一人で下校したいと言い出した夏奈さんに配慮し、ぼくらが元気を失った彼女と別れてから、数十分もの時間が経過した。
今のぼくらはどこで何をしているのかというと、行き付けのカフェレストラン「カレス」の店内で、石のようにじっとしながら黙りこくっていた。
夜になったばかりの街並みをじっくりと眺めることができて、冷静さを取り戻すこともできる歩道に面した窓際の席――そこでぼくらは目の前のグラスに入った氷を意味もなく見つめたり、窓から見える街並みをたまに眺めたりと、仕様もなくて意味のない時間を過ごしていた。
時刻は午後七時を少し回ったところ。
店内はファミリー客や会社員などが押し寄せ、この時間帯にふさわしい混み方をしていた。
彼らは食事を楽しむとともに、おしゃべりにも興じていて、無言で気が重そうにしているぼくらとは対照的だった。
しかしぼくらとて、黙りたくて黙っているわけではない。
訊きたいこと、指摘したいこと、怒りたいこと、悲しみたいことなんて、山ほどあった。
けれど、それらを発言するということは、すなわち壮絶なケンカが始まるということだ。
そのため、ぼくらは誰かが怒りの導火線に火を付けることを待ち、そのときが訪れるのを恐れながら、けれど自分はその役目を負わないよう、傍観者気取りのまま、ぼうっとしているように見せかけているのだった。
しかし、それではいつかボロが出ることを、ぼくらは気付かずにいた。
いや、気付こうとしていなかっただけなのかもしれない。
「……嫌だよ、みんな。こんないやらしい雰囲気、わたしは味わいたくない」
憔悴しきった茜の言葉に、少なくともぼくは我に返った。
よく言ってくれた、茜。
あとはこちらに任せろという意味合いで、ぼくは茜に目配せをした。
茜は力弱くうなずいたが、それから安堵したように微笑を浮かべた。
茜の意志を継いだぼくは、なおも傍観者気取りのままでいる遙香さんたちを改心させるため、彼女たちをきつくねめつけた。
「茜の言うとおりだよ、みんな。この雰囲気はよくない。
これじゃあ、なんのために『カレス』で今後のことを話しに来たのか、分からなくなる。
だって、ぼくらはケンカをするために集まったわけじゃないんだ。
遙香さん、徹、環奈、詩織さん、勇人……お前らいいかげん、目を覚ませよ」
今のぼくの言葉が遙香さんたちに届けば、この状況はいくらか改善されるだろう。
だが、現実というものはそう甘くはなかった。
突然、徹が拳でテーブルを叩いたかと思えば、おっかない表情で遙香さんの名を呼び、
「貴様、どうして夏奈にそんなウソをつこうと思った、えぇ?
こんなことになるとは、一度たりとも思わなかったことだろうな。
何せ、人が死んでも死にきれないとかいう意味不明でおかしな現象が起こったのだ。
それもこれも、貴様の見え透いたウソのせいで……いや、全部全部、ぜーんぶ貴様のせいだ、天野遙香!」
と彼女を口汚く罵った。
先ほどのぼくの言葉、それはどうやら徹の怒りの導火線に火を付けてしまったらしい。
「そ、そんな。夏奈が死んでも死にきれなかった原因が、すべてわたしにあるのだと、徹くんは言いたいわけ?
そんなの……そんなのは暴論よ、暴論!」
遙香さんは徹に応戦するが、彼女の目には涙が浮かんでいて、すでに防戦一方だった。
ぼくは遙香さんの味方になりたかったが、徹の激しい剣幕におびえ、何も言葉が出てこなかった。
結局、遙香さんの味方についたのは、同じ恋愛反対運動のメンバーである環奈と茜の二人だった。
「ダメよ、徹。レディをいじめるのはやめて。
これ以上、声を荒らげるつもりなら、遙香のことをよく見なさいって。彼女、涙を浮かべているわよ」
「夏奈ちゃんの件はね、誰も悪くないの。悪い人なんていないの。
遙香ちゃんだって、ウソをつきたくてついたわけじゃないんだから、だから……お願い、いつもの優しい徹くんに戻ってよぅ」
涙目になる環奈とオイオイ泣き出す茜。
しかし、この二人の本気の訴えを受け、徹は冷静になれたようだった。
というか、全員が冷静になったようだ。
「わ、悪かった。すまない、遙香。すまない、環奈と茜。
せっかく翔がおれたちをなだめてくれたのにも関わらず、おれは……ああ、そうだな。どうも言い過ぎたよ。
どうかおれの暴言を本気にしてくれるな、お前たち。
おれとしたことが、仲間を傷つけてしまったようだ。本当にすまん」
徹が頭を深く下げたことで、その場は丸く収まった。
というか危うく、ぼくらをなだめに「カレス」の店長が出てくるところだった。
さらに心を落ち着かせるため、ぼくらは新たなドリンクを取りに行った。
それからしばらくして、頭がクリアになったぼくらは静かに話し合いを始めた。
「そもそもの話、“死んだのに生きている”と夏奈は言うが、本当にそうなのか? すべて、夏奈の病的な妄想ではないのか?」
「それはないと断言できるよ」
「なぜだ」
徹の問題提起に対して、遙香さんは先ほどの記事を引き合いに出し、さらには今朝ぼくと見た現場の状況も、落ち着いた様子で説明した。
それでようやく、徹は腑に落ちたように「なるほどな」とうなずき、おとなしく引き下がった。
「ではつまり、夏奈さんの話はすべて事実で、本当のことを彼女は言っているのだと、遙香さんは思っているのですか? そんな荒唐無稽な話、わたくしには到底信じられません」
「いやいや、詩織さん。おれは直接見ていませんが、夏奈さんが車にひかれた証拠は確かに存在するんですよ。
ですから、荒唐無稽だと思考を放棄するのは、いささかおつむが弱すぎませんかね」
詩織さんの懐疑的な意見を聞き、すかさず勇人がそれは違うと否定した。
やはり詩織さんも、自分の意見が矛盾していることに最初から気付いていたのだろう、今度は別の視点で物を言った。
「ですが、それを信じるということはすなわち、摩訶不思議な現象を信じるということにほかなりません。
そんな思考停止など、それこそおつむが弱いと言わざるを得ないです」
「なるほど、確かにそのとおりですね」
勇人は詩織さんに言い籠められてしまったらしく、彼は思考停止に陥った。
情けない。
だがしかし、
「この世界に摩訶不思議な現象は存在しないのだと、誰が言い切ったの?
現実を見てよ、みんな。現実はすぐそこにあるのに、なんで誰も見ないのかな。
現に、夏奈は“死んだのに生きている”のよ。
それこそが確固とした証拠であり、わたしたちが見ている現実……そうでしょう?」
という遙香さんのよく通る声で、ぼくらは現実を直視した。
そうだ、確かに夏奈さんは一度死んだのだ。
正確に言うと、彼女は“死んだのに死にきれなかった”不確かな存在になってしまった。
それは夏奈さんの妄想やウソではなく、“実際に起こった”こと。
だったら、今のぼくらの議題はそこではない。
摩訶不思議な現象が起こったのなら、それを前提に話すまで。
つまり、今からでも効果のある対策を練るのだ。
先陣を切るように発言したのは、我らが代表、徹だった。
「夏奈は死んだのに死にきれなかった。ということはつまり、今のあいつは幽霊に近いのではないのか?
人間に近い幽霊の部類に入るとは思うが、ともかくあいつは人ではない“何か”になってしまった。
だから、車にひかれて死んだのにも関わらず、肉体や身に着けていた衣類が再生した状態に……いや、もしかすると死ぬ直前に時間が巻き戻されたのかもしれないな。
どちらにせよ、あの世に逝けない魂など、そう長くは持ちまい。
最悪、夏奈はある日を境に完全な死者になってしまうか、悪霊になってしまうかのどちらかだろう」
「……じゃあ、ぼくらはどうすればいい?」
ぼくの緊迫とした声に、しばらく徹は腕を組んで考え込んだ。
なんでもいい、何か思い付いてくれ、徹。
だが、それも徒労で終わり、徹は「分からん」と言って、降参するように両手を万歳してしまう。
これで振り出しに戻ったかと思えば、そのとき詩織さんが「そうですわ、そうですわ!」と声を張り上げた。
「詩織ったら、どうしたのよ。何か妙案でも思い付いたの?」
環奈はいぶかしむように詩織さんを見たが、興奮状態にある詩織さんはそれに気分を害することもなく、ぼくらに「これぞ!」という妙案を打ち明けた。
「いいですか、凡俗のみなさん。
どうして夏奈さんが人間でもなく、死者でもない存在になったのかといいますと、それは遙香さんがついたウソ……いえ、わたくしたちがついたウソのせいで現世に未練が残り、それが原因で夏奈さんは死んでも死にきれない状態になったのです。
つまりですね、わたくしたちは“夏奈さんの未練をなくせばいい”のですよ。
ですので、わたくしたちは“夏奈さんにウソをついていたことを打ち明ける”べきなのです。
そうすれば、夏奈さんは元通りに――」
「それはダメ!」
詩織さんの話を遮る形で、遙香さんが叫んだ。
「なぜダメなのだ、遙香よ」
徹は遙香さんに否定の理由を訊いたが、おそらく彼はすべてを察しているのだろう、見るからに落ち着いていた。
かくいうぼくも、遙香さんが詩織さんの妙案を否定した理由を察していたので、自分もまた落ち着いていられた。
「どうして詩織ちゃんの案はダメなの、遙香ちゃん?」
茜は分からないというように、首をかしげてみせた。
それでも、遙香さんは沈黙を守っていた。
しかし。
「……夏奈に勘付かれているとはいえ、どうしてもあなたはウソを事実に見せかけたいのね。
理由は夏奈に嫌われないため……そうでしょう、遙香?」
それをずばり指摘したのは、同じ女性の環奈だった。
遙香さんは降参したとばかり、ガクリとうなだれ、そのままの状態でうなずいた。
それを見た勇人は手のひらで額をピシャリと打ち付け、「あちゃー、それは盲点でした」と悔しがる。
そんな悔しがるだけの勇人とは違って、ぼくは遙香さんに反論した。
「それはないだろう、遙香さん。
いいか、すでにもう事が起こってしまったんだ。だったら、ぼくらがするのはウソをつき続けることじゃない。
じゃあ何をするのかというと、それは少し考えれば分かることだ。
――夏奈さんにすべてを打ち明け、ごめんと謝る。それだけのことなんだよ。
それは夏奈さんの未練をなくし、彼女を助けることにもつながる。
そして、これはウソをついたことに対するぼくらのけじめなんだ。だからさ、ぼくらは――」
「そんなこと、分かっているわよ!」
突然、遙香さんは顔を上げるなり、ぼくに牙をむいた。
ぼくは衝撃のあまり、口を開けた状態で固まった。
一方の遙香さんは怒りを露わにしたはいいが、それも長くは続かなく、涙をボロボロとこぼし始めた。
「分かっているの、そんなこと。それは一番分かっているつもり。
だって、だってぇ……わたしは夏奈を殺してしまったから、夏奈をこの世から追い出してしまったから。
こんなはずじゃなかったのに、あの子を悲しませるはずじゃなかったのに、一体どうしてこんな惨劇になってしまうの? わたしは一体何を、何を、何を……!」
それっきり、遙香さんは大声で泣き叫んでしまって、話し合いどころではなくなってしまった。
ぼくらは遙香さんをなだめることに徹し、同時に「カレス」から出ることを考え、なんとか遙香さんを落ち着かせた。
ただひたすら蒸し暑い夜の外に出ると、ぼくらは否応なしに今が夏であると思い知らされ、それぞれ息を呑んだ。
夏の魔法がすっかり解けたぼくらには、この蒸し蒸しとした暑さはもはや不快なだけだった。
ぼくと遙香さんの帰路は同じだが、徹たちの家の場所はまるで違っていた。
なんだか、申し訳ない。
「……ちなみにですが、わたくしの家はここからそう遠くはありませんよ、大浦翔」
ぼくの考えていることが分かったのか、不意に詩織さんはそう教えてくれた。
それを聞いて、ぼくは心が温かくなった。
ありがとう、詩織さん。
「ではまたな、二人とも。あす、学校で会おう」
徹が別れの挨拶を口にしたことで、ぞろぞろと彼らはそれぞれ帰路につく。
「行こうか、遙香さん」
「……うん」
ぼくは元気のない遙香さんとともに、こちらもまた帰路についた。
今のぼくらはどこで何をしているのかというと、行き付けのカフェレストラン「カレス」の店内で、石のようにじっとしながら黙りこくっていた。
夜になったばかりの街並みをじっくりと眺めることができて、冷静さを取り戻すこともできる歩道に面した窓際の席――そこでぼくらは目の前のグラスに入った氷を意味もなく見つめたり、窓から見える街並みをたまに眺めたりと、仕様もなくて意味のない時間を過ごしていた。
時刻は午後七時を少し回ったところ。
店内はファミリー客や会社員などが押し寄せ、この時間帯にふさわしい混み方をしていた。
彼らは食事を楽しむとともに、おしゃべりにも興じていて、無言で気が重そうにしているぼくらとは対照的だった。
しかしぼくらとて、黙りたくて黙っているわけではない。
訊きたいこと、指摘したいこと、怒りたいこと、悲しみたいことなんて、山ほどあった。
けれど、それらを発言するということは、すなわち壮絶なケンカが始まるということだ。
そのため、ぼくらは誰かが怒りの導火線に火を付けることを待ち、そのときが訪れるのを恐れながら、けれど自分はその役目を負わないよう、傍観者気取りのまま、ぼうっとしているように見せかけているのだった。
しかし、それではいつかボロが出ることを、ぼくらは気付かずにいた。
いや、気付こうとしていなかっただけなのかもしれない。
「……嫌だよ、みんな。こんないやらしい雰囲気、わたしは味わいたくない」
憔悴しきった茜の言葉に、少なくともぼくは我に返った。
よく言ってくれた、茜。
あとはこちらに任せろという意味合いで、ぼくは茜に目配せをした。
茜は力弱くうなずいたが、それから安堵したように微笑を浮かべた。
茜の意志を継いだぼくは、なおも傍観者気取りのままでいる遙香さんたちを改心させるため、彼女たちをきつくねめつけた。
「茜の言うとおりだよ、みんな。この雰囲気はよくない。
これじゃあ、なんのために『カレス』で今後のことを話しに来たのか、分からなくなる。
だって、ぼくらはケンカをするために集まったわけじゃないんだ。
遙香さん、徹、環奈、詩織さん、勇人……お前らいいかげん、目を覚ませよ」
今のぼくの言葉が遙香さんたちに届けば、この状況はいくらか改善されるだろう。
だが、現実というものはそう甘くはなかった。
突然、徹が拳でテーブルを叩いたかと思えば、おっかない表情で遙香さんの名を呼び、
「貴様、どうして夏奈にそんなウソをつこうと思った、えぇ?
こんなことになるとは、一度たりとも思わなかったことだろうな。
何せ、人が死んでも死にきれないとかいう意味不明でおかしな現象が起こったのだ。
それもこれも、貴様の見え透いたウソのせいで……いや、全部全部、ぜーんぶ貴様のせいだ、天野遙香!」
と彼女を口汚く罵った。
先ほどのぼくの言葉、それはどうやら徹の怒りの導火線に火を付けてしまったらしい。
「そ、そんな。夏奈が死んでも死にきれなかった原因が、すべてわたしにあるのだと、徹くんは言いたいわけ?
そんなの……そんなのは暴論よ、暴論!」
遙香さんは徹に応戦するが、彼女の目には涙が浮かんでいて、すでに防戦一方だった。
ぼくは遙香さんの味方になりたかったが、徹の激しい剣幕におびえ、何も言葉が出てこなかった。
結局、遙香さんの味方についたのは、同じ恋愛反対運動のメンバーである環奈と茜の二人だった。
「ダメよ、徹。レディをいじめるのはやめて。
これ以上、声を荒らげるつもりなら、遙香のことをよく見なさいって。彼女、涙を浮かべているわよ」
「夏奈ちゃんの件はね、誰も悪くないの。悪い人なんていないの。
遙香ちゃんだって、ウソをつきたくてついたわけじゃないんだから、だから……お願い、いつもの優しい徹くんに戻ってよぅ」
涙目になる環奈とオイオイ泣き出す茜。
しかし、この二人の本気の訴えを受け、徹は冷静になれたようだった。
というか、全員が冷静になったようだ。
「わ、悪かった。すまない、遙香。すまない、環奈と茜。
せっかく翔がおれたちをなだめてくれたのにも関わらず、おれは……ああ、そうだな。どうも言い過ぎたよ。
どうかおれの暴言を本気にしてくれるな、お前たち。
おれとしたことが、仲間を傷つけてしまったようだ。本当にすまん」
徹が頭を深く下げたことで、その場は丸く収まった。
というか危うく、ぼくらをなだめに「カレス」の店長が出てくるところだった。
さらに心を落ち着かせるため、ぼくらは新たなドリンクを取りに行った。
それからしばらくして、頭がクリアになったぼくらは静かに話し合いを始めた。
「そもそもの話、“死んだのに生きている”と夏奈は言うが、本当にそうなのか? すべて、夏奈の病的な妄想ではないのか?」
「それはないと断言できるよ」
「なぜだ」
徹の問題提起に対して、遙香さんは先ほどの記事を引き合いに出し、さらには今朝ぼくと見た現場の状況も、落ち着いた様子で説明した。
それでようやく、徹は腑に落ちたように「なるほどな」とうなずき、おとなしく引き下がった。
「ではつまり、夏奈さんの話はすべて事実で、本当のことを彼女は言っているのだと、遙香さんは思っているのですか? そんな荒唐無稽な話、わたくしには到底信じられません」
「いやいや、詩織さん。おれは直接見ていませんが、夏奈さんが車にひかれた証拠は確かに存在するんですよ。
ですから、荒唐無稽だと思考を放棄するのは、いささかおつむが弱すぎませんかね」
詩織さんの懐疑的な意見を聞き、すかさず勇人がそれは違うと否定した。
やはり詩織さんも、自分の意見が矛盾していることに最初から気付いていたのだろう、今度は別の視点で物を言った。
「ですが、それを信じるということはすなわち、摩訶不思議な現象を信じるということにほかなりません。
そんな思考停止など、それこそおつむが弱いと言わざるを得ないです」
「なるほど、確かにそのとおりですね」
勇人は詩織さんに言い籠められてしまったらしく、彼は思考停止に陥った。
情けない。
だがしかし、
「この世界に摩訶不思議な現象は存在しないのだと、誰が言い切ったの?
現実を見てよ、みんな。現実はすぐそこにあるのに、なんで誰も見ないのかな。
現に、夏奈は“死んだのに生きている”のよ。
それこそが確固とした証拠であり、わたしたちが見ている現実……そうでしょう?」
という遙香さんのよく通る声で、ぼくらは現実を直視した。
そうだ、確かに夏奈さんは一度死んだのだ。
正確に言うと、彼女は“死んだのに死にきれなかった”不確かな存在になってしまった。
それは夏奈さんの妄想やウソではなく、“実際に起こった”こと。
だったら、今のぼくらの議題はそこではない。
摩訶不思議な現象が起こったのなら、それを前提に話すまで。
つまり、今からでも効果のある対策を練るのだ。
先陣を切るように発言したのは、我らが代表、徹だった。
「夏奈は死んだのに死にきれなかった。ということはつまり、今のあいつは幽霊に近いのではないのか?
人間に近い幽霊の部類に入るとは思うが、ともかくあいつは人ではない“何か”になってしまった。
だから、車にひかれて死んだのにも関わらず、肉体や身に着けていた衣類が再生した状態に……いや、もしかすると死ぬ直前に時間が巻き戻されたのかもしれないな。
どちらにせよ、あの世に逝けない魂など、そう長くは持ちまい。
最悪、夏奈はある日を境に完全な死者になってしまうか、悪霊になってしまうかのどちらかだろう」
「……じゃあ、ぼくらはどうすればいい?」
ぼくの緊迫とした声に、しばらく徹は腕を組んで考え込んだ。
なんでもいい、何か思い付いてくれ、徹。
だが、それも徒労で終わり、徹は「分からん」と言って、降参するように両手を万歳してしまう。
これで振り出しに戻ったかと思えば、そのとき詩織さんが「そうですわ、そうですわ!」と声を張り上げた。
「詩織ったら、どうしたのよ。何か妙案でも思い付いたの?」
環奈はいぶかしむように詩織さんを見たが、興奮状態にある詩織さんはそれに気分を害することもなく、ぼくらに「これぞ!」という妙案を打ち明けた。
「いいですか、凡俗のみなさん。
どうして夏奈さんが人間でもなく、死者でもない存在になったのかといいますと、それは遙香さんがついたウソ……いえ、わたくしたちがついたウソのせいで現世に未練が残り、それが原因で夏奈さんは死んでも死にきれない状態になったのです。
つまりですね、わたくしたちは“夏奈さんの未練をなくせばいい”のですよ。
ですので、わたくしたちは“夏奈さんにウソをついていたことを打ち明ける”べきなのです。
そうすれば、夏奈さんは元通りに――」
「それはダメ!」
詩織さんの話を遮る形で、遙香さんが叫んだ。
「なぜダメなのだ、遙香よ」
徹は遙香さんに否定の理由を訊いたが、おそらく彼はすべてを察しているのだろう、見るからに落ち着いていた。
かくいうぼくも、遙香さんが詩織さんの妙案を否定した理由を察していたので、自分もまた落ち着いていられた。
「どうして詩織ちゃんの案はダメなの、遙香ちゃん?」
茜は分からないというように、首をかしげてみせた。
それでも、遙香さんは沈黙を守っていた。
しかし。
「……夏奈に勘付かれているとはいえ、どうしてもあなたはウソを事実に見せかけたいのね。
理由は夏奈に嫌われないため……そうでしょう、遙香?」
それをずばり指摘したのは、同じ女性の環奈だった。
遙香さんは降参したとばかり、ガクリとうなだれ、そのままの状態でうなずいた。
それを見た勇人は手のひらで額をピシャリと打ち付け、「あちゃー、それは盲点でした」と悔しがる。
そんな悔しがるだけの勇人とは違って、ぼくは遙香さんに反論した。
「それはないだろう、遙香さん。
いいか、すでにもう事が起こってしまったんだ。だったら、ぼくらがするのはウソをつき続けることじゃない。
じゃあ何をするのかというと、それは少し考えれば分かることだ。
――夏奈さんにすべてを打ち明け、ごめんと謝る。それだけのことなんだよ。
それは夏奈さんの未練をなくし、彼女を助けることにもつながる。
そして、これはウソをついたことに対するぼくらのけじめなんだ。だからさ、ぼくらは――」
「そんなこと、分かっているわよ!」
突然、遙香さんは顔を上げるなり、ぼくに牙をむいた。
ぼくは衝撃のあまり、口を開けた状態で固まった。
一方の遙香さんは怒りを露わにしたはいいが、それも長くは続かなく、涙をボロボロとこぼし始めた。
「分かっているの、そんなこと。それは一番分かっているつもり。
だって、だってぇ……わたしは夏奈を殺してしまったから、夏奈をこの世から追い出してしまったから。
こんなはずじゃなかったのに、あの子を悲しませるはずじゃなかったのに、一体どうしてこんな惨劇になってしまうの? わたしは一体何を、何を、何を……!」
それっきり、遙香さんは大声で泣き叫んでしまって、話し合いどころではなくなってしまった。
ぼくらは遙香さんをなだめることに徹し、同時に「カレス」から出ることを考え、なんとか遙香さんを落ち着かせた。
ただひたすら蒸し暑い夜の外に出ると、ぼくらは否応なしに今が夏であると思い知らされ、それぞれ息を呑んだ。
夏の魔法がすっかり解けたぼくらには、この蒸し蒸しとした暑さはもはや不快なだけだった。
ぼくと遙香さんの帰路は同じだが、徹たちの家の場所はまるで違っていた。
なんだか、申し訳ない。
「……ちなみにですが、わたくしの家はここからそう遠くはありませんよ、大浦翔」
ぼくの考えていることが分かったのか、不意に詩織さんはそう教えてくれた。
それを聞いて、ぼくは心が温かくなった。
ありがとう、詩織さん。
「ではまたな、二人とも。あす、学校で会おう」
徹が別れの挨拶を口にしたことで、ぞろぞろと彼らはそれぞれ帰路につく。
「行こうか、遙香さん」
「……うん」
ぼくは元気のない遙香さんとともに、こちらもまた帰路についた。
