帰宅をしたその夜、私は机の前に座り、以前に描き留めていたアート作品の原案を眺めていた。
 過去の愛情ある作品達にふれ、今の気持ちを慰め誤魔化している。
 明日も仕事なのに、体を休める最善の行動も取れない自分に、嫌気がさしていた。

「ふっー」

 ため息を付き、作品を見つめながらも頭の中では正のことを考えていた。今日会って交わした内容は、さほど覚えていない。
 ドイツが医療の最先端ってことと、手紙をちゃんと読んでくれていたことぐらいだろうか。
 会うことも、電話さえもしなかったから、何回も手紙を読み返していたんだろう。

 そういえば、最後の文書を気にいってくれたようだけど、あんな嘘でも、彼にとって送り出す言葉は、都合がいいはず。
 
 しばらくうつ向いていたが、外からは私を呼ぶように、ヒュー。ヒューっと、勢いよく風が流れている音が聞こえた。

 風? そんなに強く吹いているのかしら?

 薄いカーテンを少し開け、結露する窓ガラスの隅から、外の景色を覗き込むように見てみる。
 ふちが木で出来ている窓ガラスは、振動し音をたてることもなく、力強い風の音がだけが聞こえている。

 私は不思議に思い窓を開けた。

 今まで物静かだったのが不思議なように、私の髪を舞上げるように、冷たい風が突き刺さる。
 唸りを上げ流れる風は、東京の空を駆け抜け、雲やスモッグを押し流していた。
 街の灯りのせいか、青黒く染まる空が明るくなると、小さな星達も薄れたかのように消えだしていた。

「奇妙な空、何かを急がさせているみたい」

 そんな言葉をこぼしながら、無意識に月を探していた。
 あれほど私を見張るかのように存在していた月も、今は遠くの方で空に溶け込み始めている。
 私のことなど気にしていない様子で、優しく灯り薄れ出していた。

 その姿からは、以前のような悪意を感じることは出来なかった。
 消えたかのような、大きな月の存在と、外国に旅立った茜を重ね考えていた。

 私が正を引き留めることによって、ケガや病気の医療を受けられない人がうまれてしまう。
 何が正解かと尋ねられたら、少しでも人々を救うことだと自分でも理解している。

 夜空には、小さく光る星が一つだけ。
 その星と目が会うと、最後の力を振り絞るように、気持ちを切り替えてみた。

 よーしここまできたら盛大に送り出す、明るい手紙でも書いてやるか。
 
 私は正に宛てた、最後の手紙を書き始めた。