練習の終わった後。
「…ただいま」
最低限の音量でそう呟いて、気配を殺して自室へ続く階段に急いだ。
自分の家なのに気づかれないように入るだなんて、我ながら馬鹿げてる。
「待ちなさい、菜乃花」
背後から不意打ちでかかった声に、びくりと肩が跳ねる。
…お母さんの声だ。
娘への愛情なんてこれっぽっちも見つけられない冷え切った声を、間違えるわけもない。
そう認識した途端、油の足りないロボットみたいに身体ががちりと固まった。
ぎぎぎっ、と音がするくらい不自然にゆっくりと後ろを振り返る。
「…あ、お母さん、ただいま」
なんでもないふうを装った声は、それでも少し震えていた。
どうにか笑顔を作ってみたけど、きっと上手く笑えてない。不自然に引きつった笑顔になってるはずだ。
お母さんは何も答えない。
お母さんは何にも言ってないのに、その視線を受けるだけで責め立てられている気になる。
いつもそうだった。
あの目が、そうさせるのだ。
嫌な、予感がする。
「この前の模試、返ってきてたわよ」
温度のない声に、温度のない視線。
背中を嫌な汗が流れて、口の中がカラカラになっていく。
お母さんが持っている模試の結果。
先日ネットで結果が出ていたから、もう点数も順位も知っている。
だからこそ、今日まで話題に出さずに乗り切ろうとしてきたのに。
「…こっちに来なさい」
そうお母さんの低い声が響いて、ぐいっと強く手首をつかまれた。痛い、と思う間も無くこの状況に慣れきってしまった足が勝手に前に出た。
そのまま引きずられるようにして、強制的にダイニングテーブルでお母さんと向き合った。
目の前に模試の結果がたたきつけられる。
「十八位ですって!?校内順位で一桁にも入れないなんて、どういうことなの?あなたには勉強しか取り柄がないんだから、それすらおろそかにしてどうするのよ!!」
ああ、また始まった。
開口一番にヒステリックな声で畳み掛けるように怒鳴られる。そんな風に言ったら伝わるものも伝わらないと思うけれど、反論を返す口はあいにく私には付いていない。
反論なんてすれば、この時間が長引くだけだって経験上分かっていた。
「…ごめんなさい、次はちゃんとするから…」
なるべく体を小さく縮こまらせて、一番に謝罪を口にする。
感情を殺せ、言葉を殺せ。
「もう聞き飽きたわよ、その言葉。どうせ次も大した成績じゃないんでしょう?どうして努力しないのよ。あなたの本気はこんなものじゃないでしょう?」
ーーそんなことない。
口元まで出かかった言葉を必死に飲み込んだ。
言い訳じみたことを口にしたって、この時間が長くなるだけだともう知っている。
お母さんは私のことをなんだと思ってるの。
今回の模試だって、決して手を抜いたわけじゃない。一ヶ月前から範囲を確認して勉強して、その結果がこれなのだ。
それなのに、どうしてわかろうとしてくれないんだろう。どうしてお姉ちゃんと同じようにできると思っているんだろう。
私は、私でしかないのに。わたしなりに頑張っているのに。
「……努力はしたよ…」
心の中にはいろんな言葉と感情が渦巻いているくせに、結局口にできたのはそれだけで。
その一言さえ顔を見て言うことはできなかった。
「言い訳なんてみっともないと思わないの!?努力したなんて誰にでも言えるわよ!……数字として出ないものなんかに、価値なんてないわ」
あぁ、またその口癖だ。
お母さんにとっては結果が全てで、そこに至る過程にはこれっぽっちも興味がない。
絶対に揺らがない評価である数字しか見ていない。私のことなんて、何にも見てない。
そして、私も。
私もたぶん…クラスメートたちが言うようにいつの間にか数字ばっかり見て人を見下す人間になってしまった。
一番なりたくないものに近づいていう自分が、どうしようもなく醜いものに思えて仕方がない。
「頼むから、そこらの有象無象にはならないでよね。涼花の妹なんだからあなたならできるでしょう?お母さんはあなたに期待して言ってるんだから」
期待してる、なんて見え透いた嘘をつかないでよ。お母さんが期待してるのはお姉ちゃんだけでしょ。
そんな言葉をぐっと飲み込んで、拳を握る。
ここで口ごたえなんかしたら、今までの時間が水の泡だ。
「…うん、分かってる…頑張るから」
お母さんははぁ、と一度大きくため息をついて席を立った。それがいつも、この地獄の時間の終わりの合図だった。
「…もういっていいわ。…次の結果、期待してるから」
期待しているわけないってことぐらい、私だってわかってる。
わかっているのに、期待なんて存在しないって知っているのに、その重圧に押しつぶされて消えてしまう気がした。
「…うん」
お母さんの視線が私から逸れたのを確認して、わたしは急いで二階の自分の部屋に逃げ込んだ。
「…ただいま」
最低限の音量でそう呟いて、気配を殺して自室へ続く階段に急いだ。
自分の家なのに気づかれないように入るだなんて、我ながら馬鹿げてる。
「待ちなさい、菜乃花」
背後から不意打ちでかかった声に、びくりと肩が跳ねる。
…お母さんの声だ。
娘への愛情なんてこれっぽっちも見つけられない冷え切った声を、間違えるわけもない。
そう認識した途端、油の足りないロボットみたいに身体ががちりと固まった。
ぎぎぎっ、と音がするくらい不自然にゆっくりと後ろを振り返る。
「…あ、お母さん、ただいま」
なんでもないふうを装った声は、それでも少し震えていた。
どうにか笑顔を作ってみたけど、きっと上手く笑えてない。不自然に引きつった笑顔になってるはずだ。
お母さんは何も答えない。
お母さんは何にも言ってないのに、その視線を受けるだけで責め立てられている気になる。
いつもそうだった。
あの目が、そうさせるのだ。
嫌な、予感がする。
「この前の模試、返ってきてたわよ」
温度のない声に、温度のない視線。
背中を嫌な汗が流れて、口の中がカラカラになっていく。
お母さんが持っている模試の結果。
先日ネットで結果が出ていたから、もう点数も順位も知っている。
だからこそ、今日まで話題に出さずに乗り切ろうとしてきたのに。
「…こっちに来なさい」
そうお母さんの低い声が響いて、ぐいっと強く手首をつかまれた。痛い、と思う間も無くこの状況に慣れきってしまった足が勝手に前に出た。
そのまま引きずられるようにして、強制的にダイニングテーブルでお母さんと向き合った。
目の前に模試の結果がたたきつけられる。
「十八位ですって!?校内順位で一桁にも入れないなんて、どういうことなの?あなたには勉強しか取り柄がないんだから、それすらおろそかにしてどうするのよ!!」
ああ、また始まった。
開口一番にヒステリックな声で畳み掛けるように怒鳴られる。そんな風に言ったら伝わるものも伝わらないと思うけれど、反論を返す口はあいにく私には付いていない。
反論なんてすれば、この時間が長引くだけだって経験上分かっていた。
「…ごめんなさい、次はちゃんとするから…」
なるべく体を小さく縮こまらせて、一番に謝罪を口にする。
感情を殺せ、言葉を殺せ。
「もう聞き飽きたわよ、その言葉。どうせ次も大した成績じゃないんでしょう?どうして努力しないのよ。あなたの本気はこんなものじゃないでしょう?」
ーーそんなことない。
口元まで出かかった言葉を必死に飲み込んだ。
言い訳じみたことを口にしたって、この時間が長くなるだけだともう知っている。
お母さんは私のことをなんだと思ってるの。
今回の模試だって、決して手を抜いたわけじゃない。一ヶ月前から範囲を確認して勉強して、その結果がこれなのだ。
それなのに、どうしてわかろうとしてくれないんだろう。どうしてお姉ちゃんと同じようにできると思っているんだろう。
私は、私でしかないのに。わたしなりに頑張っているのに。
「……努力はしたよ…」
心の中にはいろんな言葉と感情が渦巻いているくせに、結局口にできたのはそれだけで。
その一言さえ顔を見て言うことはできなかった。
「言い訳なんてみっともないと思わないの!?努力したなんて誰にでも言えるわよ!……数字として出ないものなんかに、価値なんてないわ」
あぁ、またその口癖だ。
お母さんにとっては結果が全てで、そこに至る過程にはこれっぽっちも興味がない。
絶対に揺らがない評価である数字しか見ていない。私のことなんて、何にも見てない。
そして、私も。
私もたぶん…クラスメートたちが言うようにいつの間にか数字ばっかり見て人を見下す人間になってしまった。
一番なりたくないものに近づいていう自分が、どうしようもなく醜いものに思えて仕方がない。
「頼むから、そこらの有象無象にはならないでよね。涼花の妹なんだからあなたならできるでしょう?お母さんはあなたに期待して言ってるんだから」
期待してる、なんて見え透いた嘘をつかないでよ。お母さんが期待してるのはお姉ちゃんだけでしょ。
そんな言葉をぐっと飲み込んで、拳を握る。
ここで口ごたえなんかしたら、今までの時間が水の泡だ。
「…うん、分かってる…頑張るから」
お母さんははぁ、と一度大きくため息をついて席を立った。それがいつも、この地獄の時間の終わりの合図だった。
「…もういっていいわ。…次の結果、期待してるから」
期待しているわけないってことぐらい、私だってわかってる。
わかっているのに、期待なんて存在しないって知っているのに、その重圧に押しつぶされて消えてしまう気がした。
「…うん」
お母さんの視線が私から逸れたのを確認して、わたしは急いで二階の自分の部屋に逃げ込んだ。

