「遅くなってすみません」

私は、息子の祐太を連れてきてくれた保育園の先生に頭を下げた。

仕事が忙しく、すっかり遅くなってしまった。
今日最後の予約客が、遅れて来店したからだ。

私は夫の佳祐と二人で美容院を営んでいる。

いつもは夕方になると佳祐に任せて私は店を出るのだが、今日は最後のお客さんが私を指名するお得意さんだったので、仕方なく仕上げまで残った。

「これくらいの時間だったら、お気になさらないで結構ですよ。まだ残っている子も何人かいますから」

先生が優しい笑顔で言った。私のような親のせいで残業になっているのに、そんな表情は見せない。さすが接客のプロだ。

子供相手の仕事って、いちばん忍耐と気力が必要なんじゃないかな。

「ママ!ワンワンおった!」

祐太は早速今日あったことを私に報告し始めた。祐太の話したい欲が爆発し始めたのを見た私は、もう一度先生にお辞儀をしてから、保育園を去った。

私は祐太の手を引いて、祐太を車の後部座席に乗せる。チャイルドシートをちょっとむずかる祐太をあやしつけ、私は車を発進させた。

「きょうワンワンおった。一匹おった。ポメラリアンていうんだよ」

「そのワンワンは、ポメラリアンじゃなくてポメラニアンていうのよ」

「ポメラリアン!」

「ううん、ポ、メ、ラ、ニ、ア、ン」

祐太との何でもない会話。最近ようやく言葉をちゃんと話すようになった。子供はこの頃が一番かわいいってみんな言うのが分かる。

私は幸せの絶頂にいた。


憧れのカリスマ美容師の元にアシスタントとして雇われ、互いに恋におちて、結婚した。

そのうちに私の腕も世間で評価されるようになり、私たち夫婦は忙しい毎日を送っていた。

だけど職場は同じなのですれ違いはない。コミュニケーションだってバッチリとれる。夫婦で自営業。私の友達は私たちの暮らしぶりを羨んだ。

だが実際のところ、美容師という職業はなかなかハードな仕事である。

一日中立ちっぱなしだし、パーマ液での手の荒れようは想像を絶する辛さだ。

家事と両立、しかも子育て並行となると、夫の協力は欠かせない。

今日も洗濯と食器の後片付けは佳祐に頼もう。