悲しい出来事が繰り返す日々に、私は当たり前のように日常を過ごしていた。
 今も会社の窓際に立ち、何気なく社内を見つめている。
 以前なら手を置くこの場所に、花の咲かないペンタスがいたのに。そしてヒトデのペンも。
 
 あの日、母からの電話に慌てた私は、資材置き場にヒトデのペンを置き忘れてしまっていた。
 棚に置いたことをはっきり覚えているが、戻ってみるとどこに転がり落ちた訳でもなく、本当は存在していないと言わんばかりに消えていた。

 手に持つ料理のイラストの依頼と、コンテストのチラシを見比べ考える。
 ヒトデのペンが無い私に、料理のイラストを描く自信は持てなかった。

 それならば描きなれた、現代アートならまだ表現出来るのではと考えている。
 それにコンテストに入賞すれば、私の名前が広がり……茜の目にも。

 自分にそう聞かせると、料理のイラストを断ろうと先生の元に歩き出した。
 前向きでない決断に頭の中の茜は、安心を与えるかのように微笑み話しかけている。

「大丈夫ですよ京子さんなら、みんなが喜ぶ作品が出来ますよ」

 駄目だよ茜、あなたやヒトデのペンも、私の前から消えちゃったじゃない。

 イラストの依頼を断るため先生の側にゆっくり近づくと、斜め前の席では蘭がいつものようにデッサンの勉強をしているようだった。

 先生のアドバイスを参考に一人。真剣な顔をして練習をしている。
 本当はペンタスにデザイナーになりたいと、お願いしようとしていたんだっけ。

「京子さんが教えてあげればいいじゃないですか」

 茜。しずくさんから聞いたは、蘭のことまで気にかけてくれたのよね。
 貴方は自分で頑張ると言っていたのは、辛い治療を受け入れ元気になることだったの? そんな状況の中あなたは、人の幸せを願うなんて。

 人の幸せを願う……そう、茜。あなたは本当にペンタスのような存在だわ。
 見つめる私に気付いた蘭は、ためらいを見せながらノートに描かれたデザインを差し出した。

「また描いてみたのですが、どうですか? 変ですか? 出来れば……アドバイスをいただきたいのですが」

 そこには以前見た会社のロゴを、改めて描いたものだった。
 呆然と見つめると、蘭は焦るかのように早口で説明をしている。

「今度は植物に見えない形を組み合わせて、会社の外観をイメージしたのですが」

 橘の文字を中心に、それをまるく囲むように、ひし形だけを組み合わせた植物のツタを描いたデザインだった。
 私はそっと蘭の頭に手をそえ、心の中でつぶやいていた。