名前のない香水

視線を感じた。

はっきりと、というほどじゃない。
でも、確かに。

――見られている。

顔を上げなくても分かる。
視界の端に、桐谷くんの気配がある。

胸が、きゅっと締めつけられる。
また、あのざわつき。

でも、私は顔を上げない。

ノートに視線を落としたまま、
何事もなかったふりをして、ペンを動かす。

見てはいけない。
応えてはいけない。

もし、目が合ってしまったら。
もし、何かを期待してしまったら。

――きっと、後で苦しくなる。
私は知っている。
近づいた先にあるのが、優しさだけじゃないことを。

優しさだけで、
すべてを乗り越えられるわけじゃない。

苦しくならないようにしているはずなのに、
こうして考えてしまうこと自体が、もう苦しいのかもしれない。

それでも。
この胸のざわめきを受け入れる勇気は、今の私には、まだなかった。

だから私は、今日も何もなかったふりをする。
胸の奥のざわめきを、そっと押し殺しながら。