あの子は魔女

 佐藤茜は、昔から友達が少ない。
 いや、ほぼゼロ、と言っても言い。
 小学校から高校一年生の現在に至るまで、体育で二人組になる友達も、休み時間におしゃべりする友達も、放課後に遊ぶ友達もいなかった。
 こう見ると、佐藤茜はよほどやばいやつなのか?と思われるかもしれないが、全くそんなことはない。国語がちょっと得意で、数学が苦手で、根暗でもなく根明でもなく、顔立ちはといえば、皆が振り返る美少女では決して無いが、「あれ、よく見たらこいつ、結構かわいいな…」と隣の席の男子をちょっとときめかせるくらいにはかわいらしい。やや短すぎる気がしないでもないショートも、爽やかだ。幼い頃、両親を事故で亡くし、祖母と二人協力しあいながら慎ましく暮らしてきて、そんな祖母も去年亡くなった苦労多い少女である。
 そんな特筆して嫌われる要素が見当たらない彼女が、友達がいないのはある人物が原因であった。
 
 「あんたに聞きたいことあんだけど」
 苛々した声の主を、茜はちらと見た。
 つやつやとした栗色の髪の少女だ。割とかわいい顔立ちなのに、般若のような表情のせいで台無しになっている。
 初めて見る顔だ、と茜は思った。〝彼女〟の取り巻きではない。多分。
 次に、やはり同じような表情をして茜を取り囲んでいる面々を見る。
 その中で一人、悲しげにうつむく少女に目が止まり、よく観察してみるが、やはり見覚えは無かった。
 「なに?」
 小さな胸を反らし、負けじと強気に、茜は訊き返した。
 「何じゃねーよ」
 「先輩には敬語使えよ!」
 「なんですかー?せんぱーい」
 まるで威嚇するような相手の怒鳴り声に、煽るような間延びした言い方でもう一度訊き返せば、目の前の全員が眉をひそめた。彼女達の空気の苛々が増したが、茜とて苛々していた。
 やっと授業が終わり、今日はバイトも休みだし、アイスでも買って帰ってゆっくりしようと思っていたのだ。雑多な店が建ち並ぶ街中で、五人の女子達に路地裏に引きずり込まれるまでは。
 気性が荒い方ではないが、こんな絡まれ方をしてただ震え上がるほど大人しい性格でもない茜は、きっぱりと「私はお前達に対してむかついています」という態度を取ることにした。
 「なんなのこいつ」
 「ほんとに腹立つ…!」
 「わきまえろよ、このブス!」
 キーキーと、なんだか猿のような声で喚く彼女達を「はよ用件言えや」と冷ややかに見ていると、一人がようやっと用件らしきことを口にした。
 「返せよ、真由のリップ」
 「はあ?」
 茜の返事に、尖った声音で言ってきた女子は、ますます機嫌を悪くしたようだった。
 だが、今、茜には相手を煽る意図は無かった。言っていることがわからなかったから、思わず「はあ?」なんて言ってしまっただけだ。
 その時だった、ずっと泣きそうな顔で後ろにいた女子が、口を開いた。
 「お願い、彼氏が誕生日にくれたリップなの…返して」
 正直、この人はなんだろう、ずっと黙ってるけど…と茜は気になっていたのだが、今の流れで、ちょっとこの状況を掴みかける。多分、この女子が、真由、であろう。
 そして、先程の二つの発言から、茜は結論にたどり着く。
 もしや、今、自分は濡れ衣を着せられているのでは。
 「……あたしが、この人のリップ、盗んだっていうような話してる?今」
 「…………」
 茜の問いには答えず、悲しげにしている真由以外は、何も言わず茜を睨みつけている。
 はあー、と茜はため息をついて、すっ、と歩き出す。
 「ちょっと、どこ行こうとしてんのよ!」
 「帰るんだよ、ばかばかしい」
 「はあ!?だからリップ返せよ!!」
 「心当たりない。」
 「嘘つくなよてめえ!」
 通り過ぎようとした時、腕を掴まれ、茜はそれを思い切り振り払う。ぱしん、と小気味良い音がした。
 「そこの真由さんも知らないし、そのリップとやらも知らない。っていうか、なんであたしが盗んだと思われてんの?そもそもさぁ、どっかに落とした可能性とかのが高くない?」
 言いつつも、茜は薄々、なぜ彼女達が自分を犯人と決めつけているのか、予想がついていた。
 「だから嘘つくなっつーの!!ちゃんと光に聞いたんだよこっちは!!」
 「うちらが移動の時、あんたが何でか二年のうちの教室入ってったって。なんの用事で入った訳?」
 そもそも入ってない。出かけた言葉を、茜は飲み込み、逆に小さく息を吐いた。
 あの女が関わっているのならば、何を言っても無駄だ。
 (どうせ、あいつだろ、と思ってたけど)
 実際にその名前が出ればうんざりする。
 ああ、疲れるな、とこめかみを人差し指でくるくる撫で、茜はなおも何か喚いている女子達の間を抜けようとした。正直、付き合ってられない、と思ったからだ。
 「どこ行くんだよ!!話まだ終わってないっつーの!!」
 だが、当然の如く、その腕を掴まれ、逃亡を阻止されてしまう。
 「うるっせえな!!そもそも話聞く気ねえじゃん!!濡れ衣だっつーの!!」
 思わず、同じ位声を張り上げ、言い返したときだ。
 茜は、目の前の女子を凝視して、瞳をぱちぱちとまばたかせた。
 茜の腕を掴む女子の肩から、紫色のもやのようなものが立ち昇っていたのだ。
 なにこれ。
 目を丸くして見つめて気付いたが、それは肩からだけでなく、全身から発せられていた。
 見ると、彼女だけではなかった。その場にいる他の者からも、その紫色の何かがゆらゆらと立ち昇っている。
 なにこれ。
 先程と同じことを思っていると、彼女達ではない声が響いた。
 「こっちです!こっちで、女の子達が揉めてて…!」
 焦ったようなその声に、茜を捕まえていた手を離し、彼女は舌打ちして、声がした方とは別の方の道に向かって駆け出した。他の女子もそれに続いて逃走をはじめる。
 「てめぇ、明日っから覚悟しとけよ!」
 捨て台詞を残し、ばたばたと走り去る上級生達を見送り、茜はとりあえず、その場でじっとしておく。人気の無いところでぎゃーぎゃーと騒いでいたのだから、おそらく、喧嘩か何かと思われて通報されたのだろう。通報されたとて、こちら側に非は無いので、堂々とあったことを話せば良いと思ったのだ。
 だが、数分待っても、誰も姿を見せなかった。
 「……あれ?」
 首を傾げ、茜はそっと、先程声がしたであろう方角の、路地裏の入り口から顔を出した。
 狭い小道に、定休日の札がかかったコーヒー屋と、なんの店なのか、怪しいピンクと紫のネオンが光る店が視界に入る。
 そこには誰もいなかった。
   





  

 そこかしこで交わされる、生徒たちの「おはよう」の声を聞きながら、茜は、誰と挨拶を交わすでもなく、教室に足を踏み入れた。
 瞬間、教室がしん、となる。
 だが、それも数秒で、クラスメイトたちはすぐに、それぞれの雑談や、終わってない課題に向き直った。
 それでも、何人かは、茜の方をちらちらと見やり、小声で何事かを話し合っている。
 いつものことだ。
 すでに慣れきっている茜は通学鞄にしている黒いリュックを降ろし、席に座ると、中身を机の中に移す。
 ふいに、隣の席の女子と目が合ったが、彼女はすぐに視線をそらした。まるで見てはいけないものでも見たかのように。
 (そんなあからさまに避けんでも)
 取って食うわけでもあるまいしと、思いつつ、まぁ仕方ない、と茜は苦笑する。
 佐藤茜には、噂があった。
 たとえば、すぐに男子に色目を使って、他人の彼氏を何回も奪ってきただとか。
 昔から、他人の、かわいいペンやらノートやらを盗んでいただとか。
 気に入らない女子を集団でいじめてきただとかそう言ったものだ。
 これらの噂は、全てデタラメだ。
 略奪愛も、窃盗癖も、いじめも、全て、茜が知らないうちに、いつの間にか吹聴されていた。
 まだ、高一の夏休み前であると言うのに、クラスメイトどころか、一年の大半が、この噂を知っていた。そのせいで、今だに友達がいない。
 一体いつの間に広めたんだろーと、茜は頬杖をついて考える。
 (おんなじ一年だってのに根回しが上手いこと)
 茜は、ある人物を思い浮かべていた。
 この噂をばらまいている元凶の人物だ。
 茜は、そいつを知っていた。
 それこそ、小学校のころから。
 「光!おはよう!」
 聞こえてきた声に、茜はつい、反応した。
 おはよー!ねえ光、昨日のあれさぁ、あ、おはよう、あれ?光、今日鞄違うの?
 がやがやと、少し騒がしい廊下。その中心にいる人物が、次々と寄ってくる生徒たちににっこり微笑んだ。
 「おはよう。ねえ、今日、フルーツサンド持ってきたから、お昼みんなで食べない?」
 挨拶を返し、ついでにそう言った彼女に、周りにいたクラスメイトと思われる女子たちは、きゃー!と声を上げた。
 「やった!光のフルーツサンド、大好き!」
 「前もらったクッキーもめちゃくちゃおいしかったもんね」
 「光、料理うまいよね〜」
 「え〜そんなことないよ、照れちゃうな…」
 はしゃぐ女子たちの真ん中で、〝光〟と呼ばれた少女が、はにかんだ笑みを浮かべた。その様子に、周りの女子たちが、はぁ〜と、ややわざとらしいため息をつく。
 「ちょっともー、見ましたか、今のはにかみ」
 「美少女って立ち振舞が美少女なんだよな〜」
 「はぁ〜うらやまし」
 「え〜もう、照れちゃうからほんとに!はずかしいよ…」
 今度はぱたぱたと手を振って、自分の顔が赤いのを隠すような仕草をした光に、「かわいいー!」と声が上がる。
 「……」
 茜の席は廊下側の窓の位置なので、彼女たちがよく見えた。
 一連のやり取りを見て、茜は心の中で「けっ」と吐き捨てた。 
 相変わらず、ああいった振る舞いが上手なもんだ。おまけに美少女なのが手に負えない、と口には出さず毒づいた。
 清田光。隣のクラスの中で、というか、一年の中では目立つ部類の女子だ。
 目立つ理由としてはまず、美少女であるというのが第一の理由だろう。それも、とっつきにくい美形というよりは、親しみやすいアイドルといった可愛さだ。さらさらとした少し長めのボブ、ニキビひとつない肌、ぱっちりした丸い瞳は、長い睫毛に縁取られている。清潔感のある可愛さ、なんてワードを擬人化したらこういう感じかもしれない。
 そして、彼女の性格については皆似たようなことを言う。「優しい」「かわいいのに気取ってない」「ちょっと気が弱そう」「真面目」など。
 そんな、アイドルみたいに可愛いくて、人柄は優しくて真面目、なんて出来すぎた女子である清田光だが、彼女にもある噂があった。
  
 
 小学校の頃からずっと、〝佐藤茜〟にいじめられている、と言う噂だ。
 


 言うまでもなく、デタラメである。
 真っ赤な嘘だ。
 清田光が、自ら周りに吹聴している嘘である。 

 そして、佐藤茜に関するあらゆる悪評も、彼女が出所だった。
 
 
 何故、彼女がそんなことをするのか、茜は知らない。そもそも、小学校低学年の頃、同じクラスだっただけで、さして親しかったわけでもなかった。クラスメイト何人かで遊んだりする時には光もいたから、何回か遊んだことは確かだが、それだけである。
 今まで、何回か光に理由を尋ねようとしたことがあったが、その度に彼女の取り巻きに邪魔されたり、光自身が逃げたりしたので、茜は彼女の行いの理由を知らぬままだ。
 ただ、確かなのは、自分はあの女にずっとしてやられっぱなしであるということだ。
 
 「てか光、めっちゃいい匂いする。香水?」
 「あ、多分、ハンドクリームだと思う。新しいのにしたんだ」
 「あ、それヒナキプロデュースのやつじゃない?バスセットとかと一緒に出てる奴!」
 「えー!いいな〜!てか可愛い〜!」
 廊下では、自分の教室に向かう光とその取り巻きが、まだ何かきゃっきゃと喋っている。
 茜は、噂のせいで、小学校から今に至るまで友人と呼べるものがおらず、それどころか、たまにいじめられたりもあったというのに。
 思わず、小さく舌打ちした茜を、光がうっすらと笑みを浮かべて見ていたのを、誰も気が付かなかった。