名前のない香水

人の波から外れた場所に、
低い段差があった。

「ここでいい?」

桐谷がそう言って、
先に腰を下ろす。

一花も、その隣に座る。
ほんの少しだけ間を空けて。

焼きそばのソースの匂いが、
夜の空気に混じる。

「……いただきます」
「いただきます」

紙容器を挟んで、
黙々と食べる。

さっきまでの騒がしさが、
嘘みたいに遠い。

風が吹いて、
浴衣の裾が、かすかに揺れた。

その拍子に、
桐谷の腕に、触れそうになる。

触れない。
でも、離れない。

「……もうすぐだね」
桐谷が空を見上げて言う。

「うん」

夜空はまだ暗くて、
何も起きていないのに、
胸だけが、先にざわつく。

遠くで、
打ち上げの合図みたいな音がした。

一花は、
無意識に背筋を伸ばす。

桐谷は、
それに気づいたのか、
何も言わずに、少しだけ距離を詰めた。

近い。
でも、触れない。

そのまま、
二人並んで空を見上げる。

——そして。

花火が夜空いっぱいに広がって、
次の瞬間、ゆっくりとほどけていく。