土曜日の朝。昨日とは打って変わり、薄い青空が広がっている。
梅雨晴れか。
予定より前に会社に到着し、コンピューターをオンにした。
花村さんはまだのようだ。
右側の壁際には簡易デスクがひとつ。2日前、副社長の大和に押される形で置いたものだ。ここなら、総務のトラブルメーカー、悪魔の佐藤から花村さんを守れる。実際昨日、佐藤が総務部で花村さんにひどい罵声を浴びせたと報告を受けた。
やはり大和の言うことは聞くべきなんだな。
設置する理由はわかっている。それでも、まだ完全に花村さんを信用しているわけではない。だから彼女がそこに座れば、自然と壁を向くようわざとそう置いた。余計な視線を遠ざけるには、これくらいで十分だ。
そんなことを考えながら、部屋の角にあるコーヒーバーへ向かう。仕事前に、お気に入りの豆でコーヒーを淹れよう。
--トントントン。
控えめなノック音の後、静かにドアが開いた。
「お、おはようございます、社長」
「おはよう。今、コーヒーを淹れているところなんだけど、飲むよね?」
棚からコーヒー豆を取り出しながら、彼女に聞いた。
「えっ、はい。ありがとうございます。お願いします」
豆を計り入れていると、控えめな声が聞こえる。
「あ、あの。社長は朝食をお召し上がりになりましたか?」
「今日はまだ食べてないなぁ。君は?」
「私もまだです。もしよろしければ、甘いものいかがですか?」
バッグから、巻かれたパイのようなものを取り出した。
レーズンは入っていない。父親が嫌いだから、と彼女が説明してくれた。甘酸っぱいリンゴと、軽く焼いたくるみの香ばしさが食欲をそそる。思いがけない差し入れだった。しかも、俺の好物の甘い菓子。
こういう気遣いを、これまでの秘書たちに向けられたことがあっただろうか。
「えっ、これパイ? 美味しそうだなぁ」
顔が綻ぶのがわかる。
「実は甘いものが大好きなんだよ」
コーヒーをカップに注ぎながら、続けた。
「『Bon Bon』を始めたのも、そのためなんだ」
二つのカップをローテーブルに置いた。
「これ、作ったの?」
彼女が差し出してきたのは、ドイツの菓子だというアップルシュトゥルーデルだった。
「はい。社長、アレルギーは大丈夫ですか?」
「俺? 大丈夫。ちょうどコーヒーもできたし、仕事の前にいただこう」
向かい合わせの応接椅子に腰を下ろす。淹れたてのコーヒーの香りが、両親がやっている『喫茶Bon』を思い起こさせた。彼女は小さく「いただきます」と呟き、ひと口コーヒーを飲んだ。次の瞬間、目を大きく開いてカップの中をじっと見つめる。
「花村さん、どうしたの? コーヒーは口に合わなかった?」
「ち、違います。とても美味しいです。あの、このコーヒーはもしかして南ドイツの『Bayern Kaffee』ですか?」
今度は俺が驚いた。
「えっ、すごい! よくわかったね。日本ではこれを知っている人はあまりいないんだ」
「日本ではまだ販売されていませんよね」
梅雨晴れか。
予定より前に会社に到着し、コンピューターをオンにした。
花村さんはまだのようだ。
右側の壁際には簡易デスクがひとつ。2日前、副社長の大和に押される形で置いたものだ。ここなら、総務のトラブルメーカー、悪魔の佐藤から花村さんを守れる。実際昨日、佐藤が総務部で花村さんにひどい罵声を浴びせたと報告を受けた。
やはり大和の言うことは聞くべきなんだな。
設置する理由はわかっている。それでも、まだ完全に花村さんを信用しているわけではない。だから彼女がそこに座れば、自然と壁を向くようわざとそう置いた。余計な視線を遠ざけるには、これくらいで十分だ。
そんなことを考えながら、部屋の角にあるコーヒーバーへ向かう。仕事前に、お気に入りの豆でコーヒーを淹れよう。
--トントントン。
控えめなノック音の後、静かにドアが開いた。
「お、おはようございます、社長」
「おはよう。今、コーヒーを淹れているところなんだけど、飲むよね?」
棚からコーヒー豆を取り出しながら、彼女に聞いた。
「えっ、はい。ありがとうございます。お願いします」
豆を計り入れていると、控えめな声が聞こえる。
「あ、あの。社長は朝食をお召し上がりになりましたか?」
「今日はまだ食べてないなぁ。君は?」
「私もまだです。もしよろしければ、甘いものいかがですか?」
バッグから、巻かれたパイのようなものを取り出した。
レーズンは入っていない。父親が嫌いだから、と彼女が説明してくれた。甘酸っぱいリンゴと、軽く焼いたくるみの香ばしさが食欲をそそる。思いがけない差し入れだった。しかも、俺の好物の甘い菓子。
こういう気遣いを、これまでの秘書たちに向けられたことがあっただろうか。
「えっ、これパイ? 美味しそうだなぁ」
顔が綻ぶのがわかる。
「実は甘いものが大好きなんだよ」
コーヒーをカップに注ぎながら、続けた。
「『Bon Bon』を始めたのも、そのためなんだ」
二つのカップをローテーブルに置いた。
「これ、作ったの?」
彼女が差し出してきたのは、ドイツの菓子だというアップルシュトゥルーデルだった。
「はい。社長、アレルギーは大丈夫ですか?」
「俺? 大丈夫。ちょうどコーヒーもできたし、仕事の前にいただこう」
向かい合わせの応接椅子に腰を下ろす。淹れたてのコーヒーの香りが、両親がやっている『喫茶Bon』を思い起こさせた。彼女は小さく「いただきます」と呟き、ひと口コーヒーを飲んだ。次の瞬間、目を大きく開いてカップの中をじっと見つめる。
「花村さん、どうしたの? コーヒーは口に合わなかった?」
「ち、違います。とても美味しいです。あの、このコーヒーはもしかして南ドイツの『Bayern Kaffee』ですか?」
今度は俺が驚いた。
「えっ、すごい! よくわかったね。日本ではこれを知っている人はあまりいないんだ」
「日本ではまだ販売されていませんよね」



