名前のない香水

ゴールのざわめきが、
まだ完全には落ち着いていない。

その中を、
桐谷が歩いてくる。

さっきまで、
全力で走っていた人の歩き方。

肩が、わずかに上下していて、
呼吸が、まだ整いきっていない。

「……は、」

短く息を吸う音が、
一花のすぐ近くで聞こえた。

距離が、近い。

汗を含んだシャツの匂いと、
その奥に、
微かに混じる甘い香り。

ムスクと、
ほんのりバニラ。

さっきまでとは違う、
体温を帯びた匂い。

走った後なのに、
嫌じゃない。

むしろ、
なぜか、落ち着く。

桐谷は、
一花を見下ろして、
一度だけ、息を整える。

「……もう」

声も、
少しだけ掠れている。

「体調、大丈夫?」

それだけ。

心配する目は、
さっきと同じなのに、
今は、
少し距離が近い。

一花は、
胸の奥の鼓動が、
早くなるのを感じながら、

「うん」
「もう、大丈夫だよ」

そう答えた。

桐谷は、
それを聞いて、
ほんの少しだけ、
肩の力を抜いた。

「……よかった」

短い言葉。

でも、
その一言が、
さっきのリレーより、
ずっと胸に残った。