「さて、この話はいったん終わり。────キミ、なんで涙目なの? 泣かせたのは凌?」
ぞくり、寒気を覚えるほど冷ややかな瞳が、五十嵐くんのほうへと静かにスライドする。
「……っ、や、オレじゃないよ。この子が勝手に泣き始めただけで」
「どうかなあ、お前は昔から口が悪いし」
「ほんとだって! てか。この子が泣いたの、元をたどれば睦君が───」
「っ、いや違います私がっ……です!」
またもや咄嗟に大きな声が出てしまった。そしてよくわからない文脈の日本語を喋ってしまった。
でもだって、知られちゃいけないんだもん。先輩の美しさやら優しさやら才能やらを思い出してたらなんか勝手に涙が出てきちゃいました、なんてこと。
「五十嵐くんの言うとおり私が勝手に泣いただけで……というか、あの、ゴミが入ったんです、目に、それがすごく痛くて!」
ベタな言い訳だけど、そういうことにしておいてよ、目にゴミなんて普通によくあることでしょ? これ以上何も言わないでねお願い、と、五十嵐くんに懇願の視線をおくる。
「…………だそうです」
沈黙ののち、五十嵐くんがぼそっとそう言ってくれた。
藤沢先輩は釈然としない様子だけれど、それ以上言及してくる気配はない。とりあえず安堵。
「ふうん、まあいいや。生徒会室に呼ばれてるから俺はもう行くよ。北森さんは放課後、裏門で待ってて」
「っえ、は」
「昨日みたく俺が教室まで迎えに行ってもいいんだけど」
「そ……れは、かなり目立つのでご勘弁いただけたら嬉し───」
「うん、でしょ? だから裏門ね。逃げたら許さないから」
最後にニコっとひと笑いして、藤沢先輩は去っていった。
………こわいっ!
あいかわらず目の奥ぜんっぜん笑ってない……!!
冷淡さが漂うのはもちろん、加えて、獲物を逃すまいとする野性的なおそろしさも潜んでいる。
先輩が去ってもなお鳴り止まない激しい鼓動に重なって「ビーッ、ビーッ」と警報が聞こえてくるよう。そして、そのすぐそばではテールランプがせわしなく点滅している。チカチカクラクラ、目眩をも覚えそうだ。
すみません。
優しいなんて言ったアレ、撤回させてください。
100万円の借金がなかったなら、なるべく関わりたくない人物ナンバーワンかもしれない。
だけどもやはり、藤沢先輩に魅せられたのは事実。花を生ける姿はもちろん、普段の彼の雰囲気をかたちづくるすべてが────洗練された所作、低く落ち着いた声、翡翠を溶かしたような髪、しまいには左目の泣きぼくろですらも────軽率に、世界で一番うつくしいと感じてしまったほどに。
ああほんとうに。“美しさは罪”だ。優れているのが容姿だけなら、こうは思わなかったはず。
先輩の周り半径1メートルは私のような凡人には触れることすら許されない聖域みたい。彼を前にすると自分のすべてが浅はかに見えてくる。
笑っているようで笑っていないから、毒舌だから、ことあるごとに私をからかってくるから……だから"苦手”なのだと思っていたけれど。
たった今、わかった気がする。完璧とは、人を惹きつけると同時に、おなじくらい人を遠ざけてしまうものなのかも。
藤沢睦先輩って、優しくないし易しくない。



