神に選ばれなかった者達 後編

母は、自分の子の写真を撮るということをしない人だった。

過去になどこだわらない。大事なのは今と未来だけ。

そんな母にとって、写真を撮るという行為は無駄なことでしかなかった。

だから、俺が子供の頃の写真は、皆無と言って良いほどない。

でも、幼稚園を卒園した時に、卒業アルバムならぬ、卒園アルバムをもらっていた。

そのページを捲ると、写真の切れ端に、俺が写っていた。

幼稚園の頃の俺は、酷く虚ろな顔をしていた。

写真の中に写っている俺は、にこりとも笑っていなかった。

能面みたいな無表情で、カメラを意識していないのか、常にそっぽを向いていた。

母の異質な教育のせいで、俺はその頃から既に、人の感情を失ったロボットみたいになっていたんだろう。

これはマズいと思ったのか、何度か幼稚園の先生が、母を呼び出して話をしたことがある。のを、覚えている。

幼稚園から呼び出しを受けても、母はなかなか応じようとしなかった。

何も幼稚園の先生を疎んでいた訳じゃない。

そんなことに時間を割くのが無駄だと思っていただけだ。

母は常に、他人よりも自分の都合を優先する人だった。

だから呼び出しを受けても、スケジュール帳をぱらぱらと開いて、「その日は駄目です」と無情に告げるだけ。

何度も交渉をして、母が「その日なら良いです」と言ったのは、一体何度目の呼び出しだっただろうか。

ようやく呼び出しに応じた母に、幼稚園の園長が、母の躾について、言葉を選びながら物申した。

「そういう育て方はいかがなものか」と。

しかし、誰に何を言われようとも、自分の意見を変える母ではない。

相手が幼稚園の先生だろうと、園長だろうと。総理大臣だって、母の意見を変えることは出来ないだろう。

母はいつも通り、「家庭は国」理論を展開した。

よその国の方針に、口出しをされる謂れはない。

それは余計なお世話というものだ。

母があまりにも堂々と、確固たる口調でそう言うものだから。

幼稚園の園長も、何も言い返せなかった。

いつもそうなのだ。

子供の虐待問題に敏感なこの現代社会で、母のような子育てが咎められない訳がない。

それでも、母は一度として、児童相談所のお世話になったことがない。

それは、「自分は絶対に間違っていない」という母の自信に満ちた、堂々とした態度。

それから、その自信に裏打ちされた、大学教授という立派な肩書のお陰だった。

何度も言っているように、母は他人に厳しいけど、同じくらい自分にも厳しい人だから。

誰がなんと言おうと、母の立場の方が偉いものだから。

「大学教授ほどの人になると、これが当然なのかもしれない」と思って、一歩引いてしまうのだ。

あの頑固で強情な母を前にして、一歩でも引いてしまったら、それだけで敗北だ。

母は正しい。

そう。あの人は正しいことしか言っていなかった。

それは決して優しさではなかった。愛情なんて欠片も感じられなかった。

でも、正しかった。

その正しさ故に、俺は自分の身を滅ぼすことになったのだ。