「テオドール様、ローラの魔力が暴走したのなら、どうやって元の状態に戻せば……」

 ローラは異様な光を放ったまま気を失っている。
 もしも目覚めた時も魔力が暴走したままなら……。

 回帰前の恐ろしいエリーンの魔力暴走の記憶が蘇る。

 魔力の暴走は主に制御出来ない程の激しい怒りや絶望によって引き起こされる事が多い。
 アレクシスはこの原理を利用して、人間兵器となったエリーンの心を徹底的に傷つけた。
 魔力が暴走した状態で実験中の薬を使うと異能の力が増幅されるからだ。

 ローラはあの様な恐ろしい実験の薬を服用されていないのだから大丈夫な筈なのに、震えが止まらない。


 「マリアンヌ様、ローラは大丈夫ですよ。この身体から放たれている光はやがて本人の身体の中に吸収されます。今は最大限の魔力を使ったせいで気を失っているのです」

 ルイスの冷静な言葉に、マリアンヌは我に返る。

 「そう……そうよね……ローラ……。エリーンを守ってくれて……本当にありがとう。貴女がいなかったらエリーンはどうなっていたか……」

 マリアンヌは気を失っているローラの頭をそっと撫でる。
 すると真っ赤なルビーの様に輝く逆立った髪はマリアンヌが頭を撫でる度に徐々に元に戻っていった。

 やがてピクリ、とローラの指が動き、全身を覆い尽くしていた魔力の光がローラの身体の中へゆっくりと吸い込まれていくのが見える。

 「ローラ! ああっ……よかった……! わたくしが分かる?」

 マリアンヌの声に、ローラは重たくなった瞼を懸命に開けた。

 「んん……っ……わ、私……何故ここへ? はっ……エリーンお嬢様はっ!」

 慌てて飛び起きたローラの瞳に、すやすやと眠るエリーンを抱き締めているマリアンヌの姿が映った。

 「エリーンお嬢様……ご無事でしたか……よかったぁ……」

 ポロポロと涙を流すローラにルイスが優しく微笑む。

 「お手柄でしたね。流石はこの私の教え子です……」

 ところがローラはルイスの言葉にキョトンとした顔をしている。
 首を傾げ、ボロボロになった自分の服とエリーンを交互に見つめた。

 「ええっと……ルイス様が敵の兵士と戦っている間、隠し部屋にお嬢様と身を潜めていたところまでは憶えているのですが……その後の記憶が……」

 思い出そうとすると、ズキリと頭に鈍痛が走り何も思い出せなくなる。
 しかし、ローラにとっては些細な事だ。

 誰よりも大切なエリーンお嬢様が無事だったのだから。

 ――その時大きな地響きと共に屋敷が炎の中で完全に崩れ落ちた。
 跡形もなく燃え尽きた屋敷を見つめながらルイスがポツリと呟く。

 「まったく……暴走するにしても手加減しないのはこの性格からなのですかねぇ」

 ローラは全焼した屋敷を呆気に取られた表情で眺めていた。

 「あれっ? なぜお屋敷が燃えてるのですか? まさか曲者達の仕業で? はっ! 屋敷にいた使用人達は無事でしたか?」

 邸が燃えた原因が自分にあるとは夢にも思わないローラの発言にテオドールは思わず吹き出した。

 笑いを堪えながらローラの頭をポンと撫でる。

 「――使用人達は無事だよ。元々数える位しか雇っていなかったしね。屋敷は……そうだな。恐らく倉庫に保管していた火薬が何かの拍子に引火したみたいだ。だからその……誰のせいでもないさ」

 テオドールの言葉にマリアンヌも力を込めて頷く。

 「そうよ! 兎に角その……私達が全員無事だった事が一番大事なのだから!」

 そんなマリアンヌにローラは唇を尖らせた。

 (マリアンヌ様もテオドール殿下も本当にお人好しだわ。絶対にあの野蛮な兵士共の仕業なのに……。でもそうね! エリーンお嬢様もルイス様も怪我をされなかった。確かにそれが一番大事だわ)

 ローラはマリアンヌとエリーンの姿をしみじみと見つめていると、ある異変に気付く。

 「あら……? マリアンヌ様……靴が……」

 テオドールは、マリアンヌが裸足で靴を履いていなかった事に驚き息を飲んだ。

 「マリアンヌ! 貴女の足……っ……」

 裸足のまま夢中でエリーンを探していたマリアンヌは自分の足から血が流れている事に全く気付かなかったのだ。
 足の痛みよりも、エリーンの事で頭が一杯だった。

 「あら……これ位、平気ですよ?」

 テオドールはマリアンヌの傷だらけの足を見ると唇を噛み締めた。

 「――っ……すまない……気付いてやれず……」

 ――マリアンヌを噴水まで抱き抱えたテオドールはマリアンヌの傷ついた足を綺麗に洗った。

 「――っ……テオドール様……も……もう……大丈夫です……自分で……」


 男性に足を洗って貰った経験のないマリアンヌは赤面して下を向いたまま顔を上げる事が出来ない。

 テオドールは懐から『ドラゴンの涙』を取り出すと魔力を込めた。
 「マリアンヌが貸してくれたこの魔晶石は治癒の力が宿っているのだ。すぐに痛みが消える筈だ」

 ポウ……と、魔晶石から温かい光が溢れ、マリアンヌの足の傷はみるみる消えていく。
 「凄いわ……。この魔晶石にこんな力があるなんて」

 驚くマリアンヌにテオドールはフッ、と微笑む。
 「この魔晶石は私の魔力と共鳴しているのだ。私の魔力が暴走している時は、暴走した魔力を吸収し、平時に私がこの魔晶石に魔力を込めれば治癒の石になる」

 「はぁ……。殿下、婚約者の怪我を早く治したいからって魔晶石をこんな簡単に使うなんて」

 ルイスは呆れてテオドールに近付くと、そっと耳打ちをする。
 「それで……? この事件の首謀者のクズ男……どうしますか?」

 「私はマリアンヌの婚約者だ。未来の妻を傷つける者がいれば決して許さない。ルイス、急ぎ王城に書信を送る様に。嫌われ者の側室の息子だとしても私は王族だ。ピレーネ公国の大公アレクシスは王族の命を狙った謀反の疑いがある、と知らせろ」

 テオドールの氷の様な凍てついた瞳にルイスは頷いた。

 「それで……これからどうします? エリーンお嬢様のお世話をまさか宿屋で?」

 小さな赤子は夜泣きをする。
 大勢の泊り客がいる宿屋に泊まればマリアンヌは肩身の狭い思いをするに違いない。

 ローラ考案の育児魔道具も燃えてしまって今は無い。
 産着もタオルも何もかも燃えてしまった。

 「背に腹は代えられない。ルイス、トリノ離宮へ向かうぞ。先触れを」


 トリノ離宮はテオドールが幼い頃に過ごした離宮で、母タシアが生前父である皇帝に囲われていた場所だ。

 戦利品として遠い祖国から無理矢理敵国に連行されて皇帝の側室にされた母が死ぬまで出られなかった美しい檻。

 テオドールは、幼い頃から母親が居なくなったこの離宮で独りぼっちで過ごした。
 異母兄弟とも折り合いは悪く、遊んだ記憶も無い。

 皇后はテオドールの事を徹底的に無視していた。
 憎い側室の子は邪魔でしかなかったから。

 苦い思い出だけのトリノ離宮。
 その息苦しさに我慢出来ずに、テオドールは15歳になると騎士団に入隊した。

 あの空虚な色の無い景色だったトリノ離宮が、マリアンヌ達が泊まるだけで薔薇色の美しい景色に変わる事だろう。

 「マリアンヌ、私が幼少時代を過ごした離宮へ行こう。定期的に手入れもされているから大丈夫だ。使用人達に必要な物を用意させる」

マリアンヌは、驚いてテオドールを見つめる。

 トリノ離宮については聞いた事がある。
 他国の美しい王女が住んでいた離宮には庭園や小さな泉もあるらしい。

 当時、どれ程皇帝がテオドールの母タシア王女に熱を上げていたか、その広大な離宮が物語っている、とも。

 「テオドール様、わたくし達の様な者が素晴らしい離宮にお邪魔してしまって大丈夫でしょうか」

 離宮の使用人達は髪色がテオドールと同じ黒髪だった事に驚く事だろう。
 そしてこの事が皇帝の耳に入れば……。

 「――マリアンヌが今何を考えているのか分かるよ。皇帝はこの私に全く興味はない。しかし、政治の道具にはしようとしている。私達の婚約に反対するだろう。それでも子までいるという事が分かれば流石に手出しはしないよ」


 ――皇帝を騙す……。

 それがどれ程の罪なのか、理解はしている。
 それでも……。

 あの恐ろしいアレクシスの毒牙から我が子を守る手立てはこれしかないのだ。

 マリアンヌは覚悟を決めた。

 「――テオドール様……行きましょう! トリノ離宮へ!」