おかしい。
 彼女が、いない。

 3日前に不本意ながら私の妻になった女性──千奈。
 クズだクズだと思っていた我が義弟だが、最低のクズだったことを再確認した日だった。
 封制印を奴がもっているからには、私には抵抗もできない。

 幸い、千奈は悪い人間ではなく、何より一緒にいて不快ではなかった。

 あんなことがあっても挫けることなく、逆に「国を滅ぼしたい」という思考を持つ強さ。
 前向きで、コロコロと表情が変わって、話していて楽だ。

 そんな彼女の姿が見えない。

 朝食は共に食べた。
 変わった様子もなかったはずだ。

 昼食に現れない彼女を屋敷中探し回ったが、どこにもいない。

 魔界は封印されていて、こちら側からは出られないはず。
 ということは、森か?

 ──この城は深い森に囲まれている。
 そしてその森は、ぐるりと高い壁で囲まれ、その外は人間界となる。
 壁の外に出るには黒い門を通らねばならない。

 門は二つ。
 城側と、反対側は崖壁と、崖の上は小さな町に続いていたはずだ。

 魔界の者たちには彼女の前に姿を現さないよう伝えているから、怖がらせることはないだろうが……。

「アスト」
「──はい」

 私の呼びかけに、私の前に黒い霧に紛れて黒い大鳥が現れた。

「空から彼女を探してもらえるか?」
「お任せを」

 承知の言葉だけ残してから、アストは私の前から再び黒い霧に溶けるようにして消えた。



 ──アストが戻ってきたのは、それからすぐのことだった。

「ここから町側の門へ向かう途中の大木の下で、千奈様を発見いたしました。足に怪我をされているようで、心細そうに蹲っておいでです」
「怪我だと!?」

 心細そうに……。
 あの前向きで 強気な女性が、か?
 想像ができない。
 だが怪我をしているのならば、動くことは難しいのだろう。
 早く行ってやらねば……。

 私は黒い外套を羽織ると、窓を開け放った。

 朝だというのにこの魔界は常に暗い。
 そして今は雨が降りしきっていて、森の中はさぞ冷たく暗い状態になっていることだろう。

 ここに追放されてしばらく、私は一人でこの城にいるのが怖くて仕方がなかった。
 だけど一緒に追放された母が、ただ傍にいてくれたから──。
 だから私は、生きてくることができた。

 一人、暗闇にいる恐怖は、私が一番よく知っている。
 光が灯った時の安心も。

「……行って来る」
 そう言って窓の桟に足をかけたその時。

「もう一つご報告を」
 アストが私を呼び止めた。

「何だ。手短にしろ」
「村側の門の封印が解かれている模様です」
「!!」

 村側の、門の封印が……?

 外に出ることを禁じられ、外から封印の術をかけられ、魔界に閉じ込められた私と母。
 何度も、魔界の魔物たちに協力してもらって出ようと試みたが、封印は解くことができなかったが……。
 今になって一体なぜ?

 まさか、あの嫁が何かしたのか?
 いや、まさか。
 そんな力、彼女には……。

「……わかった。ご苦労だった。調理場に、温かい飲み物を用意するように伝えてくれ。あと、彼女の寝室に毛布を」
「はっ」

 アストの返事を聞いてから、私は一人窓の外、暗闇へと飛び立った──。