「最近さあ、明らか調子乗ってるよねあの子」
「あーね、なんかまた伴奏者やってるんでしょ。去年のことがあるのによくやるよね、ほんと神経図太い」
「普段誰にも相手にされないから舞い上がってんでしょ、どう考えても瀬川くんだって嫌々やってるにきまってんのにね」
「なに、俺の話?」
一瞬
「っそうそう、皆で瀬川くんの指揮楽しみだってしゃべっててさ。練習とか大変そうなのに誰もいなかったから立候補したんでしょ?さすが責任感あるね」
「ありがとう、…けど演習は伴奏者のほうがずっと大変だし、俺は大したことないよ」
「けど、わざわざ行かなくていい練習行ってるんでしょ?相手も相手で気まずいしやりにくそうなのにほんと優等生だよね」
「別に練習が気まずいとかやりにくいとかは思ったことないけどな。…なんでそう思ったの?」
「だって篠宮さんってろくに話さないでしょ、それに去年さあ――」
去年、という言葉が出てきてドクンと大きく心臓が鳴った。
ほとんど反射的に、曲がり角から出て彼女たちのいる通路を歩き出す。
怖い、会いたくない、認識されたくない。
でも。それよりも。その話を、口にされたくなかった。
なるべく毅然とした態度を心掛けて、気を抜いたら地面を見そうになる子を無理やり正面に向けて一歩一歩彼女たちのほうに歩を進める。
「――あ、本人来ちゃった」
石田さんの隣にいた子がそうつぶやく。
その言葉にぱっと顔を瀬川から私に移した石田さんは、一瞬ほんの少し顔をゆがめた。
悪口を言われるのは別にいい。話さないのも、練習が気まずくてやりにくいだろうことも事実だから。
でも。去年の話は。
勝手に言ってほしくなかった。相手が彼女たちなら、なおさら。
「…ああいうの、無理して言ってくれなくていいよ。」
そうして迎えた、初めての、全体練習の日。
放課後音楽室に集結したクラスメートたちの視線が刺さる。
小声で周りと話すクラスメートたちが。
もしかして、私の悪口を言ってるんじゃないか、って。
…一度そう思ってしまったら、もうダメだった。
バクバクと心臓が嫌な音を立てる。
血が凍るような感覚に襲われる。
また、身勝手な演奏だって言われてしまったら?
私の伴奏のせいで、クラスの雰囲気が悪くなってしまったら?
鍵盤の上に添えた手は震えていた。
一度大きく息を吐く。
大丈夫、大丈夫。
あの日だってうまくやれた。
普段からお母さんの前でするようにすればいいだけ。
心を殺せ、演奏に感情を出すな。
機械的に、楽譜通りに鍵盤を押せばいいだけ。
瀬川が片手を上げる。
それに合わせて、クラスメイトたちが一斉に瀬川の方に体を向けた。
ほら、大丈夫。
誰も私を見てない。
ただ背景として決められたように弾けば問題ない。
ーー彼の腕が滑らかに初めの四拍を刻む。
そこからは、あっという間だった。
頭が思考を放棄しても、感情が伴っていなくても、ずいぶん弾き慣れたからか勝手に指が動いていく。
みんなの歌声は全然耳に入ってこない。
そうして気づけば、いつの間にか最後の和音を奏でていた。
無事弾き切れたことにほっと息をつく。