それから数十分後、ぼくら家族は少し早めの朝食を摂った。

 きょうの朝食はいつも以上に和気あいあいとしたものになり、気のせいか家族全員が浮かれていた。
 そのため、浮かれたぼくらは朝食が済むと、家族にしかできない特別な何かをしようという話になり、そのまま話し合いが行われた。

 そんな中、母は家族会議をしようと言い出した。
 当然、ぼくらは母の提案に賛成し、すぐさま大浦家の家族会議が始まった。

 しかし家族会議をしたことのないぼくらは、家族会議の進め方をまるで知らなかった。
 このままでは何もせずに家族会議が終わってしまう、とぼくが危機感を覚えたときだった。

「あのさ、あたしからひとつ、みんなに言いたいことがあるんだけど……いいかな」

 大浦家の長女、大浦天音はそのように険しい顔で言うと、ぼくら三人を順ににらみつけた。

「な、何よ。その件はもういいじゃない、天音」
「あれは過ぎたことだ。それをいつまでも根に持つのは、さすがにどうかとおれは思うぞ」

 姉が言おうとしていることを察したらしい父と母は、すぐに姉をたしなめた。
 けれど、姉は二人の言葉に耳を傾けず、自分の言いたいことをすべて言ってしまった。

 それは大浦家の家族会議にふさわしい内容であり、姉以外のぼくら三人には非常に厄介な問題だった。
 さらに言うと、弟のぼくにとっては聞き逃すことができない事件だった。

「どうして、翔に海堂くんのことを教えたりなんかしたのよ。
 あのね、あたしは悲しいわ。当然の人権を踏みにじられて、あたしは悲しい。
 ねえ……人の秘密を話すのは楽しい? 人の秘密を知るのは愉快? どうなのよ、三人とも」

 姉は目をむき、怒りを露わにした。

 父と母は互いに目を伏せ、姉と視線が合わないようにしていた。
 一方で、ぼくだけがきちんと姉を見つめていた。
 ただひたすら悲しい、それがぼくの正直な感想だった。

 姉に恋人がいることを知ったとき、そりゃあぼくはショックを受けた。
 しかし、先ほど姉が言い放った言葉ほど、つらいものはない。

 姉にとって、ぼくはどういう存在だったのだろう。
 恋愛事情を打ち明けられぬほど、ぼくは信頼されていなかったのだろうか。
 そうだとしたら……そうだとしたら、ぼくは弟というものがなんなのか、家族というものがなんなのか、分からなくなってしまう。

「……姉さんはぼくのことが嫌いなの? ぼくが信じられないの? ぼくのことを家族の一員として見ていないの?」

 このぼくの言葉は爆発による衝撃波のごとく、姉に衝撃を与えた。
 たちまち姉は顔面蒼白となり、涙目となった。

「なんてことを……翔、あんたはあたしのたった一人の弟よ、かけがえのない家族の一人よ。
 そんな愛する翔のことが嫌い? 信じられない? 家族として見ていない? ――そんなこと、あるはずがないでしょう、このバカ翔!」
「じゃあ、どうしてそんなことを言うんだよ、バカ姉さん!」

 気付けば、ぼくと姉は涙を流し、泣いていた。

 もう事態の収拾がつかなくなると覚悟したそのとき、ピタリと姉が泣き止み、ぼくにきっぱりと言った。

「何もあたしはね、あんたのことが嫌いで言わなかったわけじゃない。
 何よりもあたしを大切に思う翔のことを考えて、言わないほうがいいだろうと判断しただけ。
 そんなあたしの非はね、もっとちゃんと翔のことを理解してあげなかったこと。
 それからもうひとつ、言っていることと考えていることが真逆になっていたことなの。
 ごめんね、翔」

 最初、ぼくはうなっていたが、姉のように正直にならなければと思い直し、ニッコリと笑顔を浮かべ、「こちらこそ、ごめんよ」と心を込めて謝った。
 姉もニコニコとほほ笑み、うんうんとうなずいていた。

 そのとき、父の大浦隼人が不器用に咳払いをした。

 たちまち、ぼくら三人は我に返り、父に注目した。
 しかめっ面から一転、父は表情を和らげ、「天音、翔、奏」とぼくらの名前を呼んだ。

「おれたちは家族だ。それも最強の家族だ。
 だからこそ、ケンカをしても仲直りができる。自分がつらいとき、ともにつらさを分かち合えるし、あらゆる困難にも打ち勝てる。
 いいか、お前たち。これからもおれたちはそうだ。ずっとそのままだ。
 ともに助け合い、このつらく楽しい現実を生き抜こうではないか。それがおれたち、大浦家だ」

 それぞれぼくらはうなずき、そして涙した。
 そんな父の言葉に触発されたのか、母の大浦奏もまた「天音、翔、隼人さん」とそれぞれの名前を口にした。

「あなたたちはわたしの大切な家族であり、わたしの人生よ。そして、わたしの人生はあなたたちの人生でもある。
 いくらあなたたちがわたしに世話をかけても、わたしはあなたたちを絶対に見捨てはしないわ。
 途方もなく長く険しい人生でも、ともに助け合うことで、最高の人生をこれからも送りましょうよ。
 それが家族というものだと、わたしは思うわ」

 もはや、ぼくら三人は母の言葉にうなずかなかった。
 うなずくことが不要なほど、ぼくらは互いを信頼しきっているため、それは野暮というものだった。
 それは母も察したのだろう、母は満足そうにほほ笑んだ。

 そのとき、天音が「そういえば、今は何時だっけ?」と壁時計のほうを見遣った。
 そして、
「あれ、今の時間って……午前七時過ぎ? 七時過ぎ!」
 と、あわてて椅子を後ろに引き、大学に向かう準備を始めた。

 ぼくのほうも、遙香さんや夏奈さんとの待ち合わせ時間に遅れていることに気付き、大慌てで登校の支度を始めた。
 待ち合わせ場所の三叉路は、家から数分の場所にあるのだが、時間が時間なだけに急がなければいけなかった。

 それから数分後、ぼくと姉は慌ただしく家を飛び出した。
 お互い急いでいるため、すぐにぼくは姉と別れるはずだった。
 けれど、姉と別れる間際、姉はぼくを呼び止め、
「がんばってね、翔。でも、無理は禁物よ」
 とこちらに応援の言葉を投げかけ、それからバタバタとぼくの前から立ち去った。

 ぼくは心の中で姉にお礼を言い、自分もまた待ち合わせの場所に大急ぎで向かった。

 外は汗がすぐに出るほど暑く、いつも以上に太陽がまぶしく感じられた。
 それはそのはず、太陽はぼくらの行く末を見守ることを決めたようで、彼が放つ光はいつも以上に優しさに満ちていた。

 あのとき――ぼくらの美しく楽しい夏と穏やかな日常は確かに幕を閉じた。
 しかし幕を閉じたのならば、新たに幕が開くこともあるだろう。
 それが今だ。

 ここからは新たな局面を迎えることになる。
 気を引き締め、覚悟することこそ、ぼくの準備だ。
 が、すでに準備は済んだ。
 あとは問題に対処し、真っ向から立ち向かうだけ。

「ぼくらの夏よ、ぼくらの太陽よ、我に力を……!」

 中二病のようなぼくのセリフはさておき――。
 こうして、ぼくらの新たな夏と非日常は始まった。

 二度目の夏、始動。