…私は、神様を見たことがある。
そう言うと、誰もが私を笑う。
私は、神様に助けてもらったことがある。
そう言うと、もっともっと笑われる。
あるいは、この子は頭がおかしいんじゃないか、と怪訝そうな目で見られる。そのどちらかだ。
私の両親でさえ、神様の存在は信じない。
…いや、違う。
私の両親だけでなく、現代社会に生きる全ての人々にとって、神なんてまやかしの存在でしかない。
それは決して、神様の存在を信じていないのではない。
私達は誰もが、神が実在していることを知っている。
存在しないものを蔑んでいるのではなく。
神が実在することを知っていて、その無能さを軽蔑しているのだ。
神という存在は、旧世代の人類の象徴である。
昔の人は、神様を畏れ、敬い、崇拝していたそうだ。
昔はまだ、今ほど魔導科学が発展していなかったから。
人間の手でどうすることも出来ない現象は、全部神の御業であると信じ、畏れていたのだ。
だけど、今は違う。
自然現象も、人間の生と死も、人の手でほとんどコントロール出来るようになって。
人類は、神を必要としなくなった。
それは、成長と共にベビーベットや哺乳瓶が要らなくなるのと同じように。
心身共に成長した人間は、最早神様を必要としなくなった。
神様なんてもう要らない。これからは、全て人の手によって生きていく。
神に出来ることは、全て、人にも出来る。
それどころか、神に出来ないことでさえ、進化した人間には出来るようになった。
人々は、神の無能を嘲笑った。
ただ神というだけで崇め奉られ、実際は大したことはしていない。
所詮は旧世代の存在でしかない神に、何が出来るというのか。
進化した人類の方が、遥かに万能で、遥かに有能だ。
神様なんて、この世から消えてしまってもいっこうに構わない。
古い迷信のような存在。それが神様。
そう思って、誰もが神を蔑み、見下しているのだ。
だけど、私は知っている。
神様には、人間が出来ないことが出来る。
私は神様に助けてもらったことがあるのだ。
…あれは、私がまだ2歳かそこらの頃。
その時私は、病気にかかって、危うく死にかけたのである。
そう言うと、誰もが私を笑う。
私は、神様に助けてもらったことがある。
そう言うと、もっともっと笑われる。
あるいは、この子は頭がおかしいんじゃないか、と怪訝そうな目で見られる。そのどちらかだ。
私の両親でさえ、神様の存在は信じない。
…いや、違う。
私の両親だけでなく、現代社会に生きる全ての人々にとって、神なんてまやかしの存在でしかない。
それは決して、神様の存在を信じていないのではない。
私達は誰もが、神が実在していることを知っている。
存在しないものを蔑んでいるのではなく。
神が実在することを知っていて、その無能さを軽蔑しているのだ。
神という存在は、旧世代の人類の象徴である。
昔の人は、神様を畏れ、敬い、崇拝していたそうだ。
昔はまだ、今ほど魔導科学が発展していなかったから。
人間の手でどうすることも出来ない現象は、全部神の御業であると信じ、畏れていたのだ。
だけど、今は違う。
自然現象も、人間の生と死も、人の手でほとんどコントロール出来るようになって。
人類は、神を必要としなくなった。
それは、成長と共にベビーベットや哺乳瓶が要らなくなるのと同じように。
心身共に成長した人間は、最早神様を必要としなくなった。
神様なんてもう要らない。これからは、全て人の手によって生きていく。
神に出来ることは、全て、人にも出来る。
それどころか、神に出来ないことでさえ、進化した人間には出来るようになった。
人々は、神の無能を嘲笑った。
ただ神というだけで崇め奉られ、実際は大したことはしていない。
所詮は旧世代の存在でしかない神に、何が出来るというのか。
進化した人類の方が、遥かに万能で、遥かに有能だ。
神様なんて、この世から消えてしまってもいっこうに構わない。
古い迷信のような存在。それが神様。
そう思って、誰もが神を蔑み、見下しているのだ。
だけど、私は知っている。
神様には、人間が出来ないことが出来る。
私は神様に助けてもらったことがあるのだ。
…あれは、私がまだ2歳かそこらの頃。
その時私は、病気にかかって、危うく死にかけたのである。


