神に選ばれなかった者達 後編

だけど、この時点ではまだ、事の次第を把握していなかった俺は。

努めて冷静に、萌音ちゃんの両肩を掴んで、諭すように言った。

まだこの家に来たばかりで、環境の変化に戸惑っているに違いない萌音ちゃんに。

あまり、脅すようなことや、怖がらせるようなことは言いたくなかった。

だけど、ここまでのことをして、お咎めなしという訳にはいかない。

それでは、他の子に示しがつかない。

だから、言葉を選びつつ、萌音ちゃんを諭すことにしたのだ。

「…良い?萌音ちゃん、よく聞いて」

「うん」

「この家では、暴力は絶対に禁止だ。どんな理由があっても、人を叩いたり殴ったり、傷つけるようなことをしちゃいけない」

「…」

萌音ちゃんはぽやんとして、まるで外国の言葉でも聞いているかのように、首を傾げていた。

当たり前のことを言っているつもりだった。

普通の子なら、幼稚園や保育園の時点で、当然教えられることだった。

それどころか、もっと幼い頃から…親に教えられるはずだ。

「人を傷つけることはしちゃいけない」って。

「自分がされて嫌なことは、人にもしちゃいけないんだ。萌音ちゃんだって、叩かれるのは嫌でしょう?」

「…うん、いや」

「でしょう?それなら、人にも同じことをしちゃいけないよ」

「でも、あの子が先に萌音の服を盗ろうとしたんだよ?」

そうだね。

「そういう時はね、叩くんじゃなくて、『それは私のだから、触らないでね』って言うんだよ」

ちゃんと口があるんだから。言葉を喋れるんだから。

手を出しちゃ駄目だ。

「それで聞いてくれるの?」

「それでももし聞いてくれなかったら、その時はパパかママに教えて。代わりに取り返してあげるから。絶対に、相手を叩いちゃ駄目」

「…ふーん…」

丁寧に説明したつもりなんだけど。

萌音ちゃんは、半信半疑といった様子だった。

そして、萌音ちゃんの次の一言に、俺は酷くショックを受けた。

「…いちいち言葉で言うより、殴った方が分からせやすいと思うけど…」

「…!」

萌音ちゃんが、叱られても、いかにも釈然としない様子だった訳が、分かったような気がした。

こんな、まだ6歳の女の子が…あれほど容赦のない殴り方をした理由も。

昨日、一人で、二時間以上も駅で待たされていたのに、少しも不安そうな顔をしていなかったのも。

一昨日出会ってからずっと、泣いたり笑ったり、少しも表情を変えなかったのも…。

…萌音ちゃんは、これまでずっと…そうやって育ってきたのだ。

「萌音ちゃん…!」

俺は、思わず萌音ちゃんの身体をぎゅっ、と抱き締めた。

そうしないではいられなかった。

「…どうしたの?」

「…もう大丈夫だから。もう怖いことも痛いこともないから…」

「…??」

萌音ちゃんは抱き締められても、相変わらず表情が動くことはなく。

意味が分からないとばかりに、こてんと首を傾げていた。