名前のない香水

体育祭は、まだ始まったばかりだった。

音楽と歓声が、
校庭いっぱいに広がっている。

「今、無理したら、この後何も参加できなくなる」
「だから、今は少し休もう」

桐谷の声は、
“先”を見ていた。

一花は唇を噛んでから、
小さく息を吐く。

「……わかった」

納得しきれないままの返事。

それでも、歩き出す足は、
自然と桐谷の隣にあった。

校舎へ向かう通路は、少し静かで、
二人の間に、会話はない。

歩幅は、いつの間にか揃っていた。

曲がり角で、夢と出会う。

事情を察した夢に、
桐谷は短く言った。

「お願い。無理させないで」

それだけ言って、背を向ける。

一花は、その背中を見送った。

守られたことも、
止められたことも、
胸の奥で、静かに揺れていた。

体育祭の音は、
まだ遠くで続いている。

けれど一花の鼓動は、
少しだけ、違う速さで鳴っていた。