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「ねぇ、瀬川って兄弟いるの?」
「いや、俺は一人っ子だけど…篠宮は?」
「あー…お姉ちゃんが一人。今大学生」
自分で話題を振っておいて、これは間違えたなと今更ひしひしと感じる。
私にとってはあんまり話したい話題じゃない。なんなら出来れば避けたいものだった。
「へぇーどんな感じ、篠宮に似てるの?」
「…似てないよ、全然」
瀬川には悪気なんて一切なくて、ただ話の流れでそう聞いたのは分かってる。
それでもトーンを落とさないようにするのは無理だった。
無意識のうちに視線が机に落ちる。
そんな私のあからさまな態度のせいで、その場に気まずい空気が漂い出す。
手持ち無沙汰そうに頬杖をついた彼は、きっと私に返す言葉を探していたのだろう。
「…仲悪いの?」
ぽつり、と少しの間の後彼がこぼした言葉に対し、私は力なく頭を横に振った。
視線を瀬川に戻すけど、その目を真っ直ぐ見る気力はなくて微妙に視線を逸らす。
「…ううん、そんなことない。全部私が勝手に嫉妬してるだけ」
本当に、姉には非なんてどこにも無かった。
運動も出来れば勉強も出来て、明るい性格から人望も厚い…そう、側から見たら“理想の姉”。
でも私はその優秀な姉の存在があったから、ずっと比較され続けてきた。
今まで誰かに打ち明けることはなかったけど。
瀬川なら、と思ってわたしの根本にある、優秀な姉とその両親のことをぽつぽつと口に出す。
「小学校の頃はよく言われたの、私もあんなお姉ちゃんが欲しい、菜乃花ちゃんが羨ましいって。」
その言葉を皮切りに、私はやり場のない溜め込んでた思いを吐露した。
小学校の頃から姉はすでに遠かった。
生徒会長を務め、校内の学力テストではいつも一位。通知表は毎年オール五。
学校ではおおっぴらに自慢することをしない姉だが、家で両親にありったけ褒められていたのを私は一番近くで見せられてきた。
…それに対して、私は全然ダメだった。
クラスではいつも息を潜めて、虐められはしないようにするのに必死だった。
生徒会長どころか、クラス委員さえ一回たりとも務めたことはない。
おまけに運動もてんでダメで、体育の成績はずっと三続き。
勉強だけは人よりも出来たけれど、それだって優秀な姉には到底及ばなかった。
校内順位はどうにか一桁前半を保てるくらいで、それでは姉の成績に慣れた両親が満足しないのなんて分かりきったことだった。
『どうして菜乃花には出来ないのよ、お姉ちゃんは出来てたのに。』
『出来ないならもっと努力しなさい。菜乃花、お母さんはね、出来ないのに頑張らない人が一番嫌いなのよ…分かるでしょう?』
正確には比べていたのはお母さんがほとんどだった。
彼女は事あるごとにお姉ちゃんのことを持ち出しては、どうして同じように出来ないのと言葉で私をなじった。
お父さんは表向きには何も言わなかった。
…私の成績が姉に比べて劣っていても、私の人間関係があまり上手くいってないことを母親経由で聞いても。
『菜乃花には菜乃花の事情があるんだろう。本人がいいならそれでいいんじゃないか』
父は、母が私に小言を言うのを見てはいつもそう言った。
だから中学に入りたてだった私は、父は自分の味方だと信じて疑わなかったのだ。
…でも、私がそうでないと気づくのに、それから一年もかからなかった。
中学一年の頃に一度、当日に体調を崩して校内順位で一桁を逃したことがある。
出来が悪かったのは自分でも痛いほど分かっていて、結果が返ってくる日が酷く億劫だった。
案の定、母は私を怒鳴った。
一時間近く続いた説教と愚痴がようやく終わりそうになった頃、ガチャリとドアが開く音がして仕事から帰宅した父が説教現場に鉢合わせた。
母はここぞとばかりに私の成績を父に突きつけ、いかに私がダメな子かと語りつづけていた。
『別に、いつもと大して変わらないじゃないか。そんなに怒鳴らなくてもいいだろう』
瞬間、私は耳を疑った。
『大して変わらないですって!?ただでさえ鈴華に劣ってたのに、今回は一桁でさえ無いのよ!本当信じらんない』
顔を真っ赤にする母に対して、父は眉を上げるだけでその全てを聞き流した。
『悪いけど疲れてるんだ。また後にしてくれないか』
平然とそう言い放って、父は母と私を取り残して自室へと続く階段を上っていった。
『ちょっと、あなた!』
その後を母が追いかけ父の自室で小言をこぼす隙に、私は素早く自室に駆け込んで扉を閉めた。
目についた数学のプリントをめちゃくちゃに破った。床に置きっぱなしにしていた教科書をベッドに叩きつけた。
――いつもと大して変わらないじゃないか。
その日ばかりは、母の小言さえどうでもよくなった。
父のその一言だけがぐるぐると頭の中を回って、母親が言っていたことはろくに思い出せもしなかった。
悔しくて悔しくて、きつく拳を握りしめた。
その日初めて、父は私のことを姉と比べていないのではなく、そもそも私という存在に興味がないのだと悟った。
あの人は、ハナから私に期待なんかしてないのだ。
母みたいに比べることをしないのは、そもそも私が出来るとも思っていないから。
思えば、父は一応擁護するそぶりを見せながらも、それ以上私を肯定することはなく母を止める事もしなかった。
そうしてやっと父の本質に気づいた。
結局父は、あの家の中で可哀想で不出来な娘を母親から擁護する父親像に酔っているのだ。
そんな自分に酔っているくせに、一番可愛いのは自分だから最低限の擁護しかしない。
そもそも父は、私に無関心だった。
「――だから…お姉ちゃんは別に悪くなくて。私が勝手に劣等感から避けてるだけ」
姉は私のことを見下したりしなかった。
それこそ小学校の頃なんかは、分からない問題がある度に姉の部屋を訪ねたものだった。
自身の宿題も途中のまま、私に勉強を教えてくれるような…本当に、私にはもったいない優しい姉なのだ。
今だって、顔を合わせれば大丈夫かと心配してくれる。
それを毎回、私が何でもないと避け続けているだけ。
窓から冷たい風が吹き込む。
身体を縮こまらせていると、瀬川が黙って席を立ち窓を閉めてくれる。
流れる沈黙に耐えられなくなって、「ごめん、こんな話…」と呟く。
「…俺の方こそ、聞き出してごめん」
「…気にするな、なんて無責任なこと言えない。篠宮のことは、結局篠宮自身しか分からないだろうから」
「――でも」
「そんな親の勝手な決めつけのせいで、自分でも自分のこと認められないのはもったいない、と思う」
瀬川の言葉に、内心自嘲する。
認めるも何も。そんな風に思えるところが、私には何もない。
「...まあ、親の言葉もあるけど。お姉ちゃんのほうが優秀なのは事実だから」
「でも、篠宮には篠宮の良さがあるだろ」
「…そんなの、ないよどこにも」
少なくとも私には何一つ思い当たらない。
「…真面目で、真っ直ぐで、努力家だし。あと心の機微に敏感でよく周りのことを見てる」
「なんかそれ、別人みたい」
あまりに自分に当てはまらなくて、おかしくってくすりと笑いがこぼれた。
でも瀬川の目はいたって真剣で、彼が冗談でそんなことを言ってないのが分かった。
そのまっすぐな視線が、私にはまぶしくていたたまれない。
私はたぶん、瀬川にそう言ってもらっていい人間ではないから。
「…少なくとも、俺から見た篠宮はそうだけどな」
目を逸らした私に、それでも瀬川はそう念を押した。
「人は所詮信じたいもんを信じてんだからさ、都合のいい言葉を信じたらいいじゃん」
「信じたい言葉…」
「そう。親からの否定の言葉ばっかじゃなくてさ、少しでいいから俺の言葉も信じてみてよ」
「ねぇ、瀬川って兄弟いるの?」
「いや、俺は一人っ子だけど…篠宮は?」
「あー…お姉ちゃんが一人。今大学生」
自分で話題を振っておいて、これは間違えたなと今更ひしひしと感じる。
私にとってはあんまり話したい話題じゃない。なんなら出来れば避けたいものだった。
「へぇーどんな感じ、篠宮に似てるの?」
「…似てないよ、全然」
瀬川には悪気なんて一切なくて、ただ話の流れでそう聞いたのは分かってる。
それでもトーンを落とさないようにするのは無理だった。
無意識のうちに視線が机に落ちる。
そんな私のあからさまな態度のせいで、その場に気まずい空気が漂い出す。
手持ち無沙汰そうに頬杖をついた彼は、きっと私に返す言葉を探していたのだろう。
「…仲悪いの?」
ぽつり、と少しの間の後彼がこぼした言葉に対し、私は力なく頭を横に振った。
視線を瀬川に戻すけど、その目を真っ直ぐ見る気力はなくて微妙に視線を逸らす。
「…ううん、そんなことない。全部私が勝手に嫉妬してるだけ」
本当に、姉には非なんてどこにも無かった。
運動も出来れば勉強も出来て、明るい性格から人望も厚い…そう、側から見たら“理想の姉”。
でも私はその優秀な姉の存在があったから、ずっと比較され続けてきた。
今まで誰かに打ち明けることはなかったけど。
瀬川なら、と思ってわたしの根本にある、優秀な姉とその両親のことをぽつぽつと口に出す。
「小学校の頃はよく言われたの、私もあんなお姉ちゃんが欲しい、菜乃花ちゃんが羨ましいって。」
その言葉を皮切りに、私はやり場のない溜め込んでた思いを吐露した。
小学校の頃から姉はすでに遠かった。
生徒会長を務め、校内の学力テストではいつも一位。通知表は毎年オール五。
学校ではおおっぴらに自慢することをしない姉だが、家で両親にありったけ褒められていたのを私は一番近くで見せられてきた。
…それに対して、私は全然ダメだった。
クラスではいつも息を潜めて、虐められはしないようにするのに必死だった。
生徒会長どころか、クラス委員さえ一回たりとも務めたことはない。
おまけに運動もてんでダメで、体育の成績はずっと三続き。
勉強だけは人よりも出来たけれど、それだって優秀な姉には到底及ばなかった。
校内順位はどうにか一桁前半を保てるくらいで、それでは姉の成績に慣れた両親が満足しないのなんて分かりきったことだった。
『どうして菜乃花には出来ないのよ、お姉ちゃんは出来てたのに。』
『出来ないならもっと努力しなさい。菜乃花、お母さんはね、出来ないのに頑張らない人が一番嫌いなのよ…分かるでしょう?』
正確には比べていたのはお母さんがほとんどだった。
彼女は事あるごとにお姉ちゃんのことを持ち出しては、どうして同じように出来ないのと言葉で私をなじった。
お父さんは表向きには何も言わなかった。
…私の成績が姉に比べて劣っていても、私の人間関係があまり上手くいってないことを母親経由で聞いても。
『菜乃花には菜乃花の事情があるんだろう。本人がいいならそれでいいんじゃないか』
父は、母が私に小言を言うのを見てはいつもそう言った。
だから中学に入りたてだった私は、父は自分の味方だと信じて疑わなかったのだ。
…でも、私がそうでないと気づくのに、それから一年もかからなかった。
中学一年の頃に一度、当日に体調を崩して校内順位で一桁を逃したことがある。
出来が悪かったのは自分でも痛いほど分かっていて、結果が返ってくる日が酷く億劫だった。
案の定、母は私を怒鳴った。
一時間近く続いた説教と愚痴がようやく終わりそうになった頃、ガチャリとドアが開く音がして仕事から帰宅した父が説教現場に鉢合わせた。
母はここぞとばかりに私の成績を父に突きつけ、いかに私がダメな子かと語りつづけていた。
『別に、いつもと大して変わらないじゃないか。そんなに怒鳴らなくてもいいだろう』
瞬間、私は耳を疑った。
『大して変わらないですって!?ただでさえ鈴華に劣ってたのに、今回は一桁でさえ無いのよ!本当信じらんない』
顔を真っ赤にする母に対して、父は眉を上げるだけでその全てを聞き流した。
『悪いけど疲れてるんだ。また後にしてくれないか』
平然とそう言い放って、父は母と私を取り残して自室へと続く階段を上っていった。
『ちょっと、あなた!』
その後を母が追いかけ父の自室で小言をこぼす隙に、私は素早く自室に駆け込んで扉を閉めた。
目についた数学のプリントをめちゃくちゃに破った。床に置きっぱなしにしていた教科書をベッドに叩きつけた。
――いつもと大して変わらないじゃないか。
その日ばかりは、母の小言さえどうでもよくなった。
父のその一言だけがぐるぐると頭の中を回って、母親が言っていたことはろくに思い出せもしなかった。
悔しくて悔しくて、きつく拳を握りしめた。
その日初めて、父は私のことを姉と比べていないのではなく、そもそも私という存在に興味がないのだと悟った。
あの人は、ハナから私に期待なんかしてないのだ。
母みたいに比べることをしないのは、そもそも私が出来るとも思っていないから。
思えば、父は一応擁護するそぶりを見せながらも、それ以上私を肯定することはなく母を止める事もしなかった。
そうしてやっと父の本質に気づいた。
結局父は、あの家の中で可哀想で不出来な娘を母親から擁護する父親像に酔っているのだ。
そんな自分に酔っているくせに、一番可愛いのは自分だから最低限の擁護しかしない。
そもそも父は、私に無関心だった。
「――だから…お姉ちゃんは別に悪くなくて。私が勝手に劣等感から避けてるだけ」
姉は私のことを見下したりしなかった。
それこそ小学校の頃なんかは、分からない問題がある度に姉の部屋を訪ねたものだった。
自身の宿題も途中のまま、私に勉強を教えてくれるような…本当に、私にはもったいない優しい姉なのだ。
今だって、顔を合わせれば大丈夫かと心配してくれる。
それを毎回、私が何でもないと避け続けているだけ。
窓から冷たい風が吹き込む。
身体を縮こまらせていると、瀬川が黙って席を立ち窓を閉めてくれる。
流れる沈黙に耐えられなくなって、「ごめん、こんな話…」と呟く。
「…俺の方こそ、聞き出してごめん」
「…気にするな、なんて無責任なこと言えない。篠宮のことは、結局篠宮自身しか分からないだろうから」
「――でも」
「そんな親の勝手な決めつけのせいで、自分でも自分のこと認められないのはもったいない、と思う」
瀬川の言葉に、内心自嘲する。
認めるも何も。そんな風に思えるところが、私には何もない。
「...まあ、親の言葉もあるけど。お姉ちゃんのほうが優秀なのは事実だから」
「でも、篠宮には篠宮の良さがあるだろ」
「…そんなの、ないよどこにも」
少なくとも私には何一つ思い当たらない。
「…真面目で、真っ直ぐで、努力家だし。あと心の機微に敏感でよく周りのことを見てる」
「なんかそれ、別人みたい」
あまりに自分に当てはまらなくて、おかしくってくすりと笑いがこぼれた。
でも瀬川の目はいたって真剣で、彼が冗談でそんなことを言ってないのが分かった。
そのまっすぐな視線が、私にはまぶしくていたたまれない。
私はたぶん、瀬川にそう言ってもらっていい人間ではないから。
「…少なくとも、俺から見た篠宮はそうだけどな」
目を逸らした私に、それでも瀬川はそう念を押した。
「人は所詮信じたいもんを信じてんだからさ、都合のいい言葉を信じたらいいじゃん」
「信じたい言葉…」
「そう。親からの否定の言葉ばっかじゃなくてさ、少しでいいから俺の言葉も信じてみてよ」

