「あ、あの、ふ、ふじ、藤沢先輩」
震える声で、文庫本を読んでいる先輩へと話しかける。すると先輩は、表情ひとつ変えずに私の方へと視線を向けた。まつげ、長いなあ。ってそんなこと考えてる場合じゃなくて!
「あの、お花、ほんっとうにすみませんでした!!!」
ガバッと、カタカナの効果音が着くくらい勢いよく頭を下げる。そもそも、私みたいな庶民が気軽に話せる相手でもないのに、こんな風に保健室で2人きりになっていることさえあり得ないのだ。(というか、何故藤沢先輩がここにいるのかも不明すぎる!)
「ああ、それより、怪我はなかった?」
え、と。おそるおそる顔を上げると、やんわりと優しく微笑む藤沢先輩の姿がある。
「えっと、私は全然、水に濡れたぐらいで……」
「そう、ならよかった。怪我でもしてないかと思って、様子を見にきただけだから」
そんな先輩の言葉とやさしい声に、一気に力が抜けていく。どうしよう。先輩、やさしい。そしてかっこいい。私は人生ではじめて自分の胸がときめく音を聞いた。
さっきの保健の先生との会話もそうだけれど。自分の作品をぐちゃぐちゃにされたのに、顔色ひとつ変えず、むしろ私の心配をしてくれるなんて、もしかしてこの人は聖人君主か何かだろうか?!?!
「すみません、心配おかけしちゃって……」
「いや、いいよ、それより君が怪我でもした方が大変だし」
「そんな、先輩、優しすぎます……」
「─────なんて言うとでも思った? クソガキ」
………え?
突然低くなった先輩の声にフリーズする。今なんて言った? ……クソガキ?
先輩の顔は変わらず穏やかに笑っていて、さすがに私の聞き間違いか何かと思ったけれど、よく見れば目の奥が全然笑ってない。そう、ぜんっぜん。
えっと、あれ、これはもしかして、わたしは本格的にやばいことをしてしまったのではなかろうか?
一瞬恋にでも落ちるかと思った藤沢先輩へのイメージがガラガラと音をたてて崩れていく。
「怪我でもしてたら大変だと思ったけど、元気そうなら話は別」
「え、えっと、あの、」
「キミさ、俺がどれだけ多忙の中あの作品仕上げたかわかってる?」
「え、えっと、せんぱ……」
「言っておくけど、値段にしたら100万円。一体キミみたいな凡人が、どうやって償ってくれるの?」
にこやかな顔色は一切変えず────いや目の奥は1ミリたりとも笑っていないのかもしれないが────藤沢先輩は180センチはあるであろう長身をパイプ椅子から離し、震える私に詰め寄ったのだった。



