いつもの署名運動といえば、チームごとに担当場所を決め、それから時間を決めてやるのだが、上機嫌な徹はそれを決めずにいた。
なので、とりあえずぼくら四人は一時間を目安に活動することにし、それが終わったあとの待ち合わせ場所を、この二年一組の教室前の廊下に決めた。
話し合った結果、ぼくと遙香さんのチームは校舎の外を担当することになり、環奈と茜は校舎内を見て回ることになった。
ぼくは相棒の遙香さんを連れ、階段で一階まで下り、昇降口で上履きからローファーに履き替えた。
校舎の外に出たとき、ぼくは空の様子を見て驚いた。
昼時に見た屋上の曇り空とは打って変わって、このときの空は晴れ間がのぞき、少しでもぼくらを照らそうと努力していた。
少しだけ、ぼくはうれしくなった。
笑みを浮かべるぼくとは対照的に、遙香さんは先ほどの空のようにどんよりとしていた。
そんな彼女の背中を、ぼくは軽く叩いてやった。
「どうしたのさ、そんなに浮かない顔をして。
嫌な気分なときは、空を見上げてごらん。ほら、空を……おお、なんてきれいな晴れ間なんだ。
これを見たら、嫌な気分がすべて吹き飛んでしまったではないか。
なんたる景色、なんたる気分!」
大げさなぼくの言葉を聞き、遙香さんはわずかに空を見上げ、それから暗そうな声で「まるで、あの世の天使さんが迎えに来てくれそうな空模様だね。わたし、死ぬのかな」とニヒルな笑いを浮かべた。
なるほど、これは重症に違いない。
こうも残念な遙香さんを従えながら、ぼくは彼女とともに校舎の外を歩き回り、様々な生徒に声をかけた。
そして、こちらがその反応。
「え、きみたちがあの悪名高き恋愛反対運動だって? ……悪いことは言わない。きみたちさ、そんなに高校が嫌なら、高校を中退したら? きっとそれがいいよ、うん」
「恋愛反対運動、ですか。うーん、怪しいのはパスで。わたし、まだ人生を棒に振りたくないんです。なので、わたしの前から消え失せてください。ほら、しっしっしっ」
「何、恋愛反対運動……だと? それは幼馴染の香澄とようやく付き合えたおれへの嫌がらせか? 死んどけ、お前ら。
つーかよ、お前らもカップルのくせして、何をふざけたこと抜かしやがる。
さっさとおれの前から消えろや」
「あのさ、そんなことよりも、うちの彼氏が待ち合わせ場所にいないんだけど、あんたら、何か知ってる?
もしも彼氏の居場所を知っていたら、うちの駄菓子をあげるけど……どうする?」
このほかにも、色んな反応があった。
それらの反応に慣れているぼくだが、遙香さんは拒絶反応に慣れていないため、彼女は半泣きになりながら「わたし、なんだってこんな馬鹿げたことを……あは、あはは」とこのとおり、情緒不安定になっていた。
そんな遙香さんを慰めながら、ぼくは彼女とともに署名をしてくれそうな人から、署名用紙を破りそうな人まで、校舎の外を歩き回って声をかけた。
結局、二時間歩き回って、三人の署名しか集まらなかった。
ぼくと遙香さんはグッタリとなりながらも、待ち合わせ場所である一号館三階、二年一組の教室前の廊下まで向かった。
そこにはすでに徹たち四人がいて、彼らは口々に「遅い」と言ってきた。
ぼくらの謝罪を待つことなく、徹はきょうの成果を自慢し、五人にも届かない署名用紙を見せびらかした。
それがあまりにも誇らしげなものだったから、落ち込んでいたぼくの心はたちまち元気になった。
なので、こちらも三人の署名を彼らに見せつけた。
徹たちは歓声を上げたので、なんだかぼくはこそばゆくなった。
あれだけ、半泣きで校舎の外を歩き回っていた遙香さんも、さすがの今度はぼくと同様に誇らしげにしていた。
ぼくらは好きなだけはしゃぎ、それから帰り支度を始めた。
階段を使って一階まで下り、先ほど通った昇降口で、履き替えたばかりの上履きからローファーに履き替える。
校舎の外に出ると、ちょうど詩織さんと勇人がいて、そのままぼくらは話し込んだ。
このとき、夏奈さんはぼくと遙香さんの交際のことをみんなに質問していたが、待ってましたとばかりに彼らは同じようなウソをついた。
「……そっか、二人の交際は本当だったんだね」
一瞬、夏奈さんは暗く沈んだ顔を見せたものの、すぐに彼女はニコリとほほ笑んだ。
「ええい、このバカップルめ」
そのように夏奈さんは叫ぶと、ぼくと遙香さんの背中を豪快に叩いた。
それは新たな笑いを生み出し、さらにぼくらは盛り上がることになった。
ふとスマートフォンの通知を見ると、気になるニュースの通知が届いていた。
ぼくは画面をタップし、ニュースサイトの記事に飛んだ。
「奈蔵市内住宅地にて起こったひき逃げ事件、けれど被害者は生きている。一体なぜ?」
おそらく、今のぼくは顔面蒼白になっていたことだろう。
そのとき、
「翔くんさ、どうかした?」
と夏奈さんがぼくのスマートフォンをのぞき込み、そのまま彼女も青ざめてしまう。
「夏奈? それに翔くんも……どうしちゃったのよ」
そういう遙香さんも、ぼくのスマートフォンの画面を見るなり、顔が固まった。
「なんだなんだ、どうしたのだ、お前たち」
そんなぼくらをいぶかしんだ徹は、ぼくのスマートフォンを取り上げると、例の記事を読み上げた。
「あのう、みなさん。おれには分からないんですが、一体何をそんなに動揺しているんですかね。
ひょっとして、被害者とは顔見知りですか?」
事情を知らない勇人は困惑し、ほかの女性三人は見るからに血相を変えた。
徹はぼくにスマートフォンを返すと、
「これはなんだね、翔、遙香、夏奈。ひょっとして、これは例の衝突事故のことか? え、どうなんだ」
と怒ったような口調で、ぼくらに訊いてきた。
それでもぼくらが答えないのを見て取ると、徹は興奮を静めるように深呼吸をしてから、今度は優しげな口調でぼくらに訊いた。
「なあ、お前たち。分かるのならば、教えてくれ。だっておれたち、仲間だろう? おれを信じてみろ」
力強い徹の言葉。
その言葉に揺さぶられたのか、とうとう夏奈さんは「実はね、みんな」とぼくらに真実を話す気になった。
それは一人の少女の話であると同時に、死者になり損ねた少女の悲しい真実だった。
不穏な風――それがこちらに吹くと同時、夏奈さんはぼくらに真実を語った。
「わたしさ、遙香がウソをついているんじゃないかって……本当は翔くんと付き合ってなんかいないんじゃないかって、ずっと思ってた。
だから、わたしは遙香と実際に会って、それがウソなのかどうか確かめるため、わざわざ転校までしたの。
うん、そしたら、そしたらね? わたし、ドジを踏んじゃって……翔くんの家の近くで、大型自動車にひかれて死んじゃった。
いや、あのね、あのね? これはふざけているわけじゃないの。
そのときのわたしなんだけど、遙香のウソを暴くんだって、すごい興奮していて……そしたらさ、赤信号で道路を渡っちゃったわけ。
で、あとは分かるよね。クラクションの直後、わたしは車にひかれてしまったの。
痛かったのは一瞬だったけど、それですぐにわたしは楽になるんだ、そう思っていたのに、それなのに、それなのに……わたしは生きている。
あはは……わたしね、もうとっくに死んでいるんだ。
心臓は動いているのに、確かに死んだってことが分かるの。
ぐちゃぐちゃになった体やビリビリに破れたワンピース、それらはちゃんと元通りになっているけど、それでもわたしのすぐそばには血痕があったし、生々しい肉片もあって、赤黒く染まったワンピースの切れ端もあったから、確かに死んだって分かるの。
だ、だってさ、あのときにわたしは死んだから……だから、生きているはずがないの。
でもなぜかね、わたしは“死んじゃったのに生きている”とかいう目に遭っているらしいのよ。
ねえ、みんな。わたし、怖いよ。怖い……怖い、恐ろしい!」
夏奈さんは思い切り叫ぶと、次第に身体を震わせ、そのまま嗚咽を漏らし始めた。
けれど、それからまもなくして、彼女は我慢できずに大声で泣き出してしまった。
肝心のぼくらはというと、何も動けなかった。
何も言葉を発せなかった。
夏奈さんの背中をさすってやることも、彼女に励ましの言葉をかけてやることもせず、驚きのあまり、ただその場に突っ立っていた。
そんなぼくらを慰めるように、ここでは滅多に聞かないヒグラシの独特な鳴き声が聞こえてきた。
それを聞いて、ぼくはたまらなく悲しくなった。
先ほどまで、ワイワイガヤガヤとしていたのが、まるでウソのようだ。
ウソ。
そう、ぼくらの“罪”は“ウソ”をついたことだ。
一体、どこまでぼくらは愚かだったのだろう。
一体、どこまでぼくらは人を傷つければ、気が済むのだろう。
一体、なんて夏は愚かで残酷なのだろう。
ヒグラシのBGMとともに、ぼくらの美しく楽しい夏と穏やかな日常は幕を閉じた。
なので、とりあえずぼくら四人は一時間を目安に活動することにし、それが終わったあとの待ち合わせ場所を、この二年一組の教室前の廊下に決めた。
話し合った結果、ぼくと遙香さんのチームは校舎の外を担当することになり、環奈と茜は校舎内を見て回ることになった。
ぼくは相棒の遙香さんを連れ、階段で一階まで下り、昇降口で上履きからローファーに履き替えた。
校舎の外に出たとき、ぼくは空の様子を見て驚いた。
昼時に見た屋上の曇り空とは打って変わって、このときの空は晴れ間がのぞき、少しでもぼくらを照らそうと努力していた。
少しだけ、ぼくはうれしくなった。
笑みを浮かべるぼくとは対照的に、遙香さんは先ほどの空のようにどんよりとしていた。
そんな彼女の背中を、ぼくは軽く叩いてやった。
「どうしたのさ、そんなに浮かない顔をして。
嫌な気分なときは、空を見上げてごらん。ほら、空を……おお、なんてきれいな晴れ間なんだ。
これを見たら、嫌な気分がすべて吹き飛んでしまったではないか。
なんたる景色、なんたる気分!」
大げさなぼくの言葉を聞き、遙香さんはわずかに空を見上げ、それから暗そうな声で「まるで、あの世の天使さんが迎えに来てくれそうな空模様だね。わたし、死ぬのかな」とニヒルな笑いを浮かべた。
なるほど、これは重症に違いない。
こうも残念な遙香さんを従えながら、ぼくは彼女とともに校舎の外を歩き回り、様々な生徒に声をかけた。
そして、こちらがその反応。
「え、きみたちがあの悪名高き恋愛反対運動だって? ……悪いことは言わない。きみたちさ、そんなに高校が嫌なら、高校を中退したら? きっとそれがいいよ、うん」
「恋愛反対運動、ですか。うーん、怪しいのはパスで。わたし、まだ人生を棒に振りたくないんです。なので、わたしの前から消え失せてください。ほら、しっしっしっ」
「何、恋愛反対運動……だと? それは幼馴染の香澄とようやく付き合えたおれへの嫌がらせか? 死んどけ、お前ら。
つーかよ、お前らもカップルのくせして、何をふざけたこと抜かしやがる。
さっさとおれの前から消えろや」
「あのさ、そんなことよりも、うちの彼氏が待ち合わせ場所にいないんだけど、あんたら、何か知ってる?
もしも彼氏の居場所を知っていたら、うちの駄菓子をあげるけど……どうする?」
このほかにも、色んな反応があった。
それらの反応に慣れているぼくだが、遙香さんは拒絶反応に慣れていないため、彼女は半泣きになりながら「わたし、なんだってこんな馬鹿げたことを……あは、あはは」とこのとおり、情緒不安定になっていた。
そんな遙香さんを慰めながら、ぼくは彼女とともに署名をしてくれそうな人から、署名用紙を破りそうな人まで、校舎の外を歩き回って声をかけた。
結局、二時間歩き回って、三人の署名しか集まらなかった。
ぼくと遙香さんはグッタリとなりながらも、待ち合わせ場所である一号館三階、二年一組の教室前の廊下まで向かった。
そこにはすでに徹たち四人がいて、彼らは口々に「遅い」と言ってきた。
ぼくらの謝罪を待つことなく、徹はきょうの成果を自慢し、五人にも届かない署名用紙を見せびらかした。
それがあまりにも誇らしげなものだったから、落ち込んでいたぼくの心はたちまち元気になった。
なので、こちらも三人の署名を彼らに見せつけた。
徹たちは歓声を上げたので、なんだかぼくはこそばゆくなった。
あれだけ、半泣きで校舎の外を歩き回っていた遙香さんも、さすがの今度はぼくと同様に誇らしげにしていた。
ぼくらは好きなだけはしゃぎ、それから帰り支度を始めた。
階段を使って一階まで下り、先ほど通った昇降口で、履き替えたばかりの上履きからローファーに履き替える。
校舎の外に出ると、ちょうど詩織さんと勇人がいて、そのままぼくらは話し込んだ。
このとき、夏奈さんはぼくと遙香さんの交際のことをみんなに質問していたが、待ってましたとばかりに彼らは同じようなウソをついた。
「……そっか、二人の交際は本当だったんだね」
一瞬、夏奈さんは暗く沈んだ顔を見せたものの、すぐに彼女はニコリとほほ笑んだ。
「ええい、このバカップルめ」
そのように夏奈さんは叫ぶと、ぼくと遙香さんの背中を豪快に叩いた。
それは新たな笑いを生み出し、さらにぼくらは盛り上がることになった。
ふとスマートフォンの通知を見ると、気になるニュースの通知が届いていた。
ぼくは画面をタップし、ニュースサイトの記事に飛んだ。
「奈蔵市内住宅地にて起こったひき逃げ事件、けれど被害者は生きている。一体なぜ?」
おそらく、今のぼくは顔面蒼白になっていたことだろう。
そのとき、
「翔くんさ、どうかした?」
と夏奈さんがぼくのスマートフォンをのぞき込み、そのまま彼女も青ざめてしまう。
「夏奈? それに翔くんも……どうしちゃったのよ」
そういう遙香さんも、ぼくのスマートフォンの画面を見るなり、顔が固まった。
「なんだなんだ、どうしたのだ、お前たち」
そんなぼくらをいぶかしんだ徹は、ぼくのスマートフォンを取り上げると、例の記事を読み上げた。
「あのう、みなさん。おれには分からないんですが、一体何をそんなに動揺しているんですかね。
ひょっとして、被害者とは顔見知りですか?」
事情を知らない勇人は困惑し、ほかの女性三人は見るからに血相を変えた。
徹はぼくにスマートフォンを返すと、
「これはなんだね、翔、遙香、夏奈。ひょっとして、これは例の衝突事故のことか? え、どうなんだ」
と怒ったような口調で、ぼくらに訊いてきた。
それでもぼくらが答えないのを見て取ると、徹は興奮を静めるように深呼吸をしてから、今度は優しげな口調でぼくらに訊いた。
「なあ、お前たち。分かるのならば、教えてくれ。だっておれたち、仲間だろう? おれを信じてみろ」
力強い徹の言葉。
その言葉に揺さぶられたのか、とうとう夏奈さんは「実はね、みんな」とぼくらに真実を話す気になった。
それは一人の少女の話であると同時に、死者になり損ねた少女の悲しい真実だった。
不穏な風――それがこちらに吹くと同時、夏奈さんはぼくらに真実を語った。
「わたしさ、遙香がウソをついているんじゃないかって……本当は翔くんと付き合ってなんかいないんじゃないかって、ずっと思ってた。
だから、わたしは遙香と実際に会って、それがウソなのかどうか確かめるため、わざわざ転校までしたの。
うん、そしたら、そしたらね? わたし、ドジを踏んじゃって……翔くんの家の近くで、大型自動車にひかれて死んじゃった。
いや、あのね、あのね? これはふざけているわけじゃないの。
そのときのわたしなんだけど、遙香のウソを暴くんだって、すごい興奮していて……そしたらさ、赤信号で道路を渡っちゃったわけ。
で、あとは分かるよね。クラクションの直後、わたしは車にひかれてしまったの。
痛かったのは一瞬だったけど、それですぐにわたしは楽になるんだ、そう思っていたのに、それなのに、それなのに……わたしは生きている。
あはは……わたしね、もうとっくに死んでいるんだ。
心臓は動いているのに、確かに死んだってことが分かるの。
ぐちゃぐちゃになった体やビリビリに破れたワンピース、それらはちゃんと元通りになっているけど、それでもわたしのすぐそばには血痕があったし、生々しい肉片もあって、赤黒く染まったワンピースの切れ端もあったから、確かに死んだって分かるの。
だ、だってさ、あのときにわたしは死んだから……だから、生きているはずがないの。
でもなぜかね、わたしは“死んじゃったのに生きている”とかいう目に遭っているらしいのよ。
ねえ、みんな。わたし、怖いよ。怖い……怖い、恐ろしい!」
夏奈さんは思い切り叫ぶと、次第に身体を震わせ、そのまま嗚咽を漏らし始めた。
けれど、それからまもなくして、彼女は我慢できずに大声で泣き出してしまった。
肝心のぼくらはというと、何も動けなかった。
何も言葉を発せなかった。
夏奈さんの背中をさすってやることも、彼女に励ましの言葉をかけてやることもせず、驚きのあまり、ただその場に突っ立っていた。
そんなぼくらを慰めるように、ここでは滅多に聞かないヒグラシの独特な鳴き声が聞こえてきた。
それを聞いて、ぼくはたまらなく悲しくなった。
先ほどまで、ワイワイガヤガヤとしていたのが、まるでウソのようだ。
ウソ。
そう、ぼくらの“罪”は“ウソ”をついたことだ。
一体、どこまでぼくらは愚かだったのだろう。
一体、どこまでぼくらは人を傷つければ、気が済むのだろう。
一体、なんて夏は愚かで残酷なのだろう。
ヒグラシのBGMとともに、ぼくらの美しく楽しい夏と穏やかな日常は幕を閉じた。
