化すためにふざけて胸を張れば、葵さんはすり寄るようにこちらに身を寄せてぎゅうっと私を抱きしめた。わ、わわわ、だ、抱きしめられてる!

「嬉しい。本当に嬉しい。大切にするよ、ありがとう」

くすぐったい。心がときめきでくすぐったい。葵さんの香りが肺いっぱいに入りこんできて。彼のあたたかい体温と、ほんの少しのアルコールのにおいが混ざって甘くて、なんだかほわほわしてきた。

「んんー、好き。だいすき」
「あ、あ、ぅ」

葵さんが「だいすき」だなんてことを言う。よ、酔っぱらっているのかもしれない。ほっぺやこめかみにたくさんたくさんキスが降ってくる。ちゅ、ちゅーってして、唇で頬を撫でるようにすりすりしてくれる。
恥ずかしくて照れくさくて、でも嬉しくてくすぐったくて。拒絶することはせずに全部受け止める。でも、葵さんからのちゅうが全然止まなくて、止んだと思ったら私の肩口に顔をうずめて深く息を吸い込んだ。

「ああ、すきだ」

聞いたことない声だった。なんというか、深く深く噛みしめたみたいな、そんな感情をのせた声。とうとうここで私のメーターは振り切れてしまった。これ以上は葵さん過剰摂取で気絶してしまう。そうっと彼の胸板を押して、震える声で名前を呼んだ。

「葵さん、私、お風呂入ってくるから」

とにかくこの場から逃げないと。咄嗟に思い付いた言い訳がお風呂だった。

「おふろ? うん、いってらっしゃい」

葵さんの声がぽわぽわしている。もしかしたら、私が意識を飛ばしている間に結構お酒を飲んでいたのかもしれない。ゆったりとした動作で私の身体を放してくれた彼に見送られ、着替えを取りに行って素早く脱衣所に駆け込んだ。駆け込んだのはいいものの着替えを抱きしめたまましばらく動けなかった。
きょう、わたし、しぬのかな?
走馬灯が頭の中を駆け巡ったけれど、ぶんぶんと頭を振ってこの世にしがみつく。
とりあえず、お風呂。お風呂に入ろう。着替えを棚の上に置いて、服のボタンを外そうとしたところでハッとした。
葵さんに貰ったボディークリーム、使いたい!
そうと決まれば服を脱ぐのは後回しだ。脱衣所からリビングに戻って、置きっぱなしにしてしまったボディークリームを取りに行く。
そろりとリビングを覗けば、葵さんがソファに座っていたんだけど……あれれ? 寝てる?
一応足音を立てないように近づいて葵さんを見つめる。
うん、やっぱり眠っている。しかも、どこか幸せそうに見えるのは私の気のせいだろうか。気のせいかもしれない。私自身にかかった幸せフィルターのせいだ。
ローテーブルの上に置かれたワインはボトル一本空になっている。私はほとんど飲んでいないからときめきで意識をとばしていた間に葵さんが開けてしまったんだろう。それで酔っぱらって眠くなっちゃったのかもしれない。だからちょっと口調がぽわぽわしていたんだ。
起こさないようにしよう。そっと手を伸ばしたのはソファの上に置きっぱなしにしたボディケア用品だ。
そこで気づいた。どうやら葵さんはスマホを触っている間に寝落ちしてしまったらしい。ソファの上にのった彼の手の傍にスマホの画面が明るいまま放置されている。
――見えた。
見えてしまった。その画面に表示された私の名前がちらりと目に留まれば、吸い寄せられるように視線が動く。
私の名前、性別、年齢、生年月日。出身地。
食べ物の好み。洋服の好み。
好きな色。好きな花。好きな映画。趣味。
理想の男性のタイプ。憧れのシチュエーション。
欲しいもの。
他にも沢山、私についての項目がその画面には表示されていた。
足元が一瞬ふらついてしまう。それでもなんとか立つ。
これは、私が、レンタルダーリンをお願いしたときに渡した自分のデータだ。
ああ、そうだ。幸せすぎて、忘れていた。
今までの全部、嘘で。葵さんは――彼は、私の理想をなぞっただけで。
私が喜ぶことばかりしてくれたのはこのデータがあったからだ。
憧れていたシチュエーションも、一緒に観た映画も、食べ物の好みも、欲しいものも、全部これを参考にして、契約者を満足させるためのお仕事だ。
彼の心は何一つ私に傾いてなんていなかった。傾くはずがなかった。だって、そう見えるようにするのが――私の理想の男の人になるのがお仕事だからだ。
彼が伝えてくれた、好きも、可愛いも、幸せってことも。全部全部全部、偽物だ。
私達の関係は、最初からずっと偽物だ。
どうがんばったって、レンタルダーリンとお客さんの壁は壊せないんだと突きつけられてしまった。
ぽきり、心の奥の何かが折れた音が聞こえる。
息を吸い込んだ喉が、ひゅっと鳴った。またふらついた足元のせいでローテーブルに軽くぶつかってしまう。その小さな音で、葵さんが目を覚ました。
ぼんやりした瞳で私を見上げた彼は、次いで大きく目を見開く。
呼吸が浅くなってしまう。涙が止まらない。
葵さんが何かを言いかけて、何を言っていいのかわからなかったようで戸惑った顔をしていた。寝ていて目を覚ましたら私が声も出さずにぼろぼろと泣いていて、彼が戸惑ってしまうのも仕方ないだろう。
呼吸を飲んで下唇を噛みしめる。
葵さんから視線を逸らして、無言でウォークインクローゼットに行き、鞄を手に取った。この家に来て以来触っていない、私の唯一の持ち物の鞄だ。
玄関に向かう私の後ろに動揺を露わにした葵さんがついてくる。

「どうしたの、なにがあったの、どこに行くんだ」

私は玄関で靴を履いて、くるりと後ろを振り向いた。その目に、しっかりと葵さんの瞳を映す。

「今まで、私の妄想に付き合ってくださってありがとうございました。見苦しいところもたくさん見せていたのに、全部受け止めてくれた桐生さんには、感謝でいっぱいです」
「ま、って。ねえ、待ってくれ」
「いつの間にか私はあなたに本当に恋をして、桐生さんのことが大好きで大好きで……だからこそ、このまま一緒にいたらダメだと思いました。このままあなたの傍にいたら、私の心が潰れて、しまう」

言葉も、心も、視線もまっすぐに彼を向いている。涙は止まらない。けれど拭わない。拭う動作をしたら、葵さんから目を逸らしてしまう。

「叶わない恋に嘘を重ねて、重ねて重ねて戻れなくなって。潰れてしまう」

脳裏によみがえるのは、葵さんと出会ってから一緒に過ごした日々だ。本当に本当に幸せで、楽しくて、好きになってもらうためにがんばろうって思っていた。
少しずつ葵さんの心が私に近づいてくれているんだって、どこかで変な確信を持ってしまっていた。なんておこがましい。勘違いも甚だしい。そんなこと、最初からありえなかったのに。
だって、葵さんはレンタルダーリンなんだ。それがお仕事なんだ。

「仮初の夫婦生活は、今日で終わりにします。お金はきちんと支払います」
「え……」
「ありがとう、ございました。幸せでした」

深々と頭を下げて、一度も振り向くことなく家を出る。
歩いていた足はだんだん早足になって、駆け足になって、最寄り駅に停まっていたタクシーに飛び込んだ。
行き先は私の家だ。本来住んでいた、小さな小さなアパートの二階だ。
声を出さずに、ただただぼろぼろと泣く私をミラー越しに見たタクシーの運転手さんは何も言わないでいてくれる。
葵さんと私の仮初の夫婦生活はこれで終わりを告げた。
自分から終わりを告げたのに未練がましくて嫌になる。
きつくきつく握りしめる香水の瓶のラベルに、ぽたぽたと涙が落ちた。