名前のない香水

スマホが震えた。

桐谷くんから。

画面を開いて、
そのまま、数秒動けなくなる。

「返事遅くなってごめん。
弟たちの面倒みてたんだ。
うん、大丈夫だよ。
みんなで行こう!」

読み終えて、
胸の奥が、ふっと緩んだ。

――よかった。

嫌がられたわけじゃない。
ちゃんと、受け入れてくれている。

それだけで、
十分なはずなのに。

なぜか、
小さな引っかかりが残る。

みんなで、か。

自分でお願いしたことなのに、
ほんの少しだけ、
別の答えを想像してしまった。

一花は首を振って、
その考えを追い出す。

期待しない。
近づかない。

高校に入ったとき、
そう決めたはずだった。

【一花】
ありがとう。
じゃあ、また連絡するね。

短く送って、
スマホを伏せる。

そのまま、画面を見ない。
夏休みが、始まった。

しばらく、
桐谷くんに会えない時間。

この胸のざわめきが、
何なのかは分からないまま。

朝、教室に入ったときに感じていた、
あの、ほのかに甘い香り。

すれ違ったとき、
ほんの一瞬だけ残る、
バニラみたいな匂い。

ふとした瞬間に、
思い出す。

香りだけが、
まだ、近くにあるみたいで。

――きっと、
分からないままでいい。

今は、まだ。