――マリアンヌの脳裏に回帰前の悪夢の光景が蘇る。
燃え盛る邸宅の炎の中で見た、愛する娘エリーンの空虚な瞳。
死を選ぶ事のみが苦しみから解放される唯一の手段だと思い知ったエリーンの絶望。
母親なのに……助ける事も、その方法さえも分からなかった馬鹿なマリアンヌ。
今度こそエリーンを失わないチャンスを神から与えられた筈なのに!
私はまた……間違えてしまったの……?」
この世にもしも神が存在するのなら!
お願いします
お願いします
お願いします
このちっぽけな私の魂なんか要らない!
どうか
どうか
どうか
お願い!
もう……二度と私に見せないで!
愛する我が子が死ぬ姿を見せないで!
この世で最も残酷な光景は……。
母親の目の前で、生まれて来た事を嘆き悲しむ我が子を見る事!
そして我が子の命の灯が消える瞬間を……ただ見ている事しか出来ない事!
「エリーン……。もしも……貴女が私の目の前からまた消えてしまうのなら……。私はこの先の人生なんか……要らない……」
二度目の大きな爆発音が聞こえ、巨大な火柱が邸宅を飲み込む。
「エリーン……貴女をもう……独りになんか……しないわ……」
前世の私は覚悟の無い最低な母親だった。
死と隣合わせのエリーンの実験を止める事も、娘を連れて逃げる事も出来なかった愚かな母親!
アレクシスとの言い争いを避け、彼を説得する事を諦めて、いつしか平凡な日常を無意識に選んでいた。
何も無い平凡な一日を過ごす事とエリーンの命だったらどちらが重いのか分かり切っていた筈なのに!
こんな簡単な答えさえも見つける事が出来なかった。
だから神は、こんな私に罰をお与えになっているのか……。
「エリーン……。生きてさえいれば、私はどんな貴女であってもいい。生きてさえいれば……」
***
激しく燃える邸宅を呆然と見つめながら呟いたマリアンヌの瞳に何かが映った。
「あ……あれは……まさか……!」
囂々と燃える炎の中からゆっくりとこちらに向かって歩く人影。
やがてその人影がはっきりと視界に映ると、マリアンヌは驚きで言葉を失った。
まるでルビーの様に輝く鮮やかな赤い髪が全て逆立ち、真っ赤な光を宿した瞳の人物が何かを抱えている。
身体中から赤い光が放たれ、炎はこの光を飲み込む事が出来ないでいる。
「ロ……ローラ?」
ドクン……ドクン……と胸が激しく音を立て、ローラが抱き抱えている真っ白なおくるみを見つめた。
ふんわりとした黒髪、柔らかなバラ色の頬……。
可愛らしい丸い瞳がマリアンヌを見つめ、小さな唇をモグモグと動かしている。
「エリーン……! エリーン……! ああっ……」
高いヒールのある靴のせいで転びそうになったマリアンヌは靴を脱ぎ捨て、裸足になってローラとエリーンの元へ夢中で走り出した。
小石や枯れ枝が柔らかな足の裏を傷つけ血が流れても、マリアンヌはそのまま構わずに走り続ける。
「マリアンヌ!」
兵士達を倒したテオドールが、マリアンヌに追いつき、上着を脱ぐとマリアンヌの頭に被せ炎から守る。
エリーンを抱き締めているローラはマリアンヌとテオドールの姿を目にすると、そのままガクリ、と膝から崩れ落ちた。
「ローラ! しっかりして!」
「マリアンヌ! エリーンを……」
テオドールは、気を失ったままそれでもしっかりと抱き締めているローラの腕からエリーンを抱き上げるとマリアンヌにそっと手渡す。
「エリーン……あぁ……よかった……」
震える手で我が子を確かめ抱き締めたマリアンヌの瞳から大粒の涙が零れ落ちた。
「神よ……ありがとうございます……」
テオドールはバキバキと音を立てながら邸宅が焼け落ちる音を聞くと気を失ったローラを抱き上げた。
「行こう! ここは危険だ。安全な場所へ!」
エリーンを抱き締めたまま、マリアンヌはコクリと頷くとテオドールに守られながら火の粉が飛んで来ない庭園に避難した。
***
「殿下! ご無事でしたか? こちらは片付きましたよ」
庭園の噴水近くまで避難したテオドール達に、全身血まみれのルイスが声を掛ける。
「まあっ! 血……血がっ! 大丈夫ですか?」
真っ青になったマリアンヌがルイスに近付くと、血まみれのルイスは眼鏡を掛け直した。
べっとりと手に血が付着していたので、ルイスの眼鏡も血で汚れてしまっている。
「あ……マリアンヌ様、申し訳ございません。不快な姿で……。しかし、これらの血は虫けら共の血なのでお気遣い無く。汚らわしい血を見せてしまいましたね。すぐにこの噴水の水で洗い流します」
スタスタと噴水に近付いたルイスはそのままザブリ、と噴水の中に入り、血を洗い流した。
「ルイス、兵士達の中に生存者は?」
テオドールの質問に、噴水の中のルイスは眼鏡を綺麗に洗い終わると首を横に振った。
「――そうですね。確かに1人くらいは残しておくべきでした」
「冷静沈着なお前にしては、珍しいな。いつものお前なら、証人として何人か殺さずにいるだろう」
「――小さな子ウサギを狙う血に飢えた狼の群れは、根絶やしにしないと……。首謀者もこれで手を出したらいけない人間の逆鱗に触れた、と思い知る事でしょう」
噴水から出て、水を含んで重くなったシャツを脱いだルイスに、マリアンヌは慌てて目を逸らした。
護衛騎士だが、普段はテオドールの補佐としての仕事が多いルイスは細身に見えるのに、服を脱ぐと引き締まった見事な体躯をしている。
裸の上半身は、ポタポタと水滴が流れ、男の色気が漂う。
マリアンヌは、目の前で突然シャツを脱いだルイスの姿に赤面していた。
その様子を見たテオドールが自分のシャツを脱ぐと、無表情でルイスに渡す。
「殿下……。貴方のシャツを私に着せるおつもりですか?」
呆れた様に溜息をついたルイスは、手渡されたテオドールのシャツを持ち主に返すと無詠唱で魔法陣を描いた。
やがて突風が吹き渡り、ルイスを包み込む。
魔法で起こした風はすぐにルイスの服を乾かした。
「殿下も早く着て下さい。マリアンヌ様がお困りですよ?」
耳まで赤くなっているマリアンヌに、テオドールは思わず口元が綻ぶ。
「マリアンヌは今日、あのクズ夫と正式に離縁したのだから、婚約者の裸を見ても問題ないだろ? それよりも……。この爆発と火事は何が原因なのだ」
炎に包まれた邸宅を見つめ、ルイスは静かに口を開いた。
「恐らく……ローラの異能の魔力が暴走した為ではないかと思われます」
マリアンヌの心臓がドクン、と激しく音を立てる。
一同は草むらに横たわっている気を失ったローラを見つめた。
炎の中から現れたローラは輝くルビーの様な髪色が逆立っていて、身体中から光を放っていた。
「まさか……そんな……どうして!」
マリアンヌは回帰前に見た、異能の魔力が暴走したエリーンの姿を思い出していた。
ルビーの様な美しい赤い髪に変化したエリーンは、見つめただけで炎を爆発させ、人の体の中に流れる血液を沸騰させた。
この能力を徹底的に利用された娘は人間兵器として戦場に連れて行かれ、多くの人間を殺したのだ。
まさか、ローラもあの時のエリーンの様になってしまうのか……。
マリアンヌの瞳から涙が溢れた。
燃え盛る邸宅の炎の中で見た、愛する娘エリーンの空虚な瞳。
死を選ぶ事のみが苦しみから解放される唯一の手段だと思い知ったエリーンの絶望。
母親なのに……助ける事も、その方法さえも分からなかった馬鹿なマリアンヌ。
今度こそエリーンを失わないチャンスを神から与えられた筈なのに!
私はまた……間違えてしまったの……?」
この世にもしも神が存在するのなら!
お願いします
お願いします
お願いします
このちっぽけな私の魂なんか要らない!
どうか
どうか
どうか
お願い!
もう……二度と私に見せないで!
愛する我が子が死ぬ姿を見せないで!
この世で最も残酷な光景は……。
母親の目の前で、生まれて来た事を嘆き悲しむ我が子を見る事!
そして我が子の命の灯が消える瞬間を……ただ見ている事しか出来ない事!
「エリーン……。もしも……貴女が私の目の前からまた消えてしまうのなら……。私はこの先の人生なんか……要らない……」
二度目の大きな爆発音が聞こえ、巨大な火柱が邸宅を飲み込む。
「エリーン……貴女をもう……独りになんか……しないわ……」
前世の私は覚悟の無い最低な母親だった。
死と隣合わせのエリーンの実験を止める事も、娘を連れて逃げる事も出来なかった愚かな母親!
アレクシスとの言い争いを避け、彼を説得する事を諦めて、いつしか平凡な日常を無意識に選んでいた。
何も無い平凡な一日を過ごす事とエリーンの命だったらどちらが重いのか分かり切っていた筈なのに!
こんな簡単な答えさえも見つける事が出来なかった。
だから神は、こんな私に罰をお与えになっているのか……。
「エリーン……。生きてさえいれば、私はどんな貴女であってもいい。生きてさえいれば……」
***
激しく燃える邸宅を呆然と見つめながら呟いたマリアンヌの瞳に何かが映った。
「あ……あれは……まさか……!」
囂々と燃える炎の中からゆっくりとこちらに向かって歩く人影。
やがてその人影がはっきりと視界に映ると、マリアンヌは驚きで言葉を失った。
まるでルビーの様に輝く鮮やかな赤い髪が全て逆立ち、真っ赤な光を宿した瞳の人物が何かを抱えている。
身体中から赤い光が放たれ、炎はこの光を飲み込む事が出来ないでいる。
「ロ……ローラ?」
ドクン……ドクン……と胸が激しく音を立て、ローラが抱き抱えている真っ白なおくるみを見つめた。
ふんわりとした黒髪、柔らかなバラ色の頬……。
可愛らしい丸い瞳がマリアンヌを見つめ、小さな唇をモグモグと動かしている。
「エリーン……! エリーン……! ああっ……」
高いヒールのある靴のせいで転びそうになったマリアンヌは靴を脱ぎ捨て、裸足になってローラとエリーンの元へ夢中で走り出した。
小石や枯れ枝が柔らかな足の裏を傷つけ血が流れても、マリアンヌはそのまま構わずに走り続ける。
「マリアンヌ!」
兵士達を倒したテオドールが、マリアンヌに追いつき、上着を脱ぐとマリアンヌの頭に被せ炎から守る。
エリーンを抱き締めているローラはマリアンヌとテオドールの姿を目にすると、そのままガクリ、と膝から崩れ落ちた。
「ローラ! しっかりして!」
「マリアンヌ! エリーンを……」
テオドールは、気を失ったままそれでもしっかりと抱き締めているローラの腕からエリーンを抱き上げるとマリアンヌにそっと手渡す。
「エリーン……あぁ……よかった……」
震える手で我が子を確かめ抱き締めたマリアンヌの瞳から大粒の涙が零れ落ちた。
「神よ……ありがとうございます……」
テオドールはバキバキと音を立てながら邸宅が焼け落ちる音を聞くと気を失ったローラを抱き上げた。
「行こう! ここは危険だ。安全な場所へ!」
エリーンを抱き締めたまま、マリアンヌはコクリと頷くとテオドールに守られながら火の粉が飛んで来ない庭園に避難した。
***
「殿下! ご無事でしたか? こちらは片付きましたよ」
庭園の噴水近くまで避難したテオドール達に、全身血まみれのルイスが声を掛ける。
「まあっ! 血……血がっ! 大丈夫ですか?」
真っ青になったマリアンヌがルイスに近付くと、血まみれのルイスは眼鏡を掛け直した。
べっとりと手に血が付着していたので、ルイスの眼鏡も血で汚れてしまっている。
「あ……マリアンヌ様、申し訳ございません。不快な姿で……。しかし、これらの血は虫けら共の血なのでお気遣い無く。汚らわしい血を見せてしまいましたね。すぐにこの噴水の水で洗い流します」
スタスタと噴水に近付いたルイスはそのままザブリ、と噴水の中に入り、血を洗い流した。
「ルイス、兵士達の中に生存者は?」
テオドールの質問に、噴水の中のルイスは眼鏡を綺麗に洗い終わると首を横に振った。
「――そうですね。確かに1人くらいは残しておくべきでした」
「冷静沈着なお前にしては、珍しいな。いつものお前なら、証人として何人か殺さずにいるだろう」
「――小さな子ウサギを狙う血に飢えた狼の群れは、根絶やしにしないと……。首謀者もこれで手を出したらいけない人間の逆鱗に触れた、と思い知る事でしょう」
噴水から出て、水を含んで重くなったシャツを脱いだルイスに、マリアンヌは慌てて目を逸らした。
護衛騎士だが、普段はテオドールの補佐としての仕事が多いルイスは細身に見えるのに、服を脱ぐと引き締まった見事な体躯をしている。
裸の上半身は、ポタポタと水滴が流れ、男の色気が漂う。
マリアンヌは、目の前で突然シャツを脱いだルイスの姿に赤面していた。
その様子を見たテオドールが自分のシャツを脱ぐと、無表情でルイスに渡す。
「殿下……。貴方のシャツを私に着せるおつもりですか?」
呆れた様に溜息をついたルイスは、手渡されたテオドールのシャツを持ち主に返すと無詠唱で魔法陣を描いた。
やがて突風が吹き渡り、ルイスを包み込む。
魔法で起こした風はすぐにルイスの服を乾かした。
「殿下も早く着て下さい。マリアンヌ様がお困りですよ?」
耳まで赤くなっているマリアンヌに、テオドールは思わず口元が綻ぶ。
「マリアンヌは今日、あのクズ夫と正式に離縁したのだから、婚約者の裸を見ても問題ないだろ? それよりも……。この爆発と火事は何が原因なのだ」
炎に包まれた邸宅を見つめ、ルイスは静かに口を開いた。
「恐らく……ローラの異能の魔力が暴走した為ではないかと思われます」
マリアンヌの心臓がドクン、と激しく音を立てる。
一同は草むらに横たわっている気を失ったローラを見つめた。
炎の中から現れたローラは輝くルビーの様な髪色が逆立っていて、身体中から光を放っていた。
「まさか……そんな……どうして!」
マリアンヌは回帰前に見た、異能の魔力が暴走したエリーンの姿を思い出していた。
ルビーの様な美しい赤い髪に変化したエリーンは、見つめただけで炎を爆発させ、人の体の中に流れる血液を沸騰させた。
この能力を徹底的に利用された娘は人間兵器として戦場に連れて行かれ、多くの人間を殺したのだ。
まさか、ローラもあの時のエリーンの様になってしまうのか……。
マリアンヌの瞳から涙が溢れた。
