神に選ばれなかった者達 後編

俺はこれまでずっと、ただ夢の中で萌音を導く『声』でしかなかった。

『声』には意志がなかった。

実体もない、虚しい存在でしかなかった。

でも、萌音のお陰で、ただの姿なき武器でしかなかった俺は、一人の人間になれた。

自分の意志を持ち、その意志を言葉にして伝えることが出来るようになった。

夢の中の闇しか知らなかった俺は、現実にある光を知ることが出来たのだ。

萌音には、感謝してもしきれない。

…それに、俺は。

これまでただの『声』でしかなかった俺は、佐乱李優になって初めて。

本当の意味で、萌音を助けてやることが出来るようになったのだ。

俺にとっては、これが一番嬉しかった。

佐乱李優になっても、俺は自分が『声』だった時のことを覚えていた。

あの時俺は、萌音をずっと、ただ見ているだけだった。

見ているだけで、何もしてやれなかった。

夢の中では、『声』として萌音を導くことが出来た。

でも、現実では…何も出来なかった。

俺はただの、夢の中での萌音の武器に過ぎないけれど。

それでも俺は、現実でも、ずっと萌音の傍に居たのだ。

あの時俺には意志がなかったけど、でも、記憶として残っている。

萌音がまだ、自分の生まれた家に居た頃のことを。

萌音は、自分の実家のことについては、人には話さない。

俺にも、だ。

多分思い出したくないんだろうと思って、俺から話題にすることはない。

だけど、俺は知っている。

記憶が残っている。

萌音が生まれた時から、俺はずっと、誰よりも萌音の傍に居たから。

萌音自身も、きっと覚えているはずだ。

あいつは、生まれてから今日に至るまで、何一つ忘れていない。

それほど優れた記憶力があると聞けば、誰もが「羨ましい」と言うだろうが。

萌音にとっては、長所でも何でもない。

忘れられないということは、辛いことだ。

楽しかったことや嬉しかったことを、ずっと覚えていられる反面。

辛かったこと、苦しかったこと、痛かったこと…そういう、忘れてしまいたいことまで、萌音は覚えている。

…本当は、忘れたい記憶もたくさんあるだろうに。

特に…実家に居た頃の記憶は…。

…それに何より、萌音はこれまで、経験したことを忘れられないが故に。

普通の人とは違う、恐怖を抱いている。

「忘れること」に対する恐怖だ。

今まで、一度も忘れたことがない為に、忘れることを怖がっている。

だから、いつか萌音が人並みに、記憶を失うことがあったら。

もしそうなった時の為に、萌音は毎日、異様なほど詳細に、その日の出来事を日記帳に書き記す。

小さい時から。文字が書けるようになると同時に。

何かに取り憑かれたように、ひたすら書き続けている。

そして、その記録を大事に大事に残している。

実家からも、家族との思い出の品よりも、日記帳を優先して持ってきた。

萌音の宝物なのだ。

…だけど、萌音が幼い頃のことは、例え萌音が忘れてしまったとしても、俺が覚えている。

残念ながら、「佐乱李優」の記憶力は、普通の人間と同程度だが。

姿なき萌音の武器…『声』だった頃の俺は、人間じゃなかったから。

萌音と同じように、起きたことや見たことを全部覚えている。

夢の中だけじゃない。

現実でのことも。

つまり、萌音がまだ実家に居た頃のことも。

俺は、覚えているのだ。