その後もぼくはリビングに残り、先ほど姉がしていたようなだらしない格好で、テレビを見ていた。

 テレビでは、夕方のニュース・情報番組「ニュース・ヤマト」が流れていた。
「ニュース・ヤマト」のメインキャスターたちは、来月の八月十三日に極大日を迎えるペルセウス座流星群について、意見を述べているところだった。

 ちなみにペルセウス座流星群とは、三大流星群のひとつで、ペルセウス座ガンマ星の一点を中心に四方八方広がる流星群のことだ。
 出現時期は七月中旬から八月中旬までだが、特に流星が多く出現する極大日には、一時間におよそ五十個程度の流星が観測されるという。

 そのペルセウス座流星群だが、メインキャスターたちによると、今年の極大日は大出現を超える観測らしく、一時間に千個以上の大出現、いわゆる流星雨なのだとか。
 ここまでの流星群は、二〇〇一年十一月十八日から十九日にかけての流星雨、しし座流星群以来で、興味深いことに今年のペルセウス座流星群の流星数は、二〇〇一年のしし座流星群をはるかに凌駕するのだという。

 流星数、観測条件ともによし。
 あと必要なのは、ともに星空を見上げてくれる恋人だろう。

 もっとも、ぼくは恋人のふりをしてくれる遙香さんを辱め、泣かした挙句、その場に置き去りにしてしまったが……果たして、彼女は無事だろうか。
 不意に心配になってきた。

「ニュース・ヤマト」では次のニュースに移るため、メインキャスターの男性がロマンチックに話を締めくくっていた。

「大人になるにつれ、わたしたちは星空を見上げることを忘れてしまい、学校や会社、歓楽街や家の中で時を過ごすようになります。
 たまにはわたしたちも生きづらい世の中から目をそらし、身近にあって身近にないような星空を見上げてみるのも、時には必要なのかもしれません。
 ――それでは次のニュースです」

 ペルセウス座流星群のニュースが終わると同時に、母の大浦奏(おおうらかなで)が帰宅してきたようだった。

 どうやら玄関にいる母は誰かと一緒らしく、リビングからでも母の愛想がいいのが分かる。

 母はぼくの名前を大声で呼ぶと、思い切り怒鳴った。
 そのときになって、ぼくは客人が誰なのかを知った。

「あんた、遙香ちゃんと星空公園で待ち合わせをしているっていうのに、どうして家にいるのよ。
 それだから、あんたはいまだに彼女がいないのよ、このチェリーボーイ!」

 余計なお世話だ、とぼくは玄関にいる母に怒鳴り返そうと思ったが、すぐに思いとどまる。

 あそこまでされた遙香さんがぼくの母に接触したということ、それはすなわち、彼女には作戦があるということだ。
 だとすると、本丸を攻められたぼくは、いつもより慎重に行動しなくてはならない。

 方針決定。
 ぼくはそそくさと玄関に向かった。

 玄関の土間では、不気味なくらいに笑顔の遙香さんと眉間にシワを寄せた母がいて、思わずぼくは尻込みしてしまった。

 すでに遙香さんは学生服から私服に着替えていて、その事実はぼくを震え上がらせた。
 恐ろしい。

 恐ろしいといえば、母のほうもなかなか恐ろしくなっていた。
 いつもは温かなまなざしの母も、今やヤクザ同然のおっかない目付きになっていて、温かさの欠片もなかった。

 土間付近の廊下には、食材や食品などが詰め込まれたエコバッグが通せん坊のように並べられ、なんだかそれはぼくらを隔てる境界線のようでもあった。

 まだぼくをいじめ足りない母は、なおもぼくを責めようとしたが、それを遙香さんは遮る。

「わたしたち急ぎますから、急用でなければ、あとで翔くんを叱ってください。
 ――ほら、翔くんったら、早く靴を履いてよね」
「いや、まだ靴下を履いていないんだけど……」
「だったら、翔くんが靴下を履くのを待っていてあげるから、履いてきて。あ、ゆっくりでいいからね」

 遙香さんは優しげに言うと、ぼくにほほ笑みかける。

 怪しい。
 怪しすぎる。

 ぼくは一歩二歩後退し、それからクルリと二人に背を向け、見えない涙をこぼしながら、一気に階段を上った。

 二階の自室に素早く入ったぼくは、間髪をいれずに内開きの扉を隙間なく閉めると、それから靴下を取りに行く。
 世界最高記録にも届きそうなほど、急いで靴下を履いたぼくは、すぐさま部屋から出ようと、勢いよく扉を内側に開けた。

 驚くことに、開け放たれた扉の前には姉が立っていた。

 姉は大層驚き、その場に膝から崩れ落ちてしまった。
 ぼくも驚いたが、姉はその何倍も肝を冷やしたことだろう。

「姉さん、しっかりしてよ」

 床に座り込んでしまった姉を、あわててぼくは抱きかかえる。
 姉は力弱くほほ笑み、「姉さん、もうダメみたい」と弱音を吐いた。

「翔、姉さんがいなくとも、あんたは力強く生きるのよ? 姉さん、翔を信じているからね」
「……分かったよ、姉さん」

 姉は力なくうなずこうとしたが、そのまま力尽きた。
 茶番ではあるが、今のぼくには茶番が必要不可欠だった。

 ありがとう、とぼくはつぶやき、姉を床に寝かし付けてから、開いていた姉のまぶたを閉じた。
 それから思い出したように、全速力で階段を駆け下りた。

 すでに母はエコバッグを持ってリビングに移ったようで、玄関には遙香さんが一人残っていた。
 そこでようやく、遙香さんは本性を現した。

「行くよ、この外道。あ、チェリーボーイだっけ?」

 反論? 言い返す?
 残念ながら、ぼくにとってそれらは屈辱となる。

 おとなしくぼくは降参し、遙香さんに頭を下げて謝罪をした。

「謝るのはいいから、さっさと星空公園に行くよ。そこで話をするから、今は黙って付いてきて」

 ぼくが顔を上げたとき、すでに遙香さんは玄関から出ていた。

 あわててぼくは外に出て、早足で歩く遙香さんのあとを付いていった。

 ぼくらが運命的な出会いを果たした、星空公園。
 そこにぼくらは向かった。