長嶋家の一人息子である俺は、いつかNAGASIMAを継ぐ人間だと言われて育ったが、そのことに対して不満を感じたことはない。
父が必死に働き会社を守ってきた姿を見ていたから自然と受け入れられたし、大人になったら今度は俺がNAGASIMAを支えていくのだと素直に思っていた。
そして都内の大学を卒業した俺は、予定通りNAGASIMAに入社した。
最初から3年本社で勤めた後数年間国内支社を回り、その後海外での勤務を経験して取締役として日本に帰る計画だった。
もちろんそれに見合うだけの成果も求められ、ノルマだって厳しかった。
俺自身誰にも負けないように、誰からも何も言われないように必死に頑張った。
勤務3年が終わった春に課長として転勤した大阪でも、売り上げや契約件数でトップを守り抜き誰からも文句を言わせなかった。
ただ、計画ではあと1年大阪に勤務してアメリカ支社行く予定だったのだが、俺はどうしても東京に返してほしいとわがままを言った。
最初こそ気に入らない顔をしていた父も大阪支社での成果を見せつけられ、最終的には反対することができなくなった。
ただし、アメリカ支社への転勤が伸びたわけではない。
あと1年大阪にいられる時間を東京に帰らせてもらっただけ。それでも、俺には充分だった。
何しろ俺は、こいつを吉野美優を迎えに来たのだから。
父が必死に働き会社を守ってきた姿を見ていたから自然と受け入れられたし、大人になったら今度は俺がNAGASIMAを支えていくのだと素直に思っていた。
そして都内の大学を卒業した俺は、予定通りNAGASIMAに入社した。
最初から3年本社で勤めた後数年間国内支社を回り、その後海外での勤務を経験して取締役として日本に帰る計画だった。
もちろんそれに見合うだけの成果も求められ、ノルマだって厳しかった。
俺自身誰にも負けないように、誰からも何も言われないように必死に頑張った。
勤務3年が終わった春に課長として転勤した大阪でも、売り上げや契約件数でトップを守り抜き誰からも文句を言わせなかった。
ただ、計画ではあと1年大阪に勤務してアメリカ支社行く予定だったのだが、俺はどうしても東京に返してほしいとわがままを言った。
最初こそ気に入らない顔をしていた父も大阪支社での成果を見せつけられ、最終的には反対することができなくなった。
ただし、アメリカ支社への転勤が伸びたわけではない。
あと1年大阪にいられる時間を東京に帰らせてもらっただけ。それでも、俺には充分だった。
何しろ俺は、こいつを吉野美優を迎えに来たのだから。



