まだ記憶に新しすぎて間違えるはずもない。
幻聴ではなかったようだ。
ぎこちない動きで振り向けば、そこにはやっぱり藤沢睦先輩がいた。
「せんぱ……どうしてここに」
向かいの五十嵐くんも、再びフリーズしている。
今はまだ朝の7時。
早めに来たのは他の生徒から注目を浴びないようにするためでもあるけれど、藤沢先輩と顔を合わせないようにするためでもあった。
会いたくない……わけじゃない。
藤沢先輩の生ける花の価値を目の前でわからせられた今、むしろ荷物持ちでも秘書でもその他どんな命令でも下僕のように従います! という気概がある。
ただ……なんというか、やはり……。
昨日、先輩の美しさと優しさと才能に魅せられてしまった以上、どうしても緊張してしまうのだ。
花を生ける優美な姿が目に焼き付いているせいで、心の中であの瞬間を何度も繰り返してしまう自分がいて。
近くにいたら、先輩のどんな些細な動作にも過剰に反応してしまう気がしてならない。
ただの挙動不審だと笑ってくれる相手ならいいのだけど、 『こんなんじゃ身もたないよ、ガキ』なんて言ってからかってくる人だから。
実際、今この瞬間の私の心音は、ヘビメタのドラムかな?ってくらい激しい。
「どうしてここに、は俺のセリフだよ。朝家に迎えに行ったらいないし……やっと見つけたと思えば他の男とふたりきり。とんだ不届き者だね」
「……はぇ?」
い、家に迎えに行った……?!
あの藤沢先輩が?! 朝一番に、私の家に?!
「そんな、っ、私聞いてないですよ迎えに来るなんて」
「俺はちゃんとスマホに連絡入れたよ」
「え、スマホ……」
そういえば、荷物持ち兼秘書に任命された流れで昨晩連絡先を交換したのだった。
しかしながら、早めに学校に行くぞと思いつつ今朝は少々寝坊してしまったので、スマホをチェックするのを忘れていた。
慌ててポケットから取り出せば、たしかに。【藤沢睦】の名前で2件の通知が入っている。
「すみません……見てませんでした……」
「まったく呆れる。俺の雑用係なんだから朝から晩まで俺のそばにいるべきでしょ?」
あれまあ、荷物持ち兼秘書から雑用係なんて名称にしれっと降格(?)させられてしまった。
まあ、ここには五十嵐くんがいるからね。ヘンな誤解生まないようにってことかな。
朝から晩までそばにいるって、恋人みたいだもんね。
ウン、恋人………。
こ、恋人……かあ……。
ワンテンポ遅れて、首から上が順番に熱くなっていく。
「で、でもっ、私じゃなくても、藤沢先輩には澤村さんがいるじゃないですか」
抑えきれないどきどきを隠すように、思わず反論が飛び出した。
対する藤沢先輩は、はあ? と呆れ顔。
「あのね、当たり前だけど澤村は学校の中まで付いてくるわけじゃないんだよ。そのあいだは誰が俺の荷物持ちとスケジュール管理をするの?」
「う……」
「キミしかいないよね、北森さん」
「……ハイ」
圧に押されるままうなずけば、藤沢先輩は満足げに微笑んだ───はずだった。のに。
次に瞬きをした刹那、その笑顔はあとかたもなく消え去っていた。



